お説教その三
お説教その三
帰宅するなり、胡蝶の間に足を向ける暇も与えず執事が、旦那様がお呼びです、と竜軌に告げた。
「明日にしろ。疲れている」
「早急に来なければ考えがある、とも仰せです」
「……」
常に紳士であろうと心がける父親が、またやけに強硬だなと思いつつ、竜軌はカメラバッグを下げたまま孝彰の書斎に向かった。
いつも通りノックせず樫の扉を開けるや否や、孝彰の第一声が飛んで来た。
「見合いをしなさい」
竜軌は黙って扉を閉める。
「起きたまま寝言が言えるのか。あんた、器用だな」
「家に引き取らせまでした女性の性癖を隠し通す、お前ほどではない――――――彼女はいつから床下が好きだったんだ?」
竜軌は眉間に皺を寄せた。
「まさか美羽の話か?」
「残念ながらそうだ」
「…美羽が、床下から?」
「出て来た。地中から引き抜かれる、大根のように」
孝彰が苦々しい顔で頷き、竜軌はこめかみを押さえた。
(あの莫迦娘が――――――)
最近、撮影に集中している時は、音をシャットアウトしていたのだ。
お蔭で蝶の秘めたいたずらにも気付かなかった。
「何か探し物でもしてたんだろう」
「そうかもしれない。露人君や風人君や、真白さんまで動員していたくらいだ、さぞ大事な探し物だったんだろう」
竜軌が溜め息を吐く。
悪ふざけなら、もう少し孝彰の不興を買わないものを選べと美羽に言いたくなる。
孝彰は品の無い物事が嫌いだ。
「…勘弁してやれ。俺が相手をしてやらんかったんで、暇を持て余していたんだ」
「小人閑居して不善を為したか」
「おい、後生大事にしてる、紳士の皮はどうした。美羽を愚弄するな」
いつになく穏やかでない父親を、竜軌は宥めつつも釘を差す。
「見合いをしなさい。床下から出て来ない女性と」
「しない。賭けの話を忘れたのか」
「この際、忘れてしまいたいものだ。彼女はうちに問題を振りかける、床下から出て来る、お前はスワンボートに乗る!おかしいだろう」
「最初のと最後のは、美羽に非は無いぞ」
「ではお前が彼女を誘ったのか?スワンボートに乗ろうと?」
「……落ち着け。ちょっとそこに拘り過ぎじゃないのか。諧謔を解する度量も、政治家には必要だろう」
「生憎と、他人の家の床下に潜り込むような、礼儀と常識を軽んじる諧謔は好きではなくてね」
「あんたにとって美羽はまだ他人か。この先もずっとか?俺をあんまり、失望させるな」
孝彰は肘掛け椅子に浮かせていた腰を下ろした。
机に置いた家族写真を見る。
冷めた面持ちの竜軌。
「お前は、そんな男ではないだろう」
期待と畏敬と落胆がその声には籠っている。
では愛情はどうだろうな、と竜軌は考える。
美羽に出逢うまで深く考えたことはなかったし、必要性も感じなかったが。
今でも別に要らないと思っている。だが蝶が聴けば、それでは寂しいと言うのだろう。
「もう俺を諦めろ、親父」
幾らか物柔らかな声を出した。




