蝸牛は思う
蝸牛は思う
歩行器に掴まり、荒太は懸命に、とにかく足を動かしていた。
一歩の進みが普段に比べれば信じられないくらいに遅い。
牛や蝸牛の仲間になった気がする。
(善きことは、蝸牛の歩みで動く。…ガンジーだったか。俺はせっかちだから、嫌だな、って思うけど、現実、どうしょうもない場合はあるな)
身体は重いしまだ頭も少し熱いし眠いが、歩く。
お供に引きつれた点滴台も賑やかで、荒太を励ましてくれているような気もするが正直、うざったい。
(俺の戦線離脱は新庄には痛いだろうが。それよりもまず、真白さんだ)
一歩、一歩、歩きながら考える。
真白は先程、眠ったまま、兄たちに連れられ帰って行った。
荒太の大好きな焦げ茶色の瞳が見られなかった。
だが彼女にはまず安静にして、身体の回復に努めてもらわなめればならない。
(そして俺は数日、食事と、水分と、真白さんを絶たなければならない……)
おのれ朝林、とそこで怒りが再燃する。
歩行を開始し始めてからずっと、足元でフレー、フレーと手と尻尾を振り続けている山尾に目を遣る。ここは病院内だが、妖の猫にそんなことは関係ない。極論を言えば国会議事堂だろうとホワイトハウスだろうとするりと入れる神出鬼没が身上だ。彼を拒絶する結界の前ではそれも通用しないが。
山尾の金色の瞳が荒太を見上げて光り、頑張って、と訴えている。
そしてフレー、フレーとグレーの毛で覆われた手と尻尾を振り続ける。荒太を励ましてくれているのは解るのだが、正直、うざったい。点滴台や歩行器をこの大柄な猫に当てたり引っ掛けたりしないよう気を遣うぶん、むしろ精神力が消耗する。肉球によってもたらされる癒しを差し引いても、消耗のほうが勝る。
「……山尾、…」
歩みを止めないまま呼びかける。
「はい、はいはい、何でしょう、荒太様!?」
「俺は良いから、真白さんのベッドの足元で丸まってあげてくれないか?毛を撫でさせてやったりして、真白さんを安らがせてくれ」
円滑に喋るのも一苦労だった。
「もちろんですとも、荒太様。何と麗しいご夫婦愛っ!」
気力を振り絞ってお得意の営業スマイルを浮かべた荒太に、猫は感激のだみ声を上げ、透明の髭を震わせた。荒太はやはりそのうるささに顔をしかめるのだった。




