読書の秋
読書の秋
森力丸長氏こと佐野風人ことランスロットが新庄邸の長い廊下を、せんべいをくわえて歩いていると、身体が宙に浮いた。
空中浮遊、ではなく、後ろから首根っこを掴んで持ち上げられたのだ。
何奴、と思い頭を後ろにねじると、そこには主君の顔があった。
「ムマママッ」
顔を輝かせ、彼はそう言った。
正確には、「上様」と言おうとしたがせんべいをくわえていたので、それが果たせなかったのだ。
「マ、マ、マ、マ、ムママママ!」
本人はちょっとお待ちください、と言ったつもりで、それから力丸はまず、せんべいの完食に努めた。バリボリボリ、と盛大な音が響く。磨き抜かれた艶のある木の廊下にせんべいの欠片がボロボロと落ちて行く。家政婦あたりが見れば悲鳴を上げそうな光景だが、竜軌にも力丸にも後始末の考えは無い。
その現場に出くわした新庄家執事は、何事も見なかった表情で立ち去った。
竜軌は執事に一目置いている。きっと彼は宇宙人に遭遇しても、「旦那様に取次ぎをお望みでしょうか」などと丁寧に訊くのだ。せんべいを見捨てることなく、主君より優先させる力丸の図太さにも、一目置いている。莫迦は生まれ変わっても莫迦だな、と思う。
「失礼致しました、ごちそうさまでした。それで、何のご用でしょうか、上様っ?」
ぶらーんと、竜軌の手にぶら下げられたままの状態で、無邪気にそう訊いて来る。
「…お前は美羽に似て莫迦で可愛いと思う時がある」
「勿体のうございます!」
「首が痛くないのか」
「はい、痛いです!」
「だろうな」
放してやった。力丸は地に足が着いた。首は痛かったが、ぶら下がり状態を、実は彼は楽しんでいた。敬愛する主君はさすがの腕力である。今度またしていただけないだろうか、と考えないでもなかった。
改めて竜軌に向き直る。
ご用は何ですか、と輝く瞳が竜軌に尋ねて来る。
「アーサー王物語は読んだか?」
「はい!」
「……あれは小難しい。お前には読破が面倒だったと思うのだが」
「いえ、坊丸兄上が、お前にはこれが読みやすかろうと薦めてくれたのがありまして。完全読破、致しましてございます」
胸をはり、意気揚々と答える。
「ほう。途中で寝こけずに読んだか。それは偉いな」
「は!有り難きお言葉!」
「…何てタイトルの本だった?」
「は!『アーサー王物語・お子様向け』、でございました。当初はこのタイトルにムッとしまして兄に抗議しましたが、今生で十六歳は未だ子供の内と諭され、得心致しましてございますっ」
「…得心したのか」
「はい。お子様、と尊称もついておりましたゆえ。カラフルな絵が一杯で、面白かったです。ランスロットは、やはり強くて勇敢で騎士道精神に溢れ。模範とすべき人物と思いました」
にこにこと力丸が笑う。お日様のように明るい笑顔だ。
竜軌は右手で自分の顔を一撫でした。
(こいつの相手をしてると毒気が抜ける)
人徳の一つだろうなと考えてみる。
(力も抜けるが)
竜軌でさえ、莫迦な子ほど、という言葉が解る気がして来るのだから不思議である。
「今度、ちゃんとした本を貸してやる。大人向けのな。お前は読む必要がある」
「何と。痛み入ります!」
「もう行け」
「痛み入ります!」
「うるさいよ」
大人の仮面が剥がれ、本音を洩らしてしまった。




