砦と理由
砦と理由
児童養護施設ひまわり施設長の目の前の机には、今日の朝刊が置いてあった。
第一面の記事には、与党議員の、収賄疑惑による失脚が大きく取り上げられている。クリーンなイメージが持ち味で、国会での発言も清々しく説得力に満ちていた。次の厚労省大臣とも目されていた人物だ。
同様に清廉潔白と名高い新庄孝彰に関わるスキャンダルを、大衆はあっさり忘れるだろう。
人格と地位は必ずしも比例しない。印象に重い信用を置き過ぎてはならない。
施設長はそのことを改めて確認した。職員の出してくれた緑茶の入った湯呑みに手を伸ばし、一口、飲む。
ひまわりの職員たちは、日本に多くある児童養護施設の中でも優秀で、善良だと施設長は自負している。他の施設についてしばしば耳にする、児童を職員が虐待するような真似は、決して自分が許さない。そしてここの職員は少ない予算の中、やり繰りして緑茶の葉を選び、丁寧に淹れたお茶を自然な笑顔と共に、施設長の机に毎日、お早うございますと言って置いてくれるのだ。
世の多くの子供らが得る温もりを、得られない子供たちがここにはいる。
ひまわりは、そんな子供の最後の砦だ。彼らにはここしかない。
もし彼らが温もりを得られる機会があるのなら、これほど喜ばしいことはない。
新庄美羽。
あの少女が温もりを手にする未来を、選び取る手伝いが出来るのであれば。
「美羽。今日は街中を歩いてみないか」
〝どうして?〟
玄関ホールから部屋へ向かう途中、竜軌の口にした誘いに、美羽は小首を傾げる。
美羽は竜軌と海岸を歩くのが好きだ。
「お前を見せびらかしたい」
それは逆ではないか、と美羽は思う。
連れ立って歩いて、自慢に思うのは美羽のほうだ。
竜軌を見せびらかしたい。
〝じゃあ、オシャレするわ〟
クローゼットの中の洋服を頭の中に広げてみる。
「気に入っている服は着るな」
〝どうして?〟
再び理由を尋ねる。
「汚れると困るだろう」
美羽はこの言い分を不思議に思った。
汚れる可能性は、岩場に座ったりする海岸のほうが高い気がするのだが。
〝それだけの理由?〟
「ああ」
理由はまさにその一点に尽きたのだ。
そのことを美羽はあとになって、痛感することになる。




