泣けないから
泣けないから
六王は止まった。
坊丸の制止を振り切って、美羽は竜軌まで一心に駆けると彼のジーンズの裾を掴んだ。硬い鱗のような布地を握り締めた。
槍の切っ先は秀比呂の心の臓まであと数センチというところにあった。
「兄上……っ」
美羽の声に竜軌の身体が揺らぐ。
「あ、兄上、兄上」
竜のまなこが懇願する蝶を睥睨した。
「―――――――殺すなと申すのか。美羽」
秀比呂も、驚愕に瞳を見開いていた。
「…帰蝶」
「りゅうき、兄上、りゅうき」
瞼の傷の痛みを堪え、辛うじて目を薄く開け美羽を見ながら、坊丸はこれを伝えたものかと躊躇った。
「竜軌、兄上はとてもお可哀そうな人だったと。……そう、仰せであられます」
迷った末に主君に、坊丸は美羽の言葉を訳した。
「美羽。俺はお前に昔、侮辱を受けて引き下がるなと言った。この男はお前を辱め苦痛を降りしきる雨のように与え、苛んだ。引き下がるな。ここを超えて、俺と前に進め」
「りゅうき、」
「……血を流してはならないと」
「りゅうき…」
「あなたと離ればなれは嫌だと」
命を奪った事実はその者の魂に烙印を押す。
竜軌ならばそれを背負って歩めるだろう。笑えるだろう。
美羽を愛して幸せだと言ってくれるだろう。
弱さと紙一重の強者の位置に立てる男だから。
後悔しても泣ける強さを持たないから。
(でも駄目。あなたの幸せは、真ん丸でないと。私は許さない)
欠けたり、傷ついたりして損なわれることは見過ごせない。
竜軌に秀比呂を殺させてはならない。




