迷宮の日々2
探索は続いている。
目指す中央玄室はそう遠くはないはずだった。
<迷宮>を進み続け、マップが埋められていない部屋を発見する。
マップの未表示領域のかかりかたからして、たんなる部屋である可能性は高い。
どんな物にも期待してはいけない、期待は必ず裏切られる。それは日々が裏付ける経験則だった。
なんら期待せずそれでも細心の注意だけは払って扉に手をかけそっと押す。
ローブの裾がこすれる音をたてて、扉が開く。
いつもなら魔物の唸り声か、ターミナルポイントの青い光が漏れるのだがなにもない。
部屋は<迷宮>の他の部屋と同じように薄暗く、やはり戦闘が行えるように設計されている。
ターミナルポイント以外の部屋の扉を開けて、敵と遭遇しないことなど今まで無かったことだ。何かがおかしい。
考えられる可能性としては、
「イベントか…?」
この部屋にイベントが設定されているのなら、例外的な処理が起こることもあるだろう。
思案顔になっていたセイの背後での異様な気配に鯉口を切って振り向く。
そこには少女が立っていた。ぽつねんと、しかしまるでそれが当たり前であるかのように。
床まで垂れる黒髪に白いワンピース、そして裸足。口元は裂けるほど横一文字に伸ばされている。
装備もなく最下層で女の子が独り?どう考えても尋常じゃない。プレイヤーであろうはずがない。NPCか?
これがイベントもしくはその一部だとすると嫌な予感がする。
過去にNPCと遭遇したことは何度もあるが其のほとんどは罠、もしくは純然たる悪意だった。
「貴方のことは知っているわ、トオルと一緒だったセイね」
突如語りかけてきた声音は少女の姿からは想像できないひずんだ、出来損ない合成音に似ていた。
だがセイはトオルという単語にのみ反応し、自然に戦闘態勢をとる。
「トオルは…君と一緒なのか?」
刀からは手を離さず、いつでも切りかかれるように構える。
トオルはアンデッドドラゴンにPTが襲われた時、僕らを見捨てて逃げたリーダーだった。
最下層で耳にする言葉としては不穏過ぎる。
「トオルと長い間一緒だったわ、今は違うけれど」
少女は手を口にあててクスクスと笑う。真っ白ワンピースに不釣り合いな老いた仕草だ。
外面は少女だが中身は別のものかもしれない。
「君は一人なのか…」
「あら?誘っているのかしら?いいわ、あたしは一人っきりよ。一人でいる以外に何が出来るのかしら」
人間が一人きりで<迷宮>に存在すること自体が不合理だ。頭のなかで警報が鳴り響いている。これはNPCですらない、もっと質の悪い何かだ。
「トオルは、どこへ行った?」
注意深く言葉を重ねる。
「貴方質問ばかりね、つまらないわ。でもいいわ、貴方だから特別に教えてあげる」
面倒くさそうな表情でしかし少女は背後の影を手さぐりし何かを取り出し、床に放り投げた。
セイは少女から注意を逸らさず緊張感を保ちながら目を凝らし、足元に転がったそれを見る。
皮を剥ぎ取られて赤い実だけになった西瓜、がネットに入っている、最初はそんなように見えた。
片目で見ていたものが次第に両目が追い、やがて首を傾け全身でそれと向き合うことになる。
目鼻をそがれ、眼球が繰り抜かれているが見間違え用のない金髪。それはトオルの生首だった。
反射的にこみ上げた吐瀉物が我慢しきれず撒き散らされる。
「…!」
「あらどうしたの?感動の再開でしょう?どうしたのかしら?」
少女は腹に手をやって喜悦の声をまき散らした。裂けるような口はすでに裂けて整列した白色の牙が整列していた。
「一つ一つ切り取ってあげたのよ!もちろん生きたままよ?新鮮な方が美味しいもの!」
「タスケテータスケテーってそればっかり、あんまりうるさいから舌から食べてあげたわ!」
悦に入ったように顎を上げ、ゲタゲタ哄笑している。
セイは罵りながら嗚咽が漏れた。
「なぜだ…なんでこんなことを」
少女は心底不思議そうにきょとんと首を傾げ、
「これがあたしたちの"設定"だからよ。貴方やあたしも、他の全てもそういう風に"設定"されているでしょ?」
少女めいたものがはっきり楽しんでいるのが分かった瞬間に体が自動的に動いた。
左足を引き腰を落とし左手の親指で鍔をあげ右腕を柄頭に添えた途端に左足でためたバネで全挙動を完成させる。
電光石火抜きつけられた一刀が少女が瞬きするまもなく首を跳ね飛ばした。
<迷宮>の日々で刷り込まれた練達の動きだった。
転がり落ちた首には喜悦の表情がそのまま張り付いたままだった。
「クソッ!クソッ!」
罵りながら嗚咽が漏れ、呼吸が乱れる。自制心を総動員して深呼吸を繰り返し、気持ちを鎮め冷静さを取り戻す努力を続ける。感情的になることで得られるものは死と、死に繋がる深すぎる後悔のみだった。
呼吸が楽になったことで部屋には静寂が戻ってくる。
床に転がった少女の首を見つめ思案する。これがイベントモンスターなら何か<迷宮>探索のヒントかメッセージがあるはずだ。
それにしてもトオルとこんな形で再開するとは。
<迷宮>における運命の法則は逃亡者をより残酷な結末に追いやると冗談めかして語られていたが、ここにきて元リーダーとの再会ははっきりとしたシステムの悪意を感じさせた。
首だけの少女の目が動いた気がして首筋が冷やりとする。慎重に刀を握る手に力を入れると同時に、
「アハ、アハハハハハハハハハハハハハ!!」
突如首が哂いだし哄笑が部屋中を乱打する。
「こんなことして酷いわぁ」
首だけになった声音は合成感をまし耳障りなノイズとなっている。
セイは無言で刀を上段に執り直す。こんな状況は何度も経験している。気圧されることはない。何か不穏な動きがあればアンデッドですら活動できなくなるほど刻めばいい、そんな教訓は上層でゾンビ相手に習得済みだった。
そんな様を首だけになった少女の目が侮蔑のものになって見つめる。
「貴方は、自分のことも知らないのね。なんて哀れなのかしら。いいわ、この先に進みなさい、そこで避けられぬ死が貴方を待っているわ」
それだけ言うと嗤い声を響かせながら首は青白い炎に包まれて闇に溶けていった。
部屋にはセイとトオルだった残骸が残ったのみとなった。
セイはうなだれて少女だったものの言葉の意味を考え続けていた。
避けられぬ死が待っている、その意味を。




