アップルパイを焼いて
ガールズラブ……二人とも成人していたらレディースラブにでもなるのだろうか?
ちなみに探偵さんは二十三才くらいかと。
探偵というと、子供の頃は難解な事件を解決する華やかな仕事だと思っていた。だが実際のところは浮気調査とかペットの捜索ばかりでーーというかそれ以外の依頼を受けた事がないーーなんとも地味で面倒な仕事なのだ。
最近の収入源はもっぱら副業の文筆で、探偵としての収入など大学生のバイト代にすら劣るありさまだ。これではどちらが副業かなどわかったものではない。もっとも、これはあまり宣伝をしないあたしの自業自得でもあるのだが。
ところで、探偵の仕事には難事件の解決以外にももう一つ華やかな印象がある。つまりは有能な美少女の助手だ。
「ーーよし、アップルパイを焼こう!」
パソコンに向かって原稿を書いているあたしの後ろで、今年十六になるらしい少女は言った。
彼女は一年ほど前、ペットの捜索を依頼してきて、以来なぜだかあたしになつき、暇さえあればこうして事務所に出入りしている。
いわゆる華やかな印象の一つに見えるのだがーー
「そうと決まれば材料を買いに行きましょうぜ、マイワイフ。あたしの愛を詰めまくったアップルパイをご馳走するぜ!」
ーーだが、こんな騒がしい助手は勘弁してほしい。
「誰がワイフだ、誰が。てか、アップルパイの焼き方なんて知ってるの?」
「知らない。探偵さんは?」
「あたしにそんな乙女チックなスキルがあると思うかね」
「いや、意外とあったり……しないよね。なんかごめん」
この返答は容易に予想できた。しかし、申し訳なさそうに謝られると、なんだか複雑な気分になる。
「じゃあさ、一緒に調べようよ。パソコンもあるし。二人の始めての共同作業ってやつ!」
「却下。今原稿書いてるからムリ」
「えー。いーじゃんいーじゃん。原稿よりも恋人との時間のが大切だよー。愛を確かめ合おうよー」
「……恋人って、あのね。二人とも女だろ」
「でも探偵さんは女同士が好きなんでしょ? 問題なんて、一つもないよ」
「…………」
「私、探偵さんの事好きだよ」
キーボードを叩く手が止まる。
「はん。ガキンチョが、三年早いってーの」
言って、コーヒーを一口すする。深い苦味のあるブラックだ。探偵といえばこれに限る。
「…………」
「…………」
あたしがパソコンに向かって、彼女は押し黙る。沈黙が流れる。
ーー確かに彼女といるのは楽しい。正直にいうならば、恋愛面の意味で好きだ。そういう性癖は持っているし、何人かと経験を結んだ事もある。
あたしが問題だと思うのは、彼女の年齢という、その一点だ。まだまだ彼女の精神は幼すぎるのだ。あたしへの想いが実際の恋なのかどうかの区別もつかないほどに。
今ならまだ、引き返せる。将来どこかの男と恋に落ちても、綺麗な思い出だったと笑えるようになる。あたしも、そんなものだと諦められる。だがもし、たったの一度でも彼女と関係を持ってしまえば、あたしはどんな手段を使ってでも彼女をつなぎ止めようとしてしまうだろう。そうしなければ、あたしはもう立ち直れないような気もする。それほどまでに彼女は魅力的すぎるのだ。
……そんな事、できやしないくせに。
スルスルと布の擦れる音がして、あたしの体に緊張が走った。
「……探偵さん、原稿を書く手、止まってるよ?」
彼女が背中からあたしに抱きついて、耳元で囁く。
吐息を耳が感じるたび、髪の匂いが鼻をくすぐるたび、彼女があたしに触れるたびに、あたしの鼓動はまるで初心な生娘のように高鳴る。
「……探偵さん。私の胸、同級生の皆より大きいんだよ」
知っている。今、背中に押し当てられているから。
「……探偵さん。私の顔立ち、普通よりも整ってると思うんだ」
わかっている。まぶたの裏にまで、焼き付いているから。
「……探偵さん。私じゃ、ダメかな?」
