思慕の谺す
思慕の谺す
檜の広い浴槽の中で、竜軌は濡れた黒髪を掻き上げた。高校のころからつけている赤いエクステはすっかり馴染んでしまっている。
湯は熱めを好む。ぬるま湯は好かない。
「…みわ」
声に反応するように、ピチャンと水滴が鳴った。
湯煙の立ち込める白い浴室に、竜軌のよく通る声は大きく響いた。
(呼んで聴こえるものでもなかろうが)
竜軌と同じく巫の資質を持つ者は極めて稀であり、帰蝶にその資質は無かった。
湯に浸かりながら、あれの肌はどのくらい熱かっただろうかと考える。
ぬるま湯では足りぬ自分を包んだ、蝶の肌は。
思い出せば堪らなくなるので、無理にそこから意識を逸らす。
だが結局、口をついて出るのは。
「美羽」
漢字を当てたその名前だ。自分でも呆れる。
呼びながら、形ばかりの美しい女でなければ良いがと思う。
ただ顔立ちの美しい女ならば掃いて捨てる程、ごまんといる。
そんな女を捜して嵐下七忍を動かしている訳ではない。日本を流浪している訳ではない。
自分を捕らえたのは、癒えぬ傷の中でも保たれていた誇り高さだ。
どこまでも傷ついていながら毅然と顔を上げ、真っ向から「織田信長」を睨み据えた。
瞳の強さが、何かの宝玉のようだと思った。
初めは呆れた彼女の纏う高慢さの鎧を、慎重に剥いでみる気になったのはそのせいだ。
傷に血が滲む中の光輝。蝶の持つ宝玉に惹かれた。
(あれを知ったあとでは、全き美しさなどつまらぬと思えた)
時を経て、その傷に触れ―――――――愛することを許された。
(遠い)
「――――――…帰蝶。みわ。美羽。美羽。美羽っ!」
湯の面を力任せに打ちつけ、何度も飛沫を上げる。
どこにいる。
――――――――どこにいる。
(俺を呼べ。俺を呼べ)
どんな小さな声でも聴いてやる。
目の前の湯に、なぜ彼女の黒髪が流れない。
ぬばたまの、あの髪がなぜ手の内に無い。
竜の渇望は限界の極みだった。