アジト候補
アジト候補
靴屋の入口一面は真っ赤なペンキが塗られている。
赤い板に黄色のテープのようなもので、「手ぬい靴」、「半額」とある。
目立つ。
店内に入れば「値下げしました」と太いマジックペンで書かれた白い紙が、シューズなどの並ぶ中央手前の台にぺらりと貼ってある。値下げ感が出ている。
美羽は、今はまだ出番の無いストーブの横の布張りのソファに座り、店主の妻の話を聴いていた。初めは彼女ご贔屓のプロ野球チームが、どうも今年は振るわなさそうだ、という話から始まり、話題は彼女の父のことに移って行った。
「背がとってもちっさくてね、私くらいなの。昔の男の人でも小さいほうよ。アイロンかけのお仕事してたんだけど、それが米軍の捕虜になった時に幸いして。米兵の服を洗ったり、アイロンかけるのが上手だっていうんで、大事にされたらしいわ。父の名前を呼び捨てにした人間を、米兵さんが注意したりしてね」
美羽は薄くて甘いコーヒーを脇に置き、ペンを取る。
〝芸は身を助ける〟
妻が得たり、と頷く。
「そう、その通りよ、美羽ちゃん。うちの主人だって、手仕事一つで大黒柱だからね」
店主は妻が喋っている間は黙って手を動かして作業している。
靴屋の仕事は格好良い、と美羽は思う。
探検団のアジトの一つにしてはどうかと、今度皆に提案してみよう。
店の奥に置いてある、いかにもアンティークな重厚感を漂わせた鈍く光るミシンも、秘密めいて胸がときめく。
あれの横に、真紅のドレスを纏ったマダム・バタフライが脚を組んで拳銃を片手にポーズを決めると、もう最高にクールではないか。
俺が話しても良いかなと言う具合に、店主が美羽に封筒から出した紙を見せる。
「美羽ちゃん美羽ちゃん、見てよ、これ」
〝車検?〟
「の、見積り。二社のね」
〝一万近くも違うわ!〟
「そうなんだ、たまげるよねえ?これ、一社だけ見てたら高いほうでも選んじゃうよ。やっぱりあれ、セカンド・オピニオンって言うか、比較検討は大事だよ」
〝そう思うわ〟
りゅうきと言えるようになったと伝えた時、靴屋の妻は、あらじゃあやっぱり、りゅうちゃんのお嫁さんになるのね、と、これまたあっけらかんと言って笑った。
美羽はこれを聴いて、前とは異なり、首を横に振らずに笑って見せた。




