雄弁
雄弁
広い家の給湯室に美羽は駆け込んだ。家の中を走り回れるという事実が信じられない。
本当は庭に、外に出たがったが、どこが出口か解らなかったのだ。
流しと給湯器の横のコンロに薬缶が置かれ、揃いの艶のある湯呑み茶碗が食器かごに並んでいる。
明るい色目の、木調のテーブルの上にはポット。
馴染んだ施設の感覚を思い出して、少し気持ちが落ち着いた。
だが配置されている水屋箪笥は施設のそれとは物が違う。美羽の目にも判る。
引き戸の種類も一つではなく、光沢のある、重々しい年代物に見える。
材は欅とか、檜だろうか。よく判らない。
「美羽さん」
追いついた真白は息を切らし、困惑していた。
この人を困らせたくはないのにと美羽は思う。
「さっきのは、新庄先輩が悪いわ。あの一発で許してあげて。本当は彼、あなたに逢えてすごく嬉しいのよ。自分の手の届く場所に、あなたがいてくれて」
〝嘘!〟
美羽はメモ帳を突き出した。唇も同時に突き出ている。
「本当」
間髪入れず、真白は真剣な眼差しで答えた。
彼女の目は竜軌のような漆黒ではなく、もっと印象の柔らかい、綺麗な焦げ茶色だった。
真白は声以上に、目で言葉を紡いでいた。
こんな通じ方もあるのだ。
「…極端な言い方をするけど、許してね。例えば、あなたが亡くなったとして。そのことを世界で一番悲しむのは、新庄夫妻でも私でも、施設の人たちでもない。新庄先輩よ。きっと嘆く余り、自暴自棄になるでしょうね」
真白の目に浮かぶ哀れみを、美羽は信じられない思いで見た。
〝嘘〟
それではまるで、愛妻を亡くした夫のようだ。
「本当。私は、そのことを知っている」
真白は揺るがぬ目で言い切った。その目の紡ぐ真実を、美羽は見て取った。
だがそれはまだ彼女にとって、実感から程遠い真実だった。
混乱した頭で目を上げると、給湯室の入口に竜軌が立っていた。