獣
獣
福岡市天神の街中を美羽はきょろきょろ見回した。
〝フタタ、天ぷら〟
「美羽、はしゃぐのは解るが、目につく文字を書いてたらきりが無いぞ」
「りゅうきっ」
〝郵便局!〟
「うわあ、ほんとだ。すごいなあ。これで良いか?…腹が減った。夕飯前に何か喰おう」
「りゅうき、」
〝おごちそう?〟
「俺はお御馳走じゃないぞ。夕飯な。ホテルのディナーだから、まあそれなりに。一階のレストランで喰うからな」
胡蝶の間では畳に座っているだけでお御馳走が出て来るが。
「レストランにはその靴を履いて行け。外国ほどでは、」
そこで竜軌は不自然に言葉を切った。横断歩道を渡っている最中だった。
人々が気忙しく移動する中、竜軌だけ、動きが緩慢になった。
顔を見上げると、眉間に険しい皺が寄っている。
「りゅうき?」
「…ああ、外国ほどではないが、レストランでは客の履き物で接客態度が変わったりするんだ」
〝感じ悪いわ〟
「そう言うな」
窘める一言を最後に、竜軌は口が重くなった。
賭けではあった。
腕力で勝る相手の刃を全力で押し返す。
その全力を、水道の蛇口を締めるように、削ぐ。
ごく、ごく僅かに。雫の一滴、減らす容量で。
微細な力加減は瞬く間の勝負だ。
バランスを損ねれば、鬼雲が力丸の身を腰までも深く斬り下げるだろう。
命が終わる。
そして力丸は賭けに辛くも勝利した。
(…見えにくい)
間合いを取り清流を正眼に構えるまで、立場を五分に近付けたものの、頭の左側が熱い。
血がボタボタと滴っていて、左目の視界が赤く染まっている。
瞼を一度閉じる隙も今は見せられない。
(閉じれば二度と、開くまい)
思考はこの際、邪魔だと捨てることにした。
地を蹴り、胴を狙うが弾かれ、返す刃を秀比呂がかわす。
かわして、僅かに体勢が乱れたのを見逃さず足を払う。
これも秀比呂は後ろに跳んで避けるが、清流はしつこい狩人のように追った。
胸を浅く一閃。秀比呂が眉根を寄せる。
力丸の攻勢は捨て身のようだった。
彼の左顔面は尚、血の滝の有り様だ。流れ止まぬ紅。
荒い息は秀比呂の耳にも聴こえる。
目は炯炯として。
(窮鼠どころではない、獣だ。この男、死ぬ気か―――――――?)
ならば殺すか、と秀比呂は思った。
薄皮を剥いで行くように、一人一人を殺して、繰り返せばいずれ蝶に辿り着けると言うのなら。
獣のような少年の首を目がけて、鬼雲を振りかざした。
愚かな若者だと憐れみの念が湧く。
力丸のずっと後ろに、座り込んでいる少女が目に入る。
彼が死ねば泣くのだろう。




