表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
389/663

消えたデニムシャツ

消えたデニムシャツ


 竜軌は六王の槍先を上にして柄を左肩の内側に寄せ掛け、坊丸の腕から美羽を引き取った。

 六王で刺した左足の甲の痛みはあるが、踏ん張る。薄青い靴下には赤くて濃い染みが浮かんでいた。蝶の身は、竜軌の腕にいつも軽やかだ。痛かろうと放せない。譲れないのだ。

 美羽の目はまだ、骸となった兄を見ている。

「…帰ろうな、美羽」

 竜軌が優しく声をかけても反応しない。一点に据えられた黒目が動かない。

「六王、胡蝶の間まで導け。あと少しだ、頑張れ」

 あとの状況は剣護たちに丸投げする。

 独眼竜も、隙を突いてはみたものの多勢に無勢。どうせ一芯は退かざるを得まい。

「あ、新庄、これは俺らのアルバイトということで。バイト代は俺名義のゆうちょ口座に振り込んどいて。記号番号、メールで送っとくから」

 剣護の声を無視して、竜軌は美羽の身体を抱き直した。

 秀比呂の死に打ちのめされている少女に、自分の体温を分け与えるように。

(美羽に詫びていたな。……最後の最後に、正気付いたか。義龍)

 すまぬと言える清廉さと哀調が竜軌の胸にも迫った。

(俺たちは最悪の形で出逢ったが)

 違う形で出逢えていれば、互いの人生は一変していたかもしれない。

 桜散るような優しい日和に出逢い、顔を合わせ、膝を交えて親しく語らっていたならば。

 そのような見方、世への眼差しもあるものかと、相手の視野や観点に得心させられたりしたかもしれない。

 だがそれは有り得なかった幻の昔日。

(俺らしくもない。…感傷だな)

 帰蝶を苛みはしたがその死に美羽を嘆かせもした龍を、竜軌はどこかで惜しんでいた。



 美羽の黒いスカートに覆われた膝の下には畳の感触があった。

 首を巡らせれば慣れ親しんだ胡蝶の間。暖房の稼働音が、辛うじて聴き取れる。畳の、藺草の匂い。金木犀の練香水の香り。

 いつ、戻ったのだろう。

(兄上。兄上を、置いて来てしまった)

 血と腐臭がまだ鼻に残る。

 少し上半身が涼しいが、肩や背中は温かい。広い布で覆われているように。

「美羽」

 呼ばれて竜軌をのろのろと見上げる。

 微かな煙草と、蠱惑的な匂い。

(――――――――――竜軌)

 お砂糖のように甘い笑顔で美羽を見ている。

 とても久し振りに会った気がする。身が、心が、竜軌から長く離れ浮遊していたような。

(…Tシャツ一枚で寒くないの?)

 上に羽織っていた青いデニムシャツはどうしたのだろう。

 竜軌お気に入りの、ミルク色を四角い銀色で囲ったボタンが並んだ。

 ジャケットみたいに大きめで格好良くて、ちょうだいとねだってもダメだと言われた。

 盗られそうで怖いからお前には貸さん。

 そう言っていたのに見当たらない。

 きょろきょろ、と顔を動かす美羽に竜軌が声をかける。

「美羽、おいで。風呂に入ろう」

(そんな、泣き出す手前の子供にかけるみたいな声)

 どうして出すのだろう。

 そしてどうして美羽は本当に泣きたいのだろう。

 解らないことはたくさんあったが、美羽は伸べられた竜軌の手に自分の手を重ねた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