難しいよ
難しいよ
ノックの音に、力丸はいつものように元気に答えた。
「どうぞっ!」
カラリと戸を開け、力丸と同年代の少年が個室内に入って来る。
ノンフレームの眼鏡をかけたにこやかな顔の右目は、細く走った傷で塞がれている。眼鏡のモダンの色は鮮烈に明るい青で、面積は少ないもののインパクトがある。
濃紺のベルベット地のジャケットを羽織り黒いスラックスを穿いた彼は陽気に左手を挙げた。下に着た白いシャツのボタンは一番上だけ開いている。
「や、りっきー。元気そうじゃん。いつもだけど」
「おおう、ぼんちゃん」
へらりと笑う少年に、奥州の雄と呼ばれた面影は一見、無い。
少年・佐原一芯は椅子に座った。
「何か大変なことになってるよねえ、陣中見舞いに来たよ」
「大変なこと?」
「ううんー、こっちの話ー」
一芯がへらへらと両手を振る。そっか、知らないんだ、と思いながら。知っていれば力丸と言えどこうも呑気に構えてはいられまい。
「調子どーお?」
力丸の掛布団に上体を乗せ、両腕を組んで上目遣いに問いかける。
「メシが足りん」
「順調だね、良かった良かった。僕のフィギュアも格好良い。良かった良かった」
むう、と力丸が面白くなさそうな顔になる。
「ぼんちゃんは、良いなあ。ずるいよなあ。クールなヒーローみたく言われて。あだ名が独眼竜だなんてずるいずるいっ。俺は悔しいし羨ましいしお腹減った」
「どれが一番、言いたかったの?りっきー。公も今生では名前に竜が入ってるじゃーん。あの時代、虎とか竜とかの名前、異名、ごろごろしてるしさ。僕はほんとにクールなヒーローだったけどね。ちょっと若いころは。うん。殺し過ぎたと反省してるけど…」
「あ、小手森城のな。やり過ぎはいかんぞ、ぼんちゃん。乱世と言うて、無闇に殺すのはいくない!」
「だね。あれで僕、だいぶ残忍なイメージついちゃったから。なんのかんの言ってもね、血を流したら相応の報いはやっぱりある。みたいな。自分の中に怨霊が住んじゃう感じ?だから濃姫のお気持ちは解らなくもなくてさ」
「そうだよなあ」
「かと言って、公がそう簡単に受け容れるとも思えなくて。ここはやっぱり、雪の御方の出番かなあとか考えるよねえ。でも旦那殺されかけたから、彼女の心境もいかに?て。ちょっと僕でもこの先を読みあぐねてるんだよ。りっきー」
一芯はしみじみと語るが、力丸の同意は最初から求めていない。
「ぼんちゃんはいっつも訳解らんことを勝手に一人で喋って勝手に一人で納得してるよなあ。俺は置いてけぼりだぞ?」
「あはは、だってりっきー、頭、悪いから」
「ううん。俺でも怒る時は怒るのだぞ」
一芯が斜め掛けしていた黒のレザーバッグの中から、おかきの入った袋を取り出して力丸に渡す。
「ううん。ぼんちゃんはやっぱり気が利く。良い奴だよなあ」
ぼりぼりぼり、とさっそく封を開けて食べ始める。
「りっきーほどじゃないよ。ねえ、他に食べたい物あったら持って来るからさあ、」
「うんうんうんっ!」
力丸が身を乗り出す。
「嵐下七忍、僕にくれない?」
にこ、と一芯があどけなく笑いかける。笑っていない左目を、おかきの屑を散らかしながら力丸は見据える。幾らナースに怒られても懲りるということを彼は知らない。
「それは俺には何とも言えんぞ、ぼんちゃん。荒太どのも真白様も、上様の家来とはちょっと違うからな。直接、あの人らに訊いたが早いぞ」
「…そっか。うち、あんま使える忍びとか間者とか細作とかいなかったからさ」
一芯が薄く微笑んで続ける。
「それ、全部同じ意味だな」
「うん。りっきーでも知ってるか。北条の風魔とまでは行かなくても、上杉の軒猿とか、武田の三ツ者とか、西のほうでは毛利の座頭衆とかさ、良いなーって思ってたんだよ。情報、大事じゃん?」
「わかるうー」
賛同の声を上げた力丸の両手に、一芯がいちごミルクのキャンディーをばらばらと落とす。力丸が早速、包みを開けて口に二粒、一気に放り込む。ぼりばりと盛大な音がする。飴は舐めないのが力丸のポリシーだ。それが男だと考えている。
「色々スカウトしようかなって考えてたら秀吉とか家康が国をまとめて睨み効かし始めたから、下手に動くことも出来なくなった訳」
「お家大事だからなあ」
「そ、そ。現代で新しい人材スカウトしようって見てみても、やっぱりあのころと比べるとなーんか劣るんだよねえ。技術じゃなくてさあ。何て言うんだろ。…ハングリー精神?気概?」
「スポーツ選手とかは?サッカー選手とか」
「そりゃハングリーかもだけど。僕に命懸けてくんない人種でしょ」
「おう。難しいなあ」
「難しいよ…こういう問題はね」
一芯は憂いがちに息を吐いた。
とにかくも濃姫は気の毒なことだと思う。




