生きてみなければ
生きてみなければ
海猫が鳴きながら舞っている。
「…お前は、世界が敵だとでも言いたげな顔で、歩いていたな」
美羽が瞬く。
ああ、と思い当たる。
〝ここで、あなたを見た時のこと?〟
「俺たちが逢った時、だ。美羽。俺はやっと、お前を見つけたと思った」
声には、重みのある実感が籠っていた。
数学者が、生涯かけて探し求めた数式をついに発見したら、やはりこんな声を出すのかもしれない。
竜に追い求められていた自分。美羽はその事実を厳粛に受け止める。
〝竜軌は、ずっと私を捜してたの?〟
それを深く想像すると、胸が軋む。
「そうだ。俺は、物心ついた時には、もう思い出していたから」
〝私のことを〟
「ああ」
美羽は竜軌の横顔を見る。ひっそりと笑う顔。
そんな顔をして、佇んで。
この男性は生きて来たのか。
〝私、あなたよりずっとぼんやりしてるみたい。まだ、はっきりとは思い出せないの。ごめんなさい〟
「いや、人の一生は良い記憶ばかりとは限らん。思い出せんのも必然なのかもしれん。お前が気に病むことじゃない」
〝でも、竜軌に寂しい思い、させてる。それは辛いわ〟
竜軌が優しい笑顔を向ける。
「今、美羽が隣を歩いてくれている。俺はそれで良い。お前という女は、少しのことで俺を満たす。他にない宝だ」
美羽にとっては竜軌も宝だ。
〝思い出せなくても、あなたが大好きよ〟
「知ってる、美羽。それで良い」
ほんの数か月前までは独りで、温もりに背を向けて歩いていた波打ち際を、今は竜軌と歩いている。誰よりも大事になった人と。
人生とは、先が見えない。
もしも結婚することがあるなら、相手は星だろうなどと、あのころは想像していたのに。




