下天の内
下天の内
病院からの帰り、美羽は心ここに在らずの風情だった。
竜軌は特大のおさるさんを持たなくて良い解放感を味わっていた。
自由って素晴らしい。だがナースたちの笑い物になってしまった。当分、力丸の見舞いには行きたくない。
「美羽?」
「りゅうき…」
〝ランスロットは、強いわね。片目をなくしても笑ってた〟
「そう言っただろう」
〝フィギュア、気に入ってたわね〟
雲行きが怪しくなって来た。
「…うん」
〝他の武将のも、買ってあげて〟
ほら来た、と竜軌はげんなりする。
〝ついでに私にも〟
「ちゃっかり便乗してそこに繋げるな」
〝マダム・バタフライは武将フィギュアに目覚めたのだ〟
「何も見なかったことにする。すごく面倒臭いし財布に響きそうだ」
〝買って買って買って、力丸にも〟
美羽がパンプスでタシタシタシとアスファルトを踏む。
通行人が、シャープな顔立ちの美少女の仕草に目を丸くしている。
「子供か。あと、ついでの対象が入れ替わってる。…例えばどんな武将が良いんだ?それにもよるな」
〝徳川家康、豊臣秀吉、武田信玄、上杉謙信、おぶとらまさetc〟
「最後にマニアックなのが出たな。飯富虎昌のフィギュアは厳しいだろう」
〝躑躅ヶ崎館〟
武田信玄の居城である。
「人でさえない。なぜ躑躅が書けて飯富虎昌が書けない。あと、肝心な武将が出てないな」
「りゅうき!」
〝そうだ、忘れてたわ、立花宗茂!〟
「俺は時々、お前が全て承知した上で俺をおちょくってるんじゃないかと思う。何でまた、マイナーに走る」
〝マイナー、違う。とっても優秀な人だった。そうな?〟
「何だ、最後のクエスチョンマークは」
〝秋月氏を携帯で調べてた時、ヒットした名前。うろ覚え〟
「美羽。よおく考えろ。戦国武将と言えば、誰しもが思い浮かべる重要人物がいるだろう?」
美羽が、おお、という顔になる。
〝忘れてたわ、尾張出身の有名人。これを忘れるなんてどうかしてた〟
「そう、そいつだ!」
竜軌は美羽の顔を指でビシ、と指してやれやれ遠い道のりだったなと思った。
大体、織田信長の名前が最初に出て来ないのがおかしい。
〝名将、加藤清正。がおーっ〟
美羽がペンとメモ帳を持った両手を使い、吼える虎の物真似をする。
「―――――もう良い」
「りゅうきーりゅうきー」
〝冗談冗談、あーおだのぶながね、はいはいはい〟
「ものすごいおざなりに言うな、漢字で書けっ、嫌いなのか、信長!!」
〝だって乱暴で野蛮なイメージがあるもの〟
「いや、そればかりではないだろう。経済政策とかでも手腕を発揮したんじゃないか?…不思議そうに首を傾げるな。学校で習っただろう」
〝今で言えばワンマンな企業のボスよね。ああいう人の奥さんは苦労するのよ〟
「おま――――――」
「りゅうき、」
〝お腹空いたー、何か食べようよー。ハンバーグか天丼がいい。天丼なら海老はしっかり身が詰まってるやつね。衣でごまかしてるのはダメ。それからチョコレートパフェを食べて、フィギュアを買って帰ろう。完璧な計画!〟
竜軌は美羽を愛しているし可能な限り大切にしたいと考えてもいるが、時折、無性に、細い首をぎりぎりと締め上げたくなる衝動に駆られる。
(旦那も大変なんだぞ、美羽)
会話を勝手に締め括って竜軌の片腕にぶらんとぶら下がり、脚を浮かせて面白がっている様子は、奥さんと言うよりただの子供だった。人目を憚らない行為はある意味称讃に値するが、大人としてこんな風には決してなりたくないと竜軌は思う。
いつの日か、美羽に自分が味わった脱力感や疲労感を思い知らせてやりたいとも思うものの、竜軌には美羽のように莫迦な真似を大盤振る舞いすることは出来そうになく、彼女に思い知らせる手段が浮かばないまま一生を終えそうな気もした。
(人間五十年…)




