可哀そうだった
可哀そうだった
後ろ手に縛られた猫を一芯は初めて見た。両足も縛られ、猿轡まで噛まされている。
フローリングに敷かれた一畳くらいの青と黄のギャッベの上にグレーの猫がいるのは童話めいた図ではあった。
「これで黄熊がいたらメルヘン総仕上げだな」
「呑気」
小十郎が非難気味に主君を評する。
「だって動物虐待に見えるしさ」
「殿」
「解ってるよ。こーじゅが言うのなら、このにゃんこは織田の回し者なんだろう。人間臭い猫ではあった。青鬼灯の勘には引っ掛かってたんだな。で、これは一体、何だ?」
腕を組んだ一芯が臣下に問う。
「恐らくは妖の猫かと」
「化け猫?」
「然り」
「油でも舐めんの?オリーブ油?胡麻油?」
「そこまでは。直接、尋ねるのが手っ取り早い」
尋ねる、の意味は山尾を含め三者とも承知していた。
一芯が頷く。
「床を汚しても良いように廊下に出よう」
山尾は首根っこを小十郎につまみ上げられた。
囚われた忍びの末路は知れている。叶うなら自死が最善。
情と判断の迷いが命取りとなった。男連中はともかく、自分が横死すれば真白や美羽は泣いてしまうだろうと思うと山尾は悲しく、己の甘さを悔いた。
投げ出された一芯の部屋の前の細い廊下で、このうちは廊下の電気まで洒落ていると山尾は思った。球体の和紙のペンダントライトは満月のようだ。
「殿も立ち会われるのか」
「興味深いからね。血が出にくい細い物を使えよ。それでいて痛覚に訴える物を」
「御意」
淡々と会話が進む。山尾には理解したくない内容だった。
一芯がひょいと山尾を覗きこむ。ノンフレームの眼鏡の奥、左目は平生より強い。
「さて、猫君。猿轡を噛んだ状態では喋れないだろうから、今からする質問に首を縦に振るか横に振るかで答えてもらいたい。……なんか間抜け」
「セーフ」
猫に語りかける自らの姿に疑問を感じた一芯を小十郎はフォローする。
「君は織田の忍びかい?」
山尾は瞳を閉じて開いた。それだけだった。
「小十郎」
冷たい声が出る。
柳のような男は進み出てアイスピックのような鋭利な銀の煌めきを黒いコートから出す。
物腰柔らかに、グレーの被毛にそれを突き刺した。右足甲に走った激痛に山尾が目をあらん限り見開き身体をよじる。一度はきゅうと縮まった心の臓がど、ど、と早く大きく鳴っている。
「君は織田の忍びかい?」
山尾は首を動かさない。ほぼ発覚している物事であっても一芯は確実性を高めたいのだ。
「―――――小十郎」
次に刺し貫かれたのは左足の甲だった。痛みを感じやすい部位を着実に狙っている。
山尾の金色の瞳は血走った。だがそれだけだった。
彼はなぜか今、戦乱で死んだ妻の名前を思い出していた。
ゆきと言った。哀れな女だった。あんな風に死んではいけなかった。
可哀そうだった、と山尾は朦朧とした頭で思った。
一芯が物憂さと呆れを顔に表す。
「夜が明けそうだな。皮を剥ぐか、いや、…小十郎、一階の暖炉に火かき棒がある。コンロで焼いて来い。強火ね」
「承知」
小十郎が階段を降りようとした時、チャイムの音が鳴った。




