黄昏に眷属は
黄昏に眷属は
〝どうして手書きなの?〟
「一度、入力したデータを些細なアクシデントでパーにしてな」
竜軌がぱーと口を動かしながら右手を握ると、上向けて開いた。
「水の泡になった苦労に開いた口が塞がらなかった。以来、重要事項は手書きにする癖がついた。なあ、もうちょっと近くに来いよ」
天井を向いていた右手がひらひらと招いたが、竜軌から十メートルくらい離れたテレビ近くで美羽は首を横に振った。
すぐ狼に化ける竜においそれとは寄れないと学んだ。
約束さえうやむやに、熱情で流してしまおうとするのだから。
竜軌が軽く舌打ちした。と、左手でテーブルに頬杖を突いたまま、満面の笑顔をにこ、と作る。
「おいで、美羽?」
〝断固、きょひらせてもらう〟
ずいと突き出したメモ帳の文字は、美羽の意思を表すように筆圧も強くきっぱりとしていた。猫撫で声になど騙されない。竜の癖に。
「解った」
竜軌が笑顔を引っ込めると開き直った低い声でそう言い、立ってずんずんと歩いて来た。
だろうと思った、と美羽は庭に続くガラス戸を開けて澄んだ外気にサンダル履きで逃れ出た。さすがに追っては来るまいと考えたのに、竜軌は靴下を芝につけて胡蝶の間から美羽を追って出た。サンダルは一足しか無かったのだ。
どうしてそこまで、と美羽は思う。意地になっているのだろうか。左足の怪我はまだ治り切ってなどいないのに。
黄昏る天が郷愁を誘う美しい時に、竜軌は美羽だから物悲しいと判る顔で佇んでいた。
陰影が憂いている。
「俺より親父の思惑のほうが大事か、気になるか?」
「…りゅうき、」
そんな問題ではないと、聡明な彼に理解出来ない筈はないのに。
暖房の効いた胡蝶の間ではチュニックブラウスの上に何も羽織っていなかったので、庭に出た美羽はすぐ寒くなった。スタンドカラーの白シャツの上のボタンを二個ほど外している竜軌は平然としている。
空の眷属、という言葉が浮かぶ。水かもしれない。いずれにしろ冷気に強い。冷たいものに。
本当に?
〝あなたが一番、大事な人よ。知ってるでしょう?〟
習性でメモ帳とペンを持って出て良かった。言いたいことを伝えられる。風に揺れる長い髪に邪魔されながらも文字を綴り、竜軌に見せることが出来る。
流れ舞う紅葉さえもう見られなくなった。
代わりに白雪の舞う冬が来るのだ。
大木を抱くように竜軌の背に手を回すと彼の身体は温かかった。孤独や寂しさに冷え切っていない、と美羽はホッとする。竜軌も美羽の背に腕を回した。そのことにまた、ホッとする。
「知っている、美羽。…莫迦を言って悪かった」
美羽はふるり、と竜軌の胸に顔をつけた。




