月の慈愛
月の慈愛
ずっと何も喋らなかった真白が、花のような唇を動かした。
「…おかめうどん」
「喰いたいのか?しろ」
剣護が自然に訊き返す。
「ううん。荒太君が、…作ってくれようとしてた。今日の、晩ご飯。私が、二人で、前、外食した時。美味しいって食べてたからって。荒太君が。言ったの。お出汁を、美味しいお出汁を使うから、待ってなって。風邪に良いだろうから、白葱、良いの出てたから、買って来た。荒太君、言って」
「そっか」
「…かまぼことか、鶏肉とか、…し、椎茸とか、他にも、色々。入れるって。店で食べたのより俺が作ったほうがきっと美味しいよって、」
「そうだろうな」
真白が顔を覆った。
「解り切ったこと言うの」
「うん」
「絶対、美味しいに決まってるのに。解り切ってるでしょう、剣護?」
「うん。解り切ってる。けどあいつ、ちょっと莫迦だからさ」
「ば、莫迦じゃないわ、」
「うん。莫迦じゃない。ごめんなさい。泣くなよ」
小さな妹が横で泣いているようで、剣護まで悲しくなった。
頭をどんなに優しく撫でてやっても真白は泣き止んでくれない。
「真白」
清涼飲料水のような響きに、真白が泣き顔を上げる。
「次郎兄、」
剣護が太陽なら、怜は月のようだと真白は思っていた。
清かで慈愛深い、月のような兄が口を開く。
「夜の薬がまだだったろう。水を貰って来たから、飲んで」
怜が裸の錠剤とコップを真白に差し出す。
「…お薬、多い…?」
真白が子供のように頭を傾ける。
「また熱が上がったからね。慌てなくて良いよ。飲める?」
「ん、」
真白は大人しく錠剤を口に含み、水で喉に流し入れた。
数分経って、真白の瞼が段々と落ちて来る。
「次郎兄…」
「何?」
「…眠い……」
「眠りなよ」
怜が甘やかすような声音で言う。
「荒太君が」
「何かあれば起こしてあげる」
「――――――――やくそく、てくれる?」
朦朧とした意識で尚、せがむ妹に、怜は労わる瞳を向けて答えた。
「約束するよ。真白。おやすみ」
ことん、と真白は剣護の太腿の上に倒れた。長い焦げ茶色の髪が浮き、ベージュの椅子の上や剣護の膝下まで流れる。
緑の目は少しばかり呆れて怜を見ていた。
「……おい、次郎おー」
「泣き通すとますます、身体に負担がかかるだろう。太郎兄だって見たくない筈だよ」
「睡眠薬の副作用とか無いだろなあ」
「無いよ。医学部にいる悪友が保障してくれた」
「入手経路は怖いから訊かないって俺が言う前に教えるんじゃない」
剣護がむっつりした顔で真白の髪を撫でながら、弟の涼しい顔を睨んだ。




