もう一頭の竜
もう一頭の竜
結界が崩れる。術者が死に、閉ざされる。
竜軌はTシャツの上に着ていたデニムシャツを脱いで、秀比呂の死骸の前に座り込む美羽の肩にかけた。身体に触れると、なるべく震動を感じさせないように抱き上げる。
玻璃細工の蝶を扱うように。
目顔で坊丸に退却を伝える。
坊丸が頷き、雨煙を消そうとした時。
「待て坊丸」
竜軌がしなる鞭のような、鋭い声を発した。
術者を失い崩壊しかけた薄紅の結界に、侵入者が一人。いつの間にか得物を手に佇んでいた。
「覗き小僧が。何の用だ」
一芯はノンフレームの奥の目を笑みの形に細めた。
「正直、嘘だろって感じです。これがりっきーが心酔する男?名立たる信長公とは。何とも、お甘い。ここまで甘いとは僕も読めませんでしたよ。あなた、腑抜けですか」
言ってから、へら、と顔全体で笑いの形を取る。
形を取るだけ。
奥州の雄に竜軌が抱いた印象は、気に食わないがき、だった。
(東北のほうは特に、誰やらそれやら蠢いてたからな。一癖も二癖もあってひねまくってやがる)
「相手して欲しけりゃ出直して来い。俺はKYも無粋もがきも好かん」
一芯が可笑しそうに声を立てて笑った。
今度は本物の笑みだと判る。
笑ってのち、冷えて固まった。怖いように静まった。
(そら、本性だ)
竜軌は無感動に少年を眺めた。時間が無いと言うのに。
いや、だからこそ、だ。わざと竜軌たちに余裕が無い隙を突いて現れたのだ。
「戦国乱世にKYも無粋もあるものか。名にし負う桶狭間はKYの極みであろうが。命の遣り取りそれこそが無粋の極みであろうが。公がそれを言うは愚の骨頂というもの」
明るく青い柄を握り、刀を正眼に構えた一芯が低く語る。
水の構え。
独眼竜と掛けている訳でもあるまいが、と竜軌は面白くもなく思案する。
一芯の狙い目は正しい。
竜軌も、坊丸も、揃って手負い。万全に戦える状態にない。加えて一芯は秀比呂とは異なり美羽を傷つけることも厭わない。思案は瞬きで終わり結論が出る。
「六王、起きろ。もう一働きだ。頑張ったら、…頑張ったらあとで、美羽に撫でてもらえるぞ」
それだけか、と言いながらも応じようとする神器の気配を感じ取る。




