はためかせても動かず
はためかせても動かず
美容室では丁重な待遇を受けた。
美容師がにこやかに語るところでは、市枝は大規模なファミリーレストランを経営する家の社長令嬢で、去年の暮れまで海外支社に研修に行っていたそうだ。
分野は違えど、美羽の目には竜軌と同じく高みの世界の人間だ。
それで彼女はあんなにも堂々としているのだろうか。
何も怯むものなどないように。
羨ましいと感じてはいけない、と美羽は自分を戒めた。美羽は美羽の立つ位置から、竜軌を幸せにするのだ。
髪を少し切り、整えられたあと、櫛やワックスを使い髪型をアレンジされた。フロントと後ろ髪の長さが同じ波打つ黒髪の、普段は中央にある分け目を七三に分けられる。鏡に映る美羽の顔は大人びて見えた。
竜軌は褒めてくれるだろうか。今では美羽の世界の中心に、竜軌が立っている。
譲れない誇りは、あるけれど。
市枝に無事、邸まで送り届けられたあと、胡蝶の間に向かう。
鉦を鳴らし、襖を開けると当たり前のように竜軌がいる。折り畳まれた経済新聞が横にある。違う世界、という言葉が頭をよぎった。
竜軌はそれを知らぬ顔で、美羽を見てお帰り、と言う。
(それだけのことをどんなに私が大事に思っているか、きっとあなたは知らない)
優しい蜘蛛の巣にかかった蝶のように。
身動きが取れず、離れられず。
「綺麗にしてもらったな。……大人の、女に見える」
本当だろうか。嬉しくて笑う美羽の顔を、竜軌は見ていた。
立ち上がった竜軌が美羽に寄る。強い獣が優美に歩むように。
肩を包まれて座ると、耳の後ろの髪を左手で押さえられた。持っていたバッグと鉦を畳に置かれる。
そのまま、竜軌は深く唇を被せて来た。
美しい竜は、美羽の息をそのまま全部、奪う勢いで。
何だか、いつもと様子が違う。
気付けば美羽は畳に押し倒されていた。
見上げれば、竜軌の顔がある。
狂おしいような竜の顔。