世界の軸
世界の軸
チリン、と澄んだ音が鳴り、竜軌は美羽の訪れを知る。
「美羽。入れ」
襖を開けた美羽の手には、いつものメモ帳とペン、それから小さな金の鉦があった。
人の部屋に入る時、また、自室で入室を促したい時、その鉦を鳴らすようにと言って竜軌が手渡した。
白い麻のパジャマを着た美羽は、銀の縫い取りのある大判のショールを身体に巻いている。胡蝶の間に置いた桐箪笥の中の衣服は、全て自由に使うよう言ってあった。
彼女の顔を見れば、まただ、と判る。
竜軌が腕を広げると、飛び込んで来た。
押し殺すような嗚咽が微かに聴こえる。
こんな音しか、彼女はまだ出せない。
〝お父さんはどうして、〟
続きを書こうとする美羽の手を、竜軌は上から押さえた。
「心を病んだ人間は、身近な者を壊そうとする衝動に走る時がある。大抵は、弱者を」
そんなのひどい、と美羽の唇が動いた。喉から、ひゅううと風のような音が鳴った。
「ああ」
美羽は憎しみの矛先に迷い、惑っていた。
(お父さんもお母さんも、優しい人たちだった)
愛し合って結婚したのだと、照れたように笑いながら、幼い美羽に語ったこともある。
愛し合って。
けれどその結末は。
(お父さんは、苦しんで苦しんで、壊れて、壊した)
人間の弱さは、かくも恐ろしいものか。
弱さを生む根源は世の醜悪さだろうか。
踏みとどまれる人間と、そうでない人間の違いは何だろう。
美羽が竜軌にしがみつくと、力強い腕が背中に回る。
美羽の知る中で、竜軌ほど強い人間はいない。
昂然と顔を上げる竜軌の強さは、美羽を安心させる。
彼が壊れる時が来るならば、それはきっと美羽の世界も崩壊する時だ。




