悲しい鋼
悲しい鋼
人は大人になる、と孝彰は思う。
蛹から蝶が羽化するように。
目の前のソファに座る少女は変わった。
「言葉が出せるようになったそうだね。帰って早々、文子から聴いたよ」
頷く美羽の目に、以前よりも強さを感じる。
強さと、培われつつあるゆとり。
大人であっても、政治家であっても得難いものだ。
〝お話があって、伺いました〟
「うん。そう聴いている。何だろう」
同じ言葉をあらゆる人間に言って来た。
そして語った人間の声をある時は肯定し、ある時は否定し、ある時は聴かなかったことにした。
〝あなたは、どうしたら、私のお父さんになってくれますか〟
孝彰は心中の一部で驚き、一部で驚かなかった。
「―――――君は、私を父としたいのかね。なぜだ?」
〝竜軌がそれを望むから。あなたが私を認めないと、彼は怒りながら悲しむ。それが、辛いから、です〟
「竜軌の為か。美羽さんが、父親を欲している訳ではないと」
美羽は孝彰の顔を見た。
亡き父とは少しも似ていない、竜軌によく似た強い人の顔を。
〝お父さんと呼ばせてもらえるなら〟
続きを美羽は書かなかった。
「君に条件を提示して、それを賭けるのはやめておこう。竜軌と同じで、君はどんな条件も達成してしまいそうだ。…私は息子を諦めない。それが竜軌の為だとも考えている。君の考える竜軌の為に比べれば、俗なんだろう。だから美羽さんに父と呼ばれることも、受け容れられない。私を、非情な人間だと思いますか」
〝いいえ。悲しい鋼とも、厚いガラスとも、そう思います〟
「そうですか。…詩人だね」
美羽が退室すべく樫の扉を開いても、孝彰が息子の名前を呼んでくれと頼むことはなかった。
孝彰は、テーブルに載った厚いガラスの灰皿を見た。




