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第4章 魔神の血 12

 七都はベッドに横たわり、心地よくまどろんだ。

 太陽は天空高くに輝いていたが、その陽射しは特殊なガラスで遮断され、部屋の中には、青白いやさしい光となって注がれる。

 時々枕元に置いたカトゥースに手を伸ばし、エディシルを食べる。

 そうやって浅い眠りと軽い食事を繰り返しながら、けだるい午後は過ぎていく。


 日が沈むまで、こうしていよう。

 痛みは感じないとはいえ、やはり傷は深い。少し動くと疲れてしまう。

 夜になったら、もう少し気分もよくなって、ごく普通に起きられそうだった。

 このままカトゥースをたくさん食べ続ければ、きっともっと元気になれる。

 けれども、やっぱり誤魔化してるよね……。七都は、思う。

 カトゥースを何百本、何千本取っても、所詮無駄なことをしているだけなのかもしれない。

 カトゥースがお菓子や嗜好品のようなものだとしたら、いくら取っても、ただ空腹感が一時的に満たされるだけで、体のためにはなってはいない。

 傷は決して治らないし、空腹感もまた襲ってくるだろう。

 やはり、せめて蝶は食べたほうがいいのかも……。

 カトゥースよりは、エディシルが豊富なのは確実だし。

 七都は思ってみるが、すぐにその考えを打ち消した。

 無理だ。

 指の先に、そして唇に、溶けてしまった蝶の感触が、まだ残っている。

 元の世界では蝶は苦手だったが、ここでも蝶は苦手になってしまうかもしれない。

 こんな調子で風の都になんて行けるのだろうか。

 七都は、不安になる。

 気分が悪くなっても、吐きそうになっても、何とか我慢して蝶を食べて、取りあえず傷をもう少し治してから、出立したほうがいいに決まっている。

 やっぱり、セレウスの好意に甘えて、彼からエディシルを少しだけ取らせてもらえば……。

 もしくは、おそらく優れたエディシルを持っているであろうユードから、無理やり分けてもらう。

 人間のエディシルなら、グリアモスの傷は確実に早く治る。カトゥースや蝶などは、比較にならないくらいに。

 そうしたら、体に関しては何の問題もなく、風の都に行けるだろう。

 だが七都は、エディシルを人間からもらうという考えを、やはり取り消した。

 それはしてはならないことだ。

 あのとき――。

 セージを襲いそうになって、ユードに止められたとき。

 ユードに言われた言葉に、泣きそうになった。


<あんたは、人間の血が混じっているのだろう?>


 何となく無性に悲しくなって、思わず彼の腕に噛みついてしまった。

 そういえば、忘れていた。自分が人間でもあるということを。

 この世界に来れば姿かたちが変わってしまうし、この館にいれば、魔神扱いしてくれるから。

 どこか無理しながらも、自分が魔神族だということを認めようとしていた。

 でも、わたしは半分、人間なんだ。

 ここじゃない別の世界の人間とはいえ、人間の血が半分混じっている。

 お母さんは魔神族でも、お父さんは人間。

 半分人間だから、太陽の光にも平気だし、エヴァンレットの剣も光らない。

 だったら、ユードの言うとおり、制御できるはずだよね。

 ユードのエディシルは食べなかったもの。あんなに近くにあったのに。

 それは、自分で止めたから。

 ちゃんと止められたんだ、魔神の本能を。

 だったら、これからも制御してみせる。

 絶対、出来る。


 セレウスが、扉を開けて入ってくる。

 七都は目を閉じ、眠ったふりをした。

 彼は何度か、地下から切ってきたカトゥースの花や、熱いカトゥースのお茶を七都の部屋に運んできた。

 部屋に入るときと出るときは、礼儀として頭は下げるが、無言でカトゥースを花瓶に入れ、入りきれない分はテーブルの上に積み上げた。あるいは無言のままポットをテーブルの上に置き、カップにお茶を注いだ。

 それが何回か繰り返される。

 そのたびに、部屋の中には重苦しい空気が流れるのだった。

 気まずい。

 非常に気まずい雰囲気――。

 目を閉じていると、セレウスの視線を感じる。

 セレウスも、七都が眠っていないことはわかっているはずだった。


 七都は、思い切って目を開けてみた。

 そして、黙って彼の行動を目だけで追ってみる。

 セレウスは、七都とは目を合わさなかった。

 もちろん先程の、七都に対する自分の態度に自己嫌悪を感じてのことだろう。


(く、暗いよ、セレウス。『話しかけるなオーラ』全開って感じ……)


