幸せは許されている
幸せは許されている
次の区画に足を進めた竜軌の背中の輪郭が、柔らかくなった。
美羽の目にそう見えた。
暗い淀みや厳しさが消え、ふわりと光が包むように。
一体、彼は何を見たのだろう。
美羽を振り返った竜軌は、優しい微笑みを浮かべていた。
先程までの翳りは無く、温かな愛情が湛えられている。
「美羽。ここにおいで」
手招かれ、赤い靴を動かす。
そこには。
広く白い壁を飛翔する、蝶の群れ。
緑、青、白、黄、黒、目まぐるしくも鮮やかな色彩。
色んな模様、柄。
どれもが高みを目指している。
上を。
美しくて煌びやかで、宝石のような蝶たち。
ポリエステルと羊毛、ワイヤーで作られているとある。
彦根愛という作家の作品だ。
お風呂に張った湯に、一個の四角い氷がポチャンと落ちる音が聴こえた。
飛び立つ蝶の群れを見た瞬間、心に凝った何かが氷解したと美羽は感じた。
緩んで、融けた。
美羽の目に涙が浮かぶ。浮かんで頬を滑り落ちて、また浮かぶ。絶え間なく。
「来て良かったな。美羽」
竜軌が美羽の頭を撫でる。彼の声は、美羽の涙の理由を知るように優しい。
飛んで良いのだ。
過去の傷を、いつまでも哀れ深く抱いていてやる必要はない。
解き放ち、飛び立てと声が聴こえる。
まっさらな未来へ。
赤い靴がコツ、と一歩前に進んだ。