ダメ。あたしがあたしをそう納得させられるだけの理由を探す。
「……探偵さん」
彼女の指があたしの左頬に触れる。あたしは振りほどけない。
彼女の手があたしの顔をそっと右に向ける。あたしはされるがままだ。
彼女の目があたしを見下ろす。あたしは彼女を見上げる。
「ーー私の初めてを、散らして……」
ふっくらとした、官能的な唇が動く。あたしはりんごのように赤いな、と思った。
うるんだ瞳が、上気した顔が、あたしに近づく。髪が頬を撫でる。そして唇がーー
「あ、あー!」
ーー唇があたしに触れることはなかった。手で押し止めたのと、突然に声を上げたから。
「タ、タバコ!」
彼女がキョトンとした顔であたしを見る。
「その、タバコ切らしてて、買いにいかなくちゃならないんだ!」
わたわたとした様子で、我ながらなんとも意味のわからない言い訳だ。ただ、これで場の雰囲気は台無しだろう。
「……なにそれ。タバコなんて、吸えないくせに」
彼女が少し笑って、そして悲しそうに言った。
あたしの頬から手を離して、離れて、脱ぎ捨てていた上着を羽織る。彼女はソファーに座って、膝に顔をうずめた。
ーーズキン、と心が痛んだ。
「な、なぁ」
「なに、探偵さん」
彼女の声はやはり沈んだもので、いつもの明るさなど微塵もなかった。
「いや、そのだな、あたしは今からタバコを買いに行くわけだ」
「……うん」
「それで、えと、ついでにアップルパイの材料も買おうかと思ってて。……一緒に、調べてくれないか」
「……ずるいよ、探偵さん」
「うん。ごめん」
「私が断らないって、知ってるくせに……!」
「……ごめん」
「謝ったりなんかしないでよ!」
彼女はあたしの胸に抱きついて、わんわんと泣いた。こんなに近くにいながら、あたしは彼女にたった一つの言葉をかける事も出来ないのだ。言ってしまえば楽なのに。そうすれば自分も彼女も、少なくとも今は傷つかなくてすむのに。
これはきっと罰なのだ。
彼女の勇気を踏みにじって、その想いを利用して。そのくせいつか失ってしまうのが怖いだなんていう、臆病なあたしへの罰。
仕方がないよと自分に言い聞かせる。臆病者で、そのくせ頑固者なあたしはきっと聞く耳を持たない。
あたしは彼女の頭を優しく撫でた。
ーー事務所の外に出ると、冷たい風があたしたちを刺した。
「うわ、さむっ!」
いつもの調子で彼女は言って、あたしの腕にくっついた。笑ってはいるが、その目はまだ少しだけ赤い。
「……あれ、めずらしいね。いつもなら『やめろマイスイートハニー』とか言って離そうとするのにさ」
「まあ、たまにはね」
「ほーんと、めずらし」
彼女はあたしの腕を離して、かわりに手を握ってきた。
無言のまま、二人で並んで歩く。
五分ほどそのままの時間が流た後、彼女は口を開いた。
「ね、探偵さん。さっきのあれ、気にしてるでしょ」
「それは……」
「いいよ。気にしない方が無理だろうしさ。今の私じゃダメってことなんだし」
「…………」
ダメじゃない。そう言えたら、どれだけいいか。でも、あたしの口からその言葉は出せない。
彼女があたしの手を離して、前に立ちはだかって、びしっと指差してくる。
「でもね、今はダメでもいつか絶対にダメじゃなくしてみせるから!」
覚悟しなさいよ。そう言って、彼女はニヤリと笑った。
「……おう。楽しみにしておくよ」
あたしもニヤリと笑い返す。
もしも、もしもその時が来るとしたら、それは彼女が自分の想いに本当の答えを出した時であってほしい。その上であたしのそばにいてくれるのなら、もはや怖がる理由など一つもないのだから。
漏れる吐息は白く濁っていて、まるでタバコの煙のようだな、とあたしはぼんやりそう思った。
感想とか、「これおすすめだよー」とかあったら教えてね。では。
しかし……もっとゆるい感じにしたかったのに……どうしてこうなったんだ……。