大変なレシピ
大変なレシピ
美羽は真っ赤な顔でメモ帳を見せる。
〝赤ちゃんじゃないんだから〟
竜軌は笑うだけで取り合わない。葡萄ジュースを自分の口に含むと、美羽の唇に唇を密着させる。しっとり吸いついて来る。
流れ込む果汁を、美羽は喉を鳴らして飲むことになる。
口移しで飲ませる必要はどこにもない。
「…ん、」
飲み終えると口元に流れた汁を竜軌が丹念に舐めるので彼の身体を突き飛ばすが、その力はいかにも弱かった。
先程と同じメモ紙を竜軌に突き出す。
「女と思うからしているんだ」
真剣な声で告げられる。
そしてまた葡萄の果汁を含ませられる。
竜軌はいつにも増して変だった。
美羽の茶碗に自分でご飯をよそうし、「ほら、開けろ」と言って「あーん」と食べさせて来る。
(あ、赤ちゃんじゃないんだから。変よ、竜軌。変)
「お茶だ」
そう言って竜軌が淹れてくれたお茶が目の前に出される。果汁の風味がまだ口に残っているのに。
目で彼の様子を窺うと、勘違いされた。
「飲ませてやろうか?もう少し冷めるのを待て」
違う違うとかぶりを振る。
竜軌がお砂糖になってしまった。これではお砂糖製の竜のフィギュアだ。
いけないことだ。良くないことだ。
(私のせい?律子先生)
二度目にひまわりを去る時、田沼律子は美羽に幸せになってね、と言ってくれた。
竜軌さんのことを好きでも、人としての規範や道徳は忘れないでお付き合いするように。流されて自分を見失ってもいけないわ、とも。
けれど竜軌と付き合っていると、彼を愛してしまうと、律子に言われたようなことが美羽の中で簡単に置き去りにされてしまう。
(高そうなセーターだってはさみで切っちゃったし)
あれはあとで随分、後悔したし、自分が怖くもなった。
竜軌といるとおかしくなるのだ。世界がまるで表情を変える。
愛すれば人は異世界に行くのだろうか。空飛ぶように。
(ちょっと怖いわ、律子先生)
「ほら、美羽」
「んん」
考えていると頬を指で挟まれ、緑茶が唇から注がれる。
竜軌の厚い唇は頑強な扉のように美羽の口にすっぽり覆い被さる。
(息が)
「――――――んんん、ん」
ぷは、と竜軌が唇を放す。
「どうした、熱かったか?火傷したか?」
真顔で心配そうに訊く男に何と答えれば良いのか。茶の温度は程良い温さだった。上等な茶葉は熱過ぎるお湯で淹れないほうが良い。ぼんぼん育ちの竜軌がなぜ上手にお茶を淹れられるのだろうか。言いたいことがあり過ぎて、真っ赤な顔のままで美羽は口をぱくぱく動かした。
「―――――りゅうき、」
「ん?」
「、いすき」
言うと美羽は急いで真っ赤な顔を両手で隠す。
隠していなければ輝くような、竜軌の笑顔が見られただろう。
「もう一歩だな、美羽。俺も大好きだぞ。ほら、柿を食べなさい」
手の間から口元に差し出された明るい色の実をかしゅ、と齧る。
よく熟れた実は甘いが今の竜軌ほどではない。
大きくて美しい、人に馴らされることのない誇り高い野生の竜に、想像以上に懐かれ、想像をはるかに超えて愛され、戸惑うようなそんな心地だ。
大変な相手を骨抜きにしてしまった。
(どれが手練手管だったの)
自分の言動を振り返るが、解らない。怒らせたり傷つけたりしたし、我が儘に振り回して呆れもした筈だ。
(燻製のお店は店休日だったし、竜軌に仕返しで襲いかかったし、お兄さんは竜軌の敵だし)
思い返してみると嫌われ、憎まれる要素のほうがたくさん出て来る。
塩、胡椒、唐辛子。
それらを入れたつもりが、砂糖を大量に煮込み料理に投入してしまっていた。
以前、真白が料理の失敗談を情けなさそうに語ってくれた。荒太が平気そうな顔で食べるから、自分も箸をつけるまで気付かないでいたのだと赤面していた。
美羽は真白以上にミラクルなレシピを生み出したと思った。
(え、媚薬?媚薬?チョコレートコスモス、遅効性の媚薬だったのっ?)
お茶を飲み終え、果物を食べ終えて盆を廊下に出した竜軌は内鍵をかけて美羽の隣に戻って来た。ぎゅうっと美羽を抱き締めて動こうとしない。
「美羽……」
熱っぽい声が美羽の混乱を助長させる。
(私が悪い、魔性の女だったから、竜軌を堕落させたの?)
しかしどのあたりが「魔性」だったのかも見当がつかない。
(溢れる色気。それは無い。竜軌が大好きなエロ要素。…多分それも無い。才色兼備、は真白さんみたいなのだし)
どれだったの竜軌っ、と頭の中で叫んでいると浴衣の襟元から手が入れられそうになり、あわわわわ、と慌ててはたき落す。
「…ああ、朝だったな。…今日は、朝はダメか」
とろりと酔っ払ったような声で竜軌が言う。
竜軌がイカれてしまったと思い、美羽は茫然自失となった。
〝糖尿病になる〟
抱き締められた状態で何とか書いた言葉は、パニック状態で生み出されたものだっだ。
「――――――え?」
竜軌が眉をひそめ、低くて怪訝な声を出した。




