生命を聴く時間
生命を聴く時間
目覚めて見るのがこの男の顔か、と荒太はがっかりした。
ナースと少し会話をしたようなしなかったような。
まだ曖昧模糊としている。
ここは処置室らしいが、こいつがいるくらいならどうして真白がいないのだろう。風邪を悪化させたのだろうか。頭が熱いのは自分自身も発熱しているからだろうと分析する。
「生きるか死ぬかのあとにふざけるんじゃないよ、お前は」
剣護が立腹した口調で言う。
「目え開けて最初の台詞が〝あら、テトロドトキシン〟ってどういうこと?」
「……テトロドトキシンは河豚の毒で」
「そういう話はしてねえ。殴るぞ、病人でも」
「真白さんは真白さん真白さんは真白さん、」
「俺は真白じゃねえし、真白はまだ寝てる、薬が効いてて」
「薬?」
「何も後ろめたくないこっちの話だ。…おー、おー、早速、睨んで来やがって元気だな、こら。点滴の管ぶらぶらぶら下げて凄んだって迫力ないぞ。バックミュージックがお前の心拍数知らせる電子音だし」
「…嵐に会った」
「そうか。元気だったか?」
「いやんなるくらい……。ナイス、ピッチングコントロール」
「…嵐ってお前の前生じゃなかったっけか」
「そうですよ」
「あれ?逢えるもんなの?昔の自分って」
剣護の顔がきょときょとと動く。
「そのへんの仕組みは俺にも解りませんけどね…」
「何でてめえがいやがるって顔してっから教えてやる。俺と次郎の必殺スマイル合わせ技攻撃でナースを悩殺した結果、我が儘が通った」
「知りたくもなかったですよ真白さん」
「だから真白じゃねえ。お前、切ったの頭?お腹じゃないの?」
「べらべらべらべらうるっせえー……。頬を鍵の先端で抉るな」
剣護が真白から貰った、小さな緑色のテディベアのキーホルダーのついた鍵を動かす手を止める。怜は色違いで貰った水色のテディベアのキーホルダーを鍵につけている。
「あ、やっぱ痛いんだ。でも残念だったなあ。とんでもぶうとうの通りにならんくて」
「あ―――――、開けたな。この野郎」
荒太が頭を大きく揺らす。点滴の管も揺れた。電子音がピピ、と乱れる。
「開けたさ。〝とんでもない異変〟だっただろうが」
「忘れろ」
「忘れないよ」
穏やかな声が落ちた。
「〝俺がもしも死んだら真白さんの隣で守れ、緑の目ん玉野郎〟」
「………それ、ピーターさんのことですよ」
「足掻くな。親父宛ての手紙を俺に託すことに無理がある」
息子と同じ緑の目を持つ剣護の父はアメリカ人で、名をピーターと言う。
「んでまあ、隅の隅っこにちまっと続きを書きやがって。お前という人間の小ささが出ている」
「読んだのか。と言うか読めたのか」
「次郎の必殺スマイル攻撃で以下同文。何でナースさんがルーペを持ってたのかは俺にも解らんから訊くなよ」
「忘れろ」
「いや絶対、忘れないっ」
ここは穏やかと言うより血走ったように力の籠った声だった。剣護の漲る決意が如実に表れている。
「〝めちゃくちゃ嫌だけど真白さんとの結婚も許す、クソ野郎〟。お前、言葉悪いぞ」
「リアルに想像したら腹が立ったんで」
「でも、あいつの為に書いたんだな。みみっちい字だったけど」
「………」
「忘れないよ」
声は再び穏やかに凪いだ。
二人はしばらく無言になり、荒太の命を知らせる電子音を聴いていた。




