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第6章 魔神狩人のキス 4

「シルヴェリスさまのお気に入りだかオモチャだか知らないが、やはりあいつ、喉を掻っ切ってやる……!」


 セレウスが剣を握りしめたまま、呟いた。


「セレウス。男の嫉妬は、みっともないですよ」


 ゼフィーアが弟を一瞥する。


「ナナトさま。そのまま、その魔神狩人のエディシルをお取りなさい」


 ゼフィーアが言った。


「そうすればあなたの傷は癒え、あなたはさらに美しくなる。風の都までの旅も、快適なものになることが約束されるでしょう」

「……そうですね。そうされればいい」


 セレウスは呟いたが、彼は緑色の炎が揺らめくような目でユードを鋭く見つめ、いつでも切りかかれるように剣を構えている。


「冗談でしょっ!」


 カディナは叫んでユードに駆け寄ろうとしたが、足が鉛のように重く、固まって動かなかった。


「あ、あんたたち、魔法を……」

「しばらく、おとなしくしておいてくださいな」


 ゼフィーアが、カディナに微笑んだ。


 七都の髪が、ふわりと宙に浮いた。

 セージを襲ったときのあの感覚が、再び体を覆い尽くしていく。

 歓喜に打ち震え、エディシルを貪ろうと、黒い触手を伸ばしていくような、ぞっとする感覚……。

 だめだ、このままでは。

 ユード、なんでこんな危険なことをする?

 七都は、体を覆っていく自分の意志とは違うものを押さえつけた。

 そして、ようやく唇をユードから引き剥がし、自分の中でのた打ち回るものを断ち切るため、そしてユードに対する怒りもこめて、右手に力をこめる。

 パン、という大きな音が、中庭と回廊に響いた。

 七都の平手をまともに頬に受けたユードが、顔をしかめる。

 それから七都は肘を曲げ、彼のみぞおちめがけて、思いきり突き入れた。


「こぉの、無礼者!!」


 七都は、叫ぶ。

 ユードは、体を曲げてうつむいた。

 七都の体の奥底から駆け上がりそうになった渇望は、消え去っていた。


「ああ。あれは、結構効きましたね。外からはわかりませんが、彼にとっては相当な痛手でしょう」


 ゼフィーアが微笑して、言った。


「そうですね。平手打ちも肘鉄も、見事でした。さすがナナトさま」


 セレウスが言う。

 のんびりした姉弟の会話。

 横で聞いていたカディナが拳を握りしめる。

 足は、石になったように動かない。


「よく抑えた」


 ユードが、少しかすれた声で言った。


「ナイジェルによると私のエディシルは、かなり美味らしいからな」

「……ってことは、あなたは彼にエディシルを食べられたことがあるんだ」


 七都は、まだ苦痛に顔をしかめているユードを見つめた。


「思い出したくもないことだ」


 ユードが呟く。


「じゃあ、わたしも、あなたのエディシルを遠慮なくもらえばよかったかな? もったいないことをしたかもしれないね」

「風の城に着いたら、リュシフィンを襲って、彼のエディシルを食べるといい。ナイジェルでも構わんがな。あんたの胸の恐ろしい傷は、魔王かグリアモスのエディシルでないと、完璧には治るまい」

「なんであなたが、わたしの怪我のことを知ってるの?」


 七都は、ユードを睨んだ。


「きのう、あんたと格闘したとき、服の隙間から傷が少し見えた」

「……今度は、蹴りを受けてみる?」


 七都は、顔を引きつらせて訊ねる。


「見たくて見たわけじゃない」


 ユードが、真面目すぎる表情で言った。


「……そう?」


 七都は、上げかけた片足を一応戻した。


「いずれにしても、今度会うときは容赦せんからな」

「あなたはこの間もそう言ったよ。だけど、今回も容赦してくれたものね」

「だからといって、妙な期待はするな」

「うん。期待はしない」


 ユードが唇の端を上げた。

 え? 今、笑った?

