第6章 魔神狩人のキス 2
ユードは剣を持って、中庭に移動する。
七都は、メーベルルの剣を両手で握りしめて、構えた。
ユードは、真っ直ぐに七都に向き直り、左手で剣を掲げる。
頭上の曇り空よりもさらに暗い灰色の二つの目が、七都を鋭く見下ろした。
セレウスとは、迫力が違う。
セレウスは魔法使いとはいえ、この町のこの館で裕福に育っている。誰かを殺したり、傷つけたりしたことはないかもしれない。
けれども、ユードは魔神狩人として、さまざまな場所で数え切れぬほどの魔神族を倒してきたのだ。
何度も危険な目に遭っただろうし、その能力も磨かれてきたに違いない。
たとえ利き手の右手が使えず、左手も怪我をしているとはいえ、七都が太刀打ちできる相手ではなかった。
いけない。最初から、雰囲気で負けている。
七都は、剣の柄を持つ手に力をこめる。
セレウスとカディナは、少し間隔をあけてはいるものの、並んで回廊に立ち、息を呑んで二人を見つめている。
その横に、いつの間に現れたのか、ゼフィーアも加わっていた。
「あなたには、謝らなくてはいけないね。それから、お礼も」
七都は、ユードに言った。
「また、あり得ないって言われるだろうけど」
ユードは、心持ち眉を寄せる。
「ユード。腕に怪我させて、ごめんなさい。それに、セージをわたしから守ってくれて、ありがとう」
ユードは無表情のままだった。
「あんたはこの先、魔神狩人に遭遇して傷を負わせるたびに、謝罪して回るつもりか?」
ユードが言った。
「人が謝ってお礼言ってるんだから、素直に受け止めてくれてもいいと思うんだけどね」
七都は、彼を睨んだ。
ユードが、いきなり剣を振り下ろしてくる。ぞっとするような速さだった。
七都は、かろうじてそれをかわす。無意識に、体が反応した。
ユードの剣は、さらに七都を追いかけてくる。
七都は、とにかく刃を避けた。避けるために、めまぐるしく体が動く。
襲いかかる刃を防ぐのに精一杯で、ユードに攻撃をかけるなど、考えられなかった。魔力を使う余裕もない。
七都のドレスに、ざっくりと鮮やかな切れ目が入る。
「あ……」
頭が、真っ白になりそうになる。
「しっかり防がないと、そのきれいな服は穴だらけになるぞ」
ユードが言った。
彼は、決して加減をしない。容赦なく七都に切りかかってくる。
セレウスがどれだけ加減をしてくれていたのか、とてもよくわかる。
あまりにも甘く不甲斐ない剣の稽古に、ユードは歯がゆさを感じたのだ。だから、わざわざ剣を取って、七都の前に立ったのかもしれない。
けれども、これが現実だ。
この館を出て、魔の領域を目指せば、彼を上回る敵が現れないとも限らない。
敵は当然七都に容赦はしないだろうし、加減をすることもない。殺すか殺されるかの真剣勝負になるのだ。
「ユードは本気だ。遊んでるんじゃない」
カディナが呟いた。
「あんたのお姫さまは、殺されてしまうよ」
セレウスは、カディナを冷たく見つめ返す。
「……なわけないか。アヌヴィムの魔法使いが二人もいるんだもんね」
七都は、ひたすらユードの剣をよけ続けた。
よけていられるのは、奇跡的だと七都は思う。
剣が斬り込まれてくる場所の判断がついてから刃をよけても、何とか、かわすことが出来る。
それはやはり、魔神族の能力のおかげで、素早く動けているからなのかもしれない。
けれども、ユードに剣をぶつけようとしても簡単に押し返されてしまうし、その隙もほとんどなかった。
体が疲れてくる。動きも次第に鈍くなっている。
このままでは、ユードに殺されるかもしれない。
セレウスとゼフィーアが、それを黙って見ているわけはなかったが。
とにかく、早めに終わらさなければ。
でも、どうやって?
