玻璃細工の蝶の声
玻璃細工の蝶の声
竜軌の喉の皮膚に、息が触れた。
初めは「りゅ」の音、そして口をすぼめて音を伸ばし、「う」の音、最後に、唇の端を真横に開いて、「き」。
竜軌が刺された時、声を上げた美羽は無我夢中で、どうやって発声したかすら覚えていなかった。けれどその日以来、鏡の前で何度も、「りゅうき」と口を動かす練習をした。
胡蝶の間に帰ってからは、あの美しい鏡台の前で。
その成果をどうしても今、発揮しなければならないのだ。
(お願い。お願い)
私の竜に。
風を鳴らして。空気を震わせて。
「…りゅうき」
その声は高くもなく低くもなく、少しかすれていた。
妙なる響きとは程遠いことに、美羽は失望し、また、失望させたのではないかと恐れた。
「りゅう、き」
もう一度、呼んでみる。
今度はさっきより澄んでいたが、途中で引っ掛かった。
思ったより難しい。
竜軌は微動だにしない。
聴こえていないのだろうかと、不安になる。
「りゅうき?」
悲しい響きになった。
自分でも解る。
返せるものはこれくらいだと考えたのは、間違いだっただろうか。
(私の声はあなたにとって、そんなに、価値は無かった?)
涙が滲む目元を、竜軌の喉にこすりつける。
(ごめんなさい、これしかないの)
風が小花を揺らし、一層、甘い香りが漂い二人を包む。
甘さが、美羽をもっと悲しくさせる。
「知っているか。お前は、俺が与える以上のものを、俺に与える」
柔らかく地に落とすような竜軌の声は、いつも通り低い。
美羽の涙が止まる。目の前には、竜軌の黒髪。
そして見なくても、彼の黒い瞳がどのような表情を湛えているか、美羽には解った。
竜の宝珠に託された願いが竜自身の願いをも叶えた。
追い求めていた、ずっと。
それは宝珠以上の宝。
玻璃細工の蝶の声
「……お前を愛しているよ、美羽」
竜は初めて愛を音にして伝え、蝶のくれた声に報いた。