 七都は、瞬きをする。

 いや。唇を歪めただけかな。


「ユード、早く行こう! この館に長居は無用だよ」


 足が自由になったカディナが叫んだ。


「そうだな。では、さらばだ、姫君。世話になったな、魔法使いどの。またどこかで遭遇することもあるだろう」


 ユードは影のように先に立って、回廊を歩いて行く。

 カディナも行きかけたが、くるりと七都のほうを向いた。


「私は、正直言って、あんたとは会いたくないな」

「そう……。寂しいことを言うんだね、カディナ」


 七都は、彼女を見つめた。カディナは、七都から目をそらす。


「また、魔神狩人らしからぬ態度を取っちゃいそうだもの。あんたは、ほんと、魔神らしくないから」

「カディナ。あなたには借りがある。わたしは、それを大切にするよ」

「いいよ。大切にしなくても。借りはさっさと返して、変な感情を持つのはやめてよね」


 それからカディナは、ユードを追いかけて、回廊を駆けて行った。


「玄関でお見送りしますわ。剣もお返ししなければね」


 ゼフィーアが二人の魔神狩人のあとに続き、やがて三人は回廊から姿を消した。


 七都は中庭に突っ立ったまま、回廊を眺める。そこには、相変わらず猫たちが、平和にくつろいでいた。

 ありがとう、ユード。

 少し、自信を持てたよ。

 結局、あなたはわたしに、剣の使い方……ううん、よけ方と、エディシルの誘惑からの拒絶の仕方を教えてくれたことになる。

 やっぱりあなたは、いい人だったね。

 ナイジェルが、あんな状態になりながらあなたを殺さなかった理由が、何となくわかるような気がする。

 けれども、ユードとの間にも、やはり越えることの出来ない壁がある。

 セレウスよりも、もっと頑丈な壁が。七都は、思う。

 彼はおそらく、情に厚く心優しい人なのだろう。初めて会ったときも、七都を守ってくれようとした。

 だが彼は、彼の身近な者に投げかけるように、七都に親しく笑いかけることは決してないだろうし、七都も心から穏やかでのんびりした会話は、彼とは出来ない。

 彼は魔神狩人。魔神族の敵だ。例え人間の血が混じっていても、この世界では、七都は魔神族の体を持つ。それはどうすることも出来ない定め。

 魔神狩人にとっては、七都は狩るべきもの。滅ぼすべき対象の存在なのだ。

 今度、どこかで会ってしまったら――。

 迷うことなく、本気で戦わねばならない。

 気を抜いたら、メーベルルやナイジェルのようになってしまうだろう。

 とはいえ、正直言って、彼のキスは素敵だった。

 七都は、思い出してしまう。

 彼の、七都に回した腕は、とてもやさしかった。

 七都を緩やかに抱きしめ、頭と頬にもそっと手を添えた。とても大切なものを扱うように。

 セレウスの抱きしめ方とは対照的だ。

 七都を魔神としてではなく、普通の女の子として接してくれていたような錯覚にさえ陥る。

 もし七都が人間の女の子で、彼が恋人だったら、うっとりとろけているだろう。そんなキス……。


 だってユードは、やっぱり、かなりのイケメンなんだもの。セレウスとは、また別のタイプだけど。

 隠された上品さみたいなものも持ってるし……。

 あ。でも、じゃあ、わたしのファーストキスって、結局、ユードってことになっちゃうのかな?

 ナイジェルのときは、彼、意識なかったし、カトゥースを飲ますためだったし。

 七都は、顔をしかめた。

 でもでも。やっぱり目的が違うもの。

 彼は、わたしを試すために、やっただけ。

 愛し合ってしたわけじゃないんだから、わたしのファーストキスは、まだだよね。


 それにしても、彼の額の印は、何を意味するのか。

 あれは、七人の魔王の誰かが付けた口づけの印。リュシフィンとシルヴェリス以外の誰かが。

 印は魔神族にしか見えないらしいから、ユード自身、そういうものが自分の額にあることに気づいているかどうか不明だが。


「ナナトさま?」


 セレウスがいぶかしげに七都を眺めた。


「ん……。何でもない。疲れた。部屋に戻る」

「はい……」


 七都は、彼が差し出した腕をつかむ。

 セレウスの態度は、どこかぎこちなく、よそよそしかった。

 もしかして、さっきのことでユードに嫉妬してるのかな?

 七都は、ちらっと思った。

 セレウスがわたしに対して出来なかったことを、ユードはいきなりやっちゃったわけなんだし……。

 七都は、セレウスを探るように見上げる。


「何か?」

「ううん。カトゥースの花とお茶を用意してもらってもいいかな?」

「もちろんです」


 セレウスは、ぶっきらぼうに答えた。

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