読解能力
読解能力
湯沸かし器から出る温かいシャワーで、怜は食器を洗っていた。茶碗や丸皿、マグカップに湯呑みなど、ずぼらな人間と暮らしていると、汚れ物がすぐに溜まる。専ら片付けるほうの身にもなって欲しい。大学から疲れて帰って洗い物の山を見ると、更に疲れが倍増する。せめて料理が出来る相手で良かったと思う。
(晩ご飯、何だろな)
ずぼらな同居人の兄から声がかかる。
「なー次郎、次郎」
「何、太郎兄。借金はもうきかないよ。あと、食べ終わった食器はちゃんと水に浸けといて。食べかすがこびりついて取れなくなるだろう」
スポンジを動かしながら早口で答える。
「…お前のこと、今度からお母さんって呼ぶ」
「そんなこと言う兄に教える勉強は無い」
カチャ、カチャ、と手際よく食器かごに洗い終わった皿などを置いて行く。
「もう言いません。次郎先生、お勉強を教えてください」
「うん。良いよ」
濡れた手を拭くと、怜は大検を取るべく勉強中の剣護を振り向いた。
またリビングテーブルに教材を広げて、と呆れる。
自室でやるほうが集中出来てはかどるだろうに、剣護は胡桃材のテーブルの上で勉強するのが好きだ。大きな身体で寂しがり屋な性分だった。
(これで高校時代は首席キープしてたんだから)
人間は意外性だ、と考えながら剣護の手元を覗く。
剣護はシャーペンを逆さにして焦げ茶色の癖っ毛を掻いていた。
「これ。ここの、揺れ動く女心の解釈が理解出来ない」
「ああ、太郎兄は捨てたが賢明な問題だね」
あっさり言い切る。
「おっまえ、感じ悪いなあ!」
剣護が投げる消しゴムを右手で掴んだ。
「文章読解はフィーリングで解らないなら無理だよ。悩むだけ時間が勿体無い。他の問題で挽回すれば良い」
「そうなー、ま、賢いなあ。いやでも、うちに大学院を目指す学士様がいると助かるね、勉強が進むわ」
「まだ学士じゃないけど。俺もこの苦労がいつか遠い遠い将来に実を結ぶと信じるよ」
「なー、次郎、次郎」
「どの問題?」
「俺さ、よっしーに似てたりする?」
「…どこのよっしーさん?」
剣護にそんな知り合いがいただろうかと怜は不思議に思った。
「斎藤さんちの」
「…義龍?フレンドリーな呼び方をやめろ」
「似てる?」
緑の瞳は逃げを許さず、怜に尋ねて来る。
「――――――――冗談でも聴きたくないよ、太郎兄」
「だな。わりい。俺の甘えだ」
怜にとって、前生における兄と弟妹より大事な存在はいない。
前生から惹かれ合う、兄と妹を見て来た。
(時々、成瀬がいなければ話は簡単なのにと考える。俺は冷たい人間なのかな、真白)
「お前は良い奴だな、次郎」
不意に剣護がそう言う。ドキリとするようなタイミングだ。
「冷蔵庫のプリンならあげるよ」
「ラッキー!じゃなくてさ、お前は昔から思い遣りのある男だった。俺は、そのことをよく知ってるよ」
怜は緩い息を吐く。
穏やかに淡々と人を包むのだ、この兄は昔から。
「………ありがとう。あのさ、太郎兄」
「んー?」
「問題用紙にお化けの絵を書かないで。…お岩さん?」
「ひでえなあ。これ、真白だぜ?ほらこの、目が涼しげでキラキラしてて、髪がサラサラロングなとことか、そっくりだろ?我ながら、あいつの清楚な雰囲気がよく出てると思うんだ」
「芸術音痴に磨きがかかってる。あの子には見せるなよ」




