琅玕
琅玕
パラリ、という音と大粒の翡翠が動く。
お付きの家政婦である三谷秋枝に頼み、持って来てもらったアルバムを螺鈿細工の小テーブルの上で新庄文子はめくっていた。左手薬指に嵌まる翡翠の指輪は、松並木の日本刺繍を夫に贈ったお礼に貰った物だ。
中国では家の女主が着ける宝石とされるらしいから君に相応しいだろう。
そう穏やかな笑みを湛えて。
萌え出づる春の色だわ、と文子は指輪を見て思った。
石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
万葉集。
志貴皇子はこのような色に心打たれて歌を詠んだのではあるまいか。
琅玕、などという大層な肩書が無くとも美しいものは美しい。
孝彰の心が文子は嬉しかった。
(あらでも、早蕨の襲の色目は紫と青だったわね)
けれどそんなことはどうでもよろしい。
文子はおっとり心に思い、アルバムのページをまためくる。
おっとりと春の空気のように些末事を受け流してしまうのは文子の特技だ。
アルバムの中の竜軌は、赤ん坊から二歳までに成長した。
あの子はとっても可愛い赤ちゃんだったと文子は思う。
実家の母が薦めるように、乳母に任せる気にはなれず手ずから育てた。
真っ黒い、澄んだ瞳が文子を不思議なように見て、しぱ、と瞬いては、うあ、と言って紅葉の手をふる、と動かした。
身の内から湧く愛情の湧けども尽きぬことに我が事ながら感動したのだ。
母の愛とはかようであったか、と。
他に比するもののない。
パラ、とまたページをめくる。
フリルが何重にも飾られた白いベビー服を着た竜軌が、「勘弁してくれ」とでも言いたげな表情で孝彰に抱かれて写っていて、くすりと笑ってしまう。乳幼児期の竜軌は綺麗な顔立ちが女の子のようで、父方母方を問わず祖父、祖母らからとにかく愛くるしい服を山と贈られた。文子もまた喜んでそれらを息子に着せて慈しんでしまった。
抵抗する術の無いいたいけな竜軌は、愛くるしいお仕着せに包まれむっつりしていた。
今はもうとても着てくれないだろうし、逆立ちしても似合わない。
(美羽さんにお願いされたら解らないけれど)
母を上回る愛が現れてしまったのは嬉しくも寂しい。
(……あの子を、幸せにしてくれるかしら)
竜軌は難産の末に産まれた。出産より前と出産時、孝彰が産婦人科医に何と言っていたのかを文子は知っている。どうしてだか竜軌も知っているように思える。誰も教える筈がなく、聴かせる筈もないのに。
貴婦人にもおっとりと受け流せない事柄は、あった。




