消えたデニムシャツ
消えたデニムシャツ
竜軌は六王の槍先を上にして柄を左肩の内側に寄せ掛け、坊丸の腕から美羽を引き取った。
六王で刺した左足の甲の痛みはあるが、踏ん張る。薄青い靴下には赤くて濃い染みが浮かんでいた。蝶の身は、竜軌の腕にいつも軽やかだ。痛かろうと放せない。譲れないのだ。
美羽の目はまだ、骸となった兄を見ている。
「…帰ろうな、美羽」
竜軌が優しく声をかけても反応しない。一点に据えられた黒目が動かない。
「六王、胡蝶の間まで導け。あと少しだ、頑張れ」
あとの状況は剣護たちに丸投げする。
独眼竜も、隙を突いてはみたものの多勢に無勢。どうせ一芯は退かざるを得まい。
「あ、新庄、これは俺らのアルバイトということで。バイト代は俺名義のゆうちょ口座に振り込んどいて。記号番号、メールで送っとくから」
剣護の声を無視して、竜軌は美羽の身体を抱き直した。
秀比呂の死に打ちのめされている少女に、自分の体温を分け与えるように。
(美羽に詫びていたな。……最後の最後に、正気付いたか。義龍)
すまぬと言える清廉さと哀調が竜軌の胸にも迫った。
(俺たちは最悪の形で出逢ったが)
違う形で出逢えていれば、互いの人生は一変していたかもしれない。
桜散るような優しい日和に出逢い、顔を合わせ、膝を交えて親しく語らっていたならば。
そのような見方、世への眼差しもあるものかと、相手の視野や観点に得心させられたりしたかもしれない。
だがそれは有り得なかった幻の昔日。
(俺らしくもない。…感傷だな)
帰蝶を苛みはしたがその死に美羽を嘆かせもした龍を、竜軌はどこかで惜しんでいた。
美羽の黒いスカートに覆われた膝の下には畳の感触があった。
首を巡らせれば慣れ親しんだ胡蝶の間。暖房の稼働音が、辛うじて聴き取れる。畳の、藺草の匂い。金木犀の練香水の香り。
いつ、戻ったのだろう。
(兄上。兄上を、置いて来てしまった)
血と腐臭がまだ鼻に残る。
少し上半身が涼しいが、肩や背中は温かい。広い布で覆われているように。
「美羽」
呼ばれて竜軌をのろのろと見上げる。
微かな煙草と、蠱惑的な匂い。
(――――――――――竜軌)
お砂糖のように甘い笑顔で美羽を見ている。
とても久し振りに会った気がする。身が、心が、竜軌から長く離れ浮遊していたような。
(…Tシャツ一枚で寒くないの?)
上に羽織っていた青いデニムシャツはどうしたのだろう。
竜軌お気に入りの、ミルク色を四角い銀色で囲ったボタンが並んだ。
ジャケットみたいに大きめで格好良くて、ちょうだいとねだってもダメだと言われた。
盗られそうで怖いからお前には貸さん。
そう言っていたのに見当たらない。
きょろきょろ、と顔を動かす美羽に竜軌が声をかける。
「美羽、おいで。風呂に入ろう」
(そんな、泣き出す手前の子供にかけるみたいな声)
どうして出すのだろう。
そしてどうして美羽は本当に泣きたいのだろう。
解らないことはたくさんあったが、美羽は伸べられた竜軌の手に自分の手を重ねた。




