その宵
その宵
ノックの音と真白の声が聴こえて、剣護は黒檀の文机の上に白い盃を置いた。
「飲んでた?」
怜の部屋とは異なり、乱雑に散らかっている室内の床、足の踏み場を求めながら真白が入って来る。子供時分から剣護には見慣れたヴィジョンだ。
剣護は近くの本やスナック菓子の袋などをがさーっと押し遣って妹が座れるスペースを作った。
「飲んでた。お前も飲む?」
「じゃあ、少しだけ」
「ん」
剣護が文机とは別の勉経机の引き出しの二段目を開けて白い盃を取り出す。彼の机の引き出しは室内同様、カオス状態だと真白は熟知している。
「これはちょっと良い酒だから、悪酔いはしないぞ」
言いながら、酒瓶を傾けて真白が両手で持った盃に注いでやる。
「うん」
「次郎は頑張ってたか」
「いつも通り」
「だろうな」
真白は盃を傾けた。鼻腔をくすぐる独特の香り。尖りの無い、まろやかな味だ。ミルクとお砂糖抜きにはコーヒーも飲めない甘党の剣護は、酒も甘口を好む。
ほ、と真白が息を吐く。
「美味しいね」
「そだろ?」
「バイトどう?」
「良い感じ。デパ地下の八百屋は帰りに持たせてくれるもんの気前が良い。でもな、たまにそれ一個にその値段はどうよ、って果物とかを平然と買ってくお客がいてびびる。所得格差こえー」
「へえ…」
「荒太が来たら結構、面白いとこだろうにあいつ、誘っても来ないんだよな」
「うん」
剣護が真白の盃に二杯目を注ぐ。重い緑色の一升瓶を、僅かにも震わせることなく右手一本で扱える。酒器に移し替える手間を惜しむのも腕力あってこその怠けようだ。
だから大振りな陣太刀にも似た臥龍の主でもいられる。悠然として気負わず。
荒太のことも話題にして笑う。
「剣護って」
真白はそこで言葉を区切り、盃を一息に干す。
「莫迦だよね」
「いや、そうでもない」
「莫迦みたいだよね」
「それはそうかも。真白なら何を言っても兄ちゃんは許すぞ。嫌いとか言われるときつい」
「莫迦」
「おう。なあ、真白。お前さ、猫耳つけたりしない?」
「え?どうして」
「こういうリクエストに真顔で理由を問うてはならない」
「…ちょっと、意味が解らないよ。剣護」
真白が両手で一升瓶を支え持って、兄の盃に注ごうとする。瓶が揺らぐ。
「おい、無理すんなよ。溢れさせるなよ、手首を傷めるな。白い猫耳、どうだ」
「どうだと言われても」
やっと無事に注ぎ終えた一升瓶を床にゴト、と置いて真白は困惑気味の顔を隠さない。
「二十歳過ぎてそんなおふざけやっても良いのかな」
「お前の懸念がその一点に尽きるんなら俺はとっても助かる。天然でありがとう」
それから兄妹は剣護が引き出しから次々に取り出したアーモンドチョコやバナナチップスやビーフジャーキーを肴に飲みながら、猫耳について一頻り談義した。




