口癖
口癖
「美羽様。それはなりません」
それが文子に紹介された家政婦・藤原マチの口癖だった。
少なくとも美羽はそのように受け取っていた。
彼女の何が美羽にとって厄介かと言えば、撮影に出かける竜軌の為にお弁当を作ろうとすれば、例の口癖を以てして壁のごとく立ちはだかることであった。
なぜ自分の行動を妨害するのか、その疑問を美羽が不満と共にマチにぶつけると、「やんごとないご婦人はそのようなことはなさらないものです。どうぞ、マチにお命じください」と答えられる。
自分はやんごとないご婦人などではない、と主張すると悲しげに眉宇を曇らせ、「まあ、美羽様。そのようにご自分を卑下されてはいけません」と言われる。
卑下などしてはいない。そういう問題ではない。
何かが、自分と彼女とでは大きくずれている。
美羽はそう感じた。
そしてマチはことあるごとに、「文子様をお手本になさいませ」と言う。
悪い冗談だと、美羽はその台詞を彼方の星まで遠く蹴り飛ばしてやりたくなる。
文子には好意を持っているが、美羽は到底、あんなおひい様にはなれない。
苦戦していると竜軌が笑い混じりに、「藤原さん、そのへんにしてやってくれ」と声をかけ、マチも〝お窘め攻撃〟の手を緩める。
自分の言葉には反論しかしないのに、なぜ竜軌の言葉は不承不承ながらも受け入れるのか、それもまた美羽が大いに不満に感じるところだった。




