第6章 魔神狩人のキス 5
ユードとカディナは魔法使いの館から出て、前の通りに立った。
ゼフィーアが二人の後から現れる。
その両手には、カディナの剣が布にくるまれて乗せられていた。
「どうぞ。お返ししますわ」
ゼフィーアがカディナに微笑んだ。
「どうも」
カディナは、エヴァンレットの剣を受け取る。
「本当に返してくれるとは思わなかった」
「あなた方をこの館から無傷でお出しすること。それは、ナナトさまのご希望ですからね。それに、あなたは下級魔神族専門の魔神狩人であり、ナナトさまをグリアモスから守ってくださいましたから」
「魔神を守る魔神狩人なんて。あーあ、やっぱり考えられないことをしてしまったかもしれない」
カディナは、うなだれる。
「あんたには、感謝する」
ユードは、ゼフィーアに言った。
「まさかあなたが魔神狩人とは思いませんでした」
ゼフィーアは、彼を見上げる。
「あなたを見つけてこの館に連れ帰ったのは、正しいことだったのか、それとも愚かなことだったのか。今でもわかりません。でも、あなたはメーベルルさまを死なせてしまいました。メーベルルさまは、闇の魔王ハーセルさまの大切なお方です。あなたにはハーセルさまからの追っ手がかかることになるかもしれませんね。それに、あなたはシルヴェリスさまの片腕も奪った。ご本人はともかく、側近の方々からは、憎まれるでしょう。もしナナトさまに手を出していれば、リュシフィンさまからも狙われることになったでしょうね。あの方もどうやら、リュシフィンさまの大切なお方のようですし」
「魔王三人から? うっわあ……」
カディナが、うんざりして呟く。
「私が会いたいのは、ハーセルでもシルヴェリスでもリュシフィンでもないんだがな」
ユードが言った。
「恐れ多いことを。ともかくあなたは、穏やかな死に方は出来そうにないですね、魔神狩人ユード」
「それはお互い様だな。アヌヴィムの魔法使いも、ろくな死に方はしないと聞く。魔法で固めて本来の寿命を通り越して生き続けても、それは偽りの不安定な体。死ねば塵しか残らぬ。魔神族と同じだ」
「その通りですわ。でもそれは、アヌヴィムの魔女になったときから覚悟のこと。お互い長生きはしたいものですね」
ゼフィーアは、妖しい緑色の目でユードを見据え、微笑んだ。
ユードとカディナはゼフィーアと別れ、通りを歩き始める。
灰色の雲が上空を覆っていたので光は少なかったが、町はいつものように賑やかだった。
人々は穏やかに挨拶をかわし、それぞれの仕事に取り掛かっている。
いつもの朝。そしてもうすぐいつもの昼がきて、やがてまた、いつもの夜がくる。
魔王の神殿の遺跡がそばにあり、常に魔神族の危険にさらされ、そして上空を魔王の船が時々通過しても、この町の人々の営みは、続いて行く。
「この町ともお別れか。いい町だったけどな。もう来ることはないね」
「それはわからんぞ。おまえはまたこの町に来ることになるかもしれぬし、この町に住むことになるかもしれん」
「まさか。ところで、これからどうするの?」
「自宅療養する。傷をさっさと治して、右腕の機能を回復させる訓練もせねばな」
「ということは、屋敷に帰るんだね。ユード、私もついて行っていい?」
「また来るのか?」
ユードが、あきれたように訊ねた。
「だって、あなたの屋敷に行ったら、屋敷の人たちはみんなちやほやして、お姫様扱いしてくれるもの。きれいな服も着せてもらえるし、おいしいものだって食べ放題。ベッドもふかふか。庭だって広いし、ゆったりのんびり、贅沢にくつろげるものね」
「勝手にしろ」
カディナは、嬉しそうに坂道を飛び跳ねて歩く。それからくるりと振り返り、ユードに言った。
「だけど、あの子、似てるよね。あなたの屋敷にある、あの……」
ユードの透明な灰色の目が、カディナを鋭く睨む。
カディナは、口を閉じた。
(こわ……)
けれども、カディナは気を取り直し、別の質問をユードにぶつけてみる。
「ユード。本当は、彼女に自分のエディシルを食べさせたかったんじゃないの? だから、彼女に口づけをしたんでしょ。そんなに、あの子のことを……? あの子は魔神。わたしたちの敵だよ。しかも、魔王たちにとても近い存在みたいだし」
ユードは、カディナの質問に答える気は、全くないようだった。
黙ったまま、前方を見つめて歩いている。
彼の左頬は変色し、次第に腫れ上がってきていた。彼の胸の真ん中にも、おそらく同じような痣が出来ているに違いない。
(せっかくのきれいな顔が、悲惨なことになっちゃって。どう見たって、か弱い女の子が平手打ちした痕じゃない)
「あなたの人生の中で、平手打ちと肘鉄を食らわされる女の子って、きっと彼女ぐらいになるんでしょうね」
「……さっきから、何か言ってるか、カディナ?」
ユードが、前方に視線を定め、ゆったりしたリズムで歩きながら、訊ねる。
「……いや。なんにも……」
カディナは、仕方なく呟いた。
それから彼女は、全く別の話題を彼に振ってみる。
これなら機嫌が直るだろう。そう期待しながら。
「そうだ、宿に戻って、ヴァイスを引き取って来なきゃ。一緒にあなたの屋敷に連れて行くね。あなたにもらった犬だもの。生まれ育った屋敷に里帰り出来るわけなんだから、きっと彼も嬉しいと思うよ。あなたも彼に会いたいでしょ?」
「ああ。会いたいな。久し振りだ」
カディナは、ユードの穏やかな答えに、ほっとする。
ふと振り返ってみると、今まで滞在していた魔法使いの館は、他のたくさんの同じような建物の中に紛れて、もう区別がつかなかった。
これも、もしかして魔法なのかもしれない。魔神狩人を引き返せなくさせるための――。
カディナは、少し本気で思った。




