空言
空言
星は、冷えた緑茶の入ったガラスの器に、口をつけようとはしなかった。見るからに柔らかそうな濃い緑色の座布団も避けて、畳に直に座っている。活けられた百合の花、山水画の掛け軸、縁側の外に見える広大な庭を険しい顔で見遣った。
新庄家の所有するあらゆる贅を否定し。
最初からこの邸を魔窟と思い定めて、大事な少女の助けを乞う声に応じる為、やって来たのだ。雷鳴は段々と近付いて来る。
〝何の話なの、星君?〟
「…この家の人間に、性的虐待を受けたって。さっきの、新庄孝彰の息子から?あいつは僕たちを見張ってたのか?」
美羽は叫び出しそうな思いで文字を書いた。
〝違うわ。そんなメール、私は出してない!〟
「美羽。話し辛いだろうけど、本当のことを言ってくれ。明日には、冬木先生や律子先生もこちらに来ると言っていた。僕は待ち切れなくて、先に来たんだ。……先生たちは、里親に引き取られた先で、子供が性的虐待を受けるケースはよくあることだと心配していた。十八にもなった美羽を養育里親として引き取ったのも、それが狙いだったんじゃないかって。憤慨してた。相手が国会議員だろうがその息子だろうが、一歩も退かない構えだよ」
受け取られている話に大きな誤解と、実情との食い違いがある。
美羽はそれに気付いた。
〝竜軌は、優しい人よ。お父さんも、そんなことしない〟
星が昂った声を上げた。
「違う!そうじゃないだろう、美羽。僕にまで嘘を言わないで。事実を話してくれっ」
曇天に光が走り、激しい音が鳴る。近い距離に雷が落ちたようだ。
美羽は大きくかぶりを振って黒髪を揺らした。
そんな〝事実〟は一切無いのだ。
(竜軌)
座る横に置いていた鉦を、雷鳴に負けぬよう大きく鳴り響かせる。助けを求めるようなその仕草に、星がハッとする。なぜ美羽は追い詰められた顔をしているのだろう。自分は彼女のことを思ってここにいるのに。
一分と経たずに、竜軌が再び客間に現れた。
「…美羽。呼んだか」
〝竜軌、どうすれば良いの。何かが変なの。おかしいわ〟
星もそれを読み、竜軌の顔を見た。
「ああ。……穏やかでない悪意を感じるな。性質の悪い、でっちあげだ」
竜軌に頼る美羽の態度を見た星の顔に、嫉妬が浮かんだ。今の会話を知っているような物言いに、立ち聞きしていたのかと彼を疑う。妬みと敵意が竜軌に向けられた。
美羽がひまわりを去るまで、彼女に頼られる場所にいたのは自分だった。