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賢しら

賢しら


 本日は土曜日。

 つまり学生の休日であり、荒太と荒太の愛しい妻が在宅の一日である。

 学業の傍らで料理研究家としても活動する忙しい身の上の成瀬荒太は、そんな貴重な一日を神棚に乗せて祀りたいくらい大事に考えている。朝から機嫌が良く、鼻歌を歌いながらクッキーを焼いたりする。どのようにしてか匂いを嗅ぎつけて階下から訪問して来るお邪魔虫の門倉剣護には焼き上がった二、三枚を分け与えて早々に追い出す。

「真白さん、クッキー焼けたから紅茶淹れて」

「はい、荒太君。さっき剣護、来てた?」

「ううん?」

「そっか」

「早く、焼き立てが美味しいよ」

「あ、はいはい」

 笑顔で嘘が吐けるのは荒太の特技である。

 どこかの魔王とも共通しているのは本人にとって不本意なことだ。

(クッキーを食べたら、真白さんの唇もいただきたい。願わくば真白さんもいただきたい。……でも上手く誘導しないとな。真白さん、硬いから…。そこがまた良いんだけど)

 顔がふにゃあと笑み崩れる。若手イケメン料理研究家の宣伝文句が台無しになりそうな崩れ振りだ。

 アールグレイの良い香りがリビングに運ばれて来る。

 荒太の機嫌が良い日は真白も嬉しく、にこにこしている。

 夫婦揃ってにこやかにクッキーをつまみ、紅茶を飲む。

(なべて世はこともなし)

 空から槍が降ろうが誰が泣こうが真白が笑っていれば荒太はそれで満足なのだ。

 いけ好かない魔王とは、この点が若干異なる。

(あいつは美羽さんが一番大事だろうが、俺ほどには他が捨てられない。冷酷無比な面しながら頂点に行けたのは、だからだ)

 荒太も嵐下七忍の存在を重んじてはいるが、場合によっては切り捨てることも肝要だという持論は譲れない。兵庫たちはそれを知った上で忠誠を尽くす。

(武士と忍びの違いかな。…情の部分は真白さんが有り余ってるしな)

 絶対に切り捨てようとしない真白は、荒太に欠落したものを持っている。

「愛してるし尊敬してるよ、真白さん」

 脈絡なく口に出す夫に、ティーカップを持った真白が小首を傾げる。

「私も、大好き」

 恥じらいながら返してくれる妻に荒太は破顔する。

「大好きだけど、荒太君」

「だけど何!?」

 逆接に荒太が過敏に反応する。左手がクッキーの置かれた皿に当たり、ザラ、と音が鳴った。

「…荒太君、兵庫のことも好きよね」

「――――――――いや?そうでもないよ。信頼はしてるけど」

 ドライな本音だ。喰えない男だとも考えている。

「…戦国時代って、現代とは価値観が違うでしょう」

「それは、そうだね」

 話の方向性が見えないので真白の様子を窺い窺い、答える。

「男性同士の主従関係が、愛情の関係と繋がってたり」

 うすらぼんやりと有り難くないものが見えて来た。

 荒太の腕はざわざわと鳥肌が立っている。

「荒太君、もしかして兵庫じゃなくても、黒羽森とか山尾とか片郡(かたこおり)とか凛とかと、」

 嵐下七忍の男性陣の名前が出揃ったところで荒太が待ったをかけた。

「うわわわわわ、さーむーいー、やめてよ真白さん、俺は前世からノーマルでしたっ!」

 両腕をセーターの上から激しくさすりながら叫ぶ。

 何が悲しくて真白にそんな想像をされなければならないのか。

「そうよね。…女の人とだけよね」

「うんそう――――――――いや?」

 荒太は笑顔で嘘が吐けるが、真白の焦げ茶色の瞳に覗き込まれると嘘が下手になる。

 そして彼は今、嘘が下手になる状況に追い詰められていた。まさか前生のツケがこんな天気の良い日に回って来ると誰が考えるだろう。ベランダには真白が干した洗濯物がはためいている。

「………嵐どのは、兵庫に劣らず女性に人気だったものね…」

「いや、そんな、ことは。若雪どのを愛してたし!!」

 後半部は断言する。

「うん、知ってるけど。…たくさんの女性と、仲良しだったのも知ってる…」

「待ってっ。謝るから泣くのは勘弁してっ、何でも買ってあげるからって言っても真白さん俺より物欲乏しいし!何でこうなったの!?」

 真白をいただく云々という、クッキーより甘い考えは彼方に吹き飛んでいる。

「ごめんなさい、私も初恋の人がいたから言える立場じゃないけど」

「そこを認められるとますます逃げ場が無くなるっ」

「私もまさか先輩が蘭とラブラブだなんて思わなくて」

 話がちょっと飛んだ。

「……新庄と成利どのが何て?」

「…ラブラブ」

 真白が堪え切れず伏せていた顔を上げて答える。やっぱり綺麗だなと荒太は頭の片隅で考えた。

「――――――――嘘」

「荒太君も知らなかったの?」

「…うん」

「…嘘。私、てっきり男の人たちが結託して隠してたのかと思ってた」

 て言うかガセでしょう、それって、と荒太は言おうとしてやめた。

 利用法を思いついたのだ。

「―――――俺は知らなかったよ。ひどい奴らだね。美羽さんが可哀そうだ」

「うん。どうしよう。彼女、先輩のこと本気で愛してるのに」

「俺からあいつらに話をつけるよ」

 真白が頼もしい夫の発言に目を見張る。

「本当に?でも、蘭はともかく、新庄先輩が簡単に引くとは思えない」

「大丈夫。俺を信じて。保証する」

 つまり無いものを無いものにするだけの話だ。

 良心さえ持ち合わせていなければ簡単な芸当だった。

 荒太は真白から得られる、より多くの愛情と、蘭との友誼を秤にかけ、迷うことなく前者を選んだ。

「…ありがとう」

 ちら、と良心が痛むがその相手は蘭ではなく感謝に目を輝かせている最愛の妻だ。

「お礼なら他に欲しいものが」

 それでも荒太は躊躇いなく口にした。彼はずる賢く、同時に掛け値なく真白を愛していた。



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