彼を、地面に倒せたら……。セレウスにそう出来たように。
「だけど、ド素人にしては、よけるのはうまい」
カディナが感想を述べる。
「もっと稽古すれば、わりと早く剣が使えるようになるかもね」
「時間が足りません」
ゼフィーアが言った。
「そうなる前にあの方は、ここから出て行ってしまわれるでしょう」
セレウスは、ちらっとゼフィーアを横目で眺め、それからユードと戦う七都に視線を戻した。
七都は、何度かユードの腕をつかもうと試みたが、それはすべて剣で防がれてしまった。
まるで、体全体に剣でバリヤーを張っているようだ。
利き手でないほうで戦ってこうなら、では利き手なら、どういうことになるのだろう。
七都は、恐ろしくなる。
「もう終わりか、姫君?」
ユードが言った。
彼には、疲れているという兆候さえ見つけられない。
七都は剣を握る手に、力をこめなおす。
けれども、もうすぐ限界だ。このままでは倒れてしまう。
無様な終わらせ方をしたくないというのも、本音だった。
七都は、かすみそうになる目で、回廊をちらりと眺めた。
はらはらしながら七都を見守るセレウスとゼフィーア、そしてカディナ。その周りに、のんびりと猫たち。
猫たちの中の一匹と目が合う。金色の目の黒い若猫だった。
猫は弾かれたように飛び上がり、一目散に中庭に飛び込んでくる。その後ろにもう一匹、銀色の猫が続いた。
「え?」と、カディナが、二匹の猫を目で追いかける。
右手を怪我して肩から釣っているユードは、バランスが悪いはずだった。
それに、もともと背が高い人は、足元があまり見えていない。
昨日はセレウスを偶然床に倒してしまったが、ユードにはわざとそれを仕掛けてみることにする。
黒猫は、ユードの足に到達し、タッチした。
そして、尻尾を立て、ユードが歩くのを邪魔するようにして、まとわりつく。
銀猫はユードの肩に駆け上がり、そのやわらかい毛皮で彼の視界を覆った。
こういう場面でなければ、猫たちの行動は、微笑ましくかわいらしいものに違いなかった。
七都は、ユードの注意が猫たちに逸れたその一瞬の隙に、ユードのくるぶしの後ろあたりに、すっと自分の足を出した。
そして、ユードの足を思いっきり払う。
ユードの足元にいた黒猫が、払われる彼の足と一緒に、やわらかい大き目のボールのように宙を飛んだ。
「ごめん!」
七都は黒猫に対して叫びながらユードの腕をつかみ、彼を引きずり倒す。
銀猫は、倒れるユードからジャンプして、七都の背中に飛び乗った。
回廊に立った三人が、唖然として、七都とユードを見つめる。
黒猫はくるりと一回転して、無事に地面に降り立った。
七都は右手で、剣を握ったユードの手を地面に留めた。そして、左手でメーベルルの剣を逆手に持って、ユードの喉に突きつける。
彼の首の皮膚が、剣の重みで沈んだ。
七都は、ユードを見下ろした。
至近距離だ。彼の温度の高い体が、七都の下に横たわっている。
銀猫が七都の背中で、唸り声をあげる。
「猫を使ったな。卑怯なことを」
ユードが呟く。剣を強く押し当てられているので、苦しそうだった。
だが、七都は剣にこめた力を緩めなかった。
「そういうこと、あなたに言われたくないな。わたしにエヴァンレットの剣を持たせて、メーベルルと戦わせようとしたんだからね。それにあなたは、彼女を背後から襲った。その言葉、のし付けて、それからリボンもかけて、あなたに返す」
その時――。
ユードの額にきらりと何かが輝いたのが、七都の視界の端に見えた。
七都は、赤紫の透明な目を見開いて、ユードの額を見つめる。
前髪が乱れ、彼の額があらわになっていた。
そしてそこには、銀色の印があった。
じっと見つめると消え、視線を逸らすと現れる、花びらの形に似た、楕円形の印。
それは、七都の額にもある、あの印と同じもの――。魔王の口づけのあとだった。




