はるかなる昔日
はるかなる昔日
〝父上、兎の子を捕らえましてございます!父上に差し上げまする〟
濡れ縁に立つ父に庭先からそう言うと、父は不快そうに顔を歪めた。
〝…お主には、情けが無いのか。豊太丸〟
言い捨て、障子戸の向こうに消える。
豊太丸の心は冷めて、硬く重く沈んだ。
もこもこと、両手の中で動く命の塊を憎み、お前のせいだと胸中で詰る。
そんな道理は無いことなど、自分が一番よく知っていた。
親に愛されぬ子は悲しい。
豊太丸は己の悲しさを知っていたが、ではどうすれば良いのかまでは判らなかった。
動かない自分の上衣の裾が、くん、と引かれる。
〝兄上。それ〟
愛らしい顔が豊太丸の手の中を覗き込んでいる。
〝…兎の子だ。そなたが飼うか?〟
大きな目をした妹はかぶりを振った。
〝飼わぬ。厨に持って行き、食べましょうぞ〟
幼い女の童の言葉に豊太丸は驚く。
大抵、この年頃の女の童は、稚く愛らしい物を撫でるなどして喜ぶ。
大人が食べようなどと言い出せば、目に涙を溜めて可哀そうと止めるのが常ではないのか。
〝……哀れとは思わんのか〟
〝なぜ?捕らえた獣を喰らうは、人の礼儀。兎の子とて同じです〟
〝――――――そなたは賢いなあ、帰蝶〟
〝うん。それにな、兎はその昔、室町将軍が美味なる物として、親王様にも贈られたそうです。親王の召された美味、私は、いたく興をそそられまする〟
〝物もよう知っておる。帰蝶は賢く、長ずれば美姫となろうな〟
〝左様あいなりまする。兄上も、帰蝶のような美姫を娶られませ〟
〝そう致そうか。さても難題であるな〟
胸の内がちり、と痛み、変だなとその時思った。