 けれども、七都自身もそういう雰囲気を発しているように見えるのかもしれない。

 まだ怒っているように、彼には思えてしまうのかもしれなかった。

 仲直りしなくちゃ。

 別に仲たがいしてるわけじゃないんだけど。

 でも、すごく気まずい。

 この空気、なんとかしなくちゃいけない。

 このままでは、まともに話も出来ない。

 話しかけてみようか。

 けれども、何を話せばいいのかわからない。

 きっかけも話題も思いつかない。


 セレウスは、七都が枯らして床に散らかしたカトゥースの残骸を片付け始める。


「セレウス。いい加減に、機嫌直してよ」


 七都は、思いきって彼に話しかけてみた。


「機嫌は、悪くはありませんよ」


 セレウスが、うつむいたまま答えた。


「じゃあ、ちゃんと話して」

「何をですか?」


 セレウスが、ちらりと七都を見る。

 顔がこわばっていた。


「何をって……。普通の雑談とか……」


 ああ。まずいなあ。話が続かない……。

 何も考えずに彼に話しかけてしまったことを七都は後悔する。

 セレウスは、再び顔を伏せた。


「私はあなたに、たいへん失礼なことをしてしまいましたから」


 やっぱり、それでへこんでるんだ。

 七都は、ため息をつく。


「気にしてないよ。わたしのことを心配してくれたからでしょう」

「ですが……」

「ゼフィーアに怒られたの? 図星みたいね。彼女、こわいものね」


 七都が微笑むと、セレウスはますます俯いた。

 変にデリケートなんだから。

 だいたい何でわたしのほうが気を使って、セレウスの機嫌を取らなきゃなんないんだか。

 普通こういう場合、逆でしょうが。


「あなたが暗いと、わたしまで気分が沈んじゃうから。ね」

「……では、出来るだけ早く浮上するように、努力はしましょう」


 七都は、セレウスを睨む。

 そんなにのんびりと浮上しようなんて思わないでほしいよね。

 今すぐこの空気を何とかしてよ、って感じなんだから。


「わたしにしたことを後悔してて、それで思い悩んでいるのなら、じゃあ、ちゃんとわたしに謝って。そしたら、すっきりするでしょう。別に努力しなくても、浮上出来ると思うけど?」


 セレウスは、七都を見つめた。

 あ。やっと、視線を合わせてくれた。


「そうですね。私は、あなたにまだ謝っていませんでした」


 セレウスは、七都の前にひざまずく。


「ナナトさま、申し訳ありませんでした。お許しを」

「もちろん、許します」


 七都は、気品に溢れる微笑を口元にたたえたが、頭の隅で、ちらっと思い出す。

 ナチグロ=ロビンも、同じようなセリフを言ったよね。

 わたしが子供の頃ヒゲをむしったことを謝ったとき、えらそうに。

 わたしのセリフも、高飛車になっちゃったかな。


「ユードの具合は?」


 七都は、話題を変える。


「たいしたことないようですよ。カディナがさっき、薬を取りに来ましたが」

「わたしも彼に謝らなくちゃ。それから、わたしからセージを守ってくれたお礼も言わなくちゃいけない」

「彼にお詫びと感謝の言葉を? 考えられません」


 セレウスが、驚いたように呟く。


「魔神族としてはね。でも、人間としては当然でしょ。ユードはやっぱり、基本的にはとてもいい人だと思うよ」

「魔神狩人は敵ですよ。敵にそんな感情をお持ちになるなんて」

「そうだね。いつか彼に殺されるかもしれない。このあたりにエヴァンレットの剣を突き立てられてね」


 七都は、胸に手を置いた。

 そして、あの夢の中の少女を思い出す。

 やっぱりあの少女は自分で、もしかするとあの剣は、ユードとは限らないけれども、魔神狩人の剣だったりするのかもしれない。

 ふと考えてしまったことだが、完全に否定出来ないのが恐ろしい。


「彼からエディシルを抜き取って、魔神狩人など出来ぬようにしてやればよろしいのですよ。そうすれば、そんな心配などなさらなくてもよろしいのですから」


 セレウスが言った。


「そんなこと、出来るの?」

「魔神族に一度に大量にエディシルを食べられた人間は、髪が白くなり、肌にも皺が寄って、老化してしまいます。エヴァンレットの剣など握れぬくらいの老人にしてやればよいのです」


 七都は、セレウスを眺めた。


「やっとあなたらしくなった。言ってることは、相変わらず怖いけど」


 セレウスは、数回、目をしばたたかせる。

 それから、穏やかな緑色の瞳で七都を見下ろした。


「ナナトさま。カトゥースは、まだまだご入用ですか?」

「うん。もう少しお願いしてもいいかしら?」

「かしこまりました」


 セレウスは、七都の部屋から出て行った。

 その足取りは、確かに先程よりは軽くなったような気が、七都にはしたのだった。

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