花柳
花柳
薫子が光瀬家に入るのを山尾は見守っていた。彼女は山尾と触れ合う内に幾分、落ち着いたようで、照れたように「ありがとう、猫ちゃん」と山尾の頭を優しく撫で返してくれた。山尾は満足し、胸が温かくなった。
猫のように腹這いになり、空腹と眠気を感じて半眼になった彼は、ふわ、と感じた気配に総毛立った。殺気に近い静けさが、宵に張り詰めている。
絹糸の一本、弛まず詰と光るような。
黒いコートの男が、視線を寸分たがわず山尾に据えていた。
男、と見るが柔らかそうな髪は長く、その立ち姿は柳のようになよやかだ。
顔立ちも中性的で、どこの国の人間と識別しにくい多国籍な瞳や鼻梁。
整ってはいるが浮世離れしてもいる。
女のような唇が開く。
「愛姫様は、」
思ったよりもアルト。柔に秘めた剛。
片倉小十郎景綱の全貌を山尾が見たのは初めてだった。佐原家の屋根にそれらしき影を垣間見ることはあったが。
「姫君育ちゆえ稚い」
ごつくて黒い編み上げブーツが山尾の視界の中、サイズを増して行く。
風が小十郎の髪を一房浮かせ絵のようだった。
黒いコートとブーツはゆるゆると山尾に迫っていた。
「二本足で立ち、」
小十郎との距離は五メートルもない。
山尾は目まぐるしく思考していた。このまま猫を演じて遣り過ごすか即、逃亡するか。相手の疑惑を決定づけてしまえば、もう監視が続行出来ない。
「人の頭を撫でる」
判断に迷う間に小十郎は山尾の目の前にいた。
彼は女性にも見えるかんばせでうっそりと嗤ったが、山尾にはそれが見えない。いたぶるべき獲物を前にしたようなそれが。
「そんな猫はいない」
ぬう、と大きな手が素早く伸び山尾の首を地面に押さえつけた。喉を圧迫された山尾は呻き声すら洩らせず、口の端に涎と白く細かな泡を浮かせた。グレーの肢体が痙攣し透明な髭がひくりと動いた。




