epilogue
時は暫し遡り、場面はSDC終結の日。
暗闇と静寂。誰も居ない神社の境内を包んでいたのはこの二つ。丑三つ時を過ぎた真夜中に、光源など一切無い神社は不気味さを際立てる。
そんな肝試し目的ぐらいでしか来ないであろう、高台にある神社の静けさ。それが、鳥が囀る朝を待たずに破られた。
ざわざわと騒めく木々の葉音、それもある。夜に吹く風音、それもある。だが、一番の理由はそれらではない。
空気の急転、雰囲気の異変。夏夜特有のねっとりした空気は肌寒くなり、不気味さが漂っていた雰囲気は息をするのも戸惑う程に緊迫する。
変化の原因。それは――――。
「……お前のお巫山戯に付き合う気は無い」
「俺は割とマジに言ったんやけど……ま、そうやろな」
ほんの十分前。この場に突如現れた二人の男。
歩いて、否。走って、否。否。戦闘を行いながら、否。否。否。
まるで朝の散歩でもするように。二人は神社を囲う林の木から木へと移り、空から境内に現れた。
同時に土を踏み、同時に睨みを利かせ、同時に殺気を放つ。
黒いスーツ、黒いネクタイ、黒いハット、黒い革靴、黒い長髪。黒という黒の衣装を纏う男、白羽と。
太い両腕、分厚い胸筋、前髪で目は隠れ、背中まである三つ編みにされた金色の髪。口に煙草を咥えた男、テイル。
「お前の固ぁい頭じゃあ無理なのは分かっとったわ」
「私はお前みたいに節操が無い大人ではなくてね」
黒は顎を引いて微かに上目で、金は顎を僅かに上げて見下すように。お互いが鋭い眼光を飛ばす。
何を話していたのか。二人の間には不可視の火花が散り、穏やかではない空気が陽炎のように歪む。
相反する意志と、反発する性格に、拮抗する殺気と敵意。
少し前までは不気味なれど静寂だった神社の境内は、今は見えない重圧が辺りの空気を重くする。
「……お前達の目的は一体なんだ?」
「はん、言う訳無いやろ。そんくらい自分で調べるのが仕事じゃないんか? 天下の警察様の名が泣くで」
テイルは鼻で笑い、白羽へと馬鹿にした口調で言葉を返す。
そして、腕を組み、学校がある方へと顔を向けた。
「今頃は咲月君、泣いて喜んどるやろなぁ。数年越しの再会……ドラマチックやないか」
「人の生き死にだけでなく、人の純粋な願いまでも利用する貴様等には反吐が出る」
「酷い言われようやなぁ。俺は咲月君のお願いを叶えてあげたキューピッドやで? 感謝の一つくらい言われてもええくらいや」
「関西弁で話す割に、冗談は下手なようだ。全く笑いが起きない」
ただただ不快感だけが煽られ、白羽は顰めた眉をさらに寄せる。
当然、テイルも最初っから笑わせるつもりなど毛頭無い。
「あれはわざわざ、咲月君の彼女のDNAから作ったクローンでな。結構な傑作品やで」
「クローン……やはり人間の複製をしていたか……!」
「そっくりやろ? 他人の空似やのうて、本人の空似ってヤツや」
「まるで今、咲月君と一緒に居る嗄上凛は本人では無い様な言い方だね」
「おっとっと……!」
テイルはわざとらしく肩を竦め、口元に手を当てる。
「こっちはちゃーんと願いを叶えた。それを希望にするか、絶望するかは咲月君次第や」
「三年前……九州で行ったSDCで願いを叶えた者のように、か?」
「ほう?」
白羽が睨め付ける眼光が鋭さを増すも、テイルは受け流しつつ関心の表情を見せた。
テイルが軽く吹き捨てた煙草は宙を飛び、ころりと地面に転がる。
「それを調べたんは驚きや。そんで、お前は知っていた上で咲月君に願いを叶えさせたっちゅう事か」
「その件でも不可解な事が多くある。願いを叶えた者と、生き返った者。二人がSDCが終わって間も無くに死亡している。まるで証拠隠滅を謀ったとしか思えない」
「あれは勝手に絶望して勝手に死んだだけや。SDCに参加しただけのガキ一匹、放っておいても問題無いわ」
「つまり、情報を持った者であったら対処をしていた……と?」
テイルの返答。言葉の中にある引っ掛かり。
言葉と行動に生じる矛盾への違和感に、白羽の前髪がはらりと揺れる。
「テイル……お前は一体、何を企んでいる?」
「さっき言うたやろ、喋る訳……」
「違う。組織ではなく、“お前自身”がだ」
一瞬。煙草を取り出そうとしていたテイルの動きが止まった。
長く伸びた前髪の隙間から、普段は隠れている双眸が宿敵を凝視する。
「お前の行動には矛盾している部分が多々ある。どうもきな臭くてね」
「ふん、今さら何を言っとんやか。俺はきな臭くて嘘くさい。けど嘘を付かないのがモットーや。敵のお前から見たらきな臭いのは当たり前やろ」
「確かにそうだ。だが、お前は自身の組織に悪影響を及ぼすであろう行動を取っている。それも確信的に、だ」
モユと言う名の少女を手放し、一人の少年と接触させて組織から抜け出させた。
さらに少女は禁器を持ち、貴重な“所持者”。貴重な人材を組織自らが手離す理由が無い。
ならば自然と行き着くのは、その一連の出来事はテイルの独断による行動。それしか考えられない。
この白羽の問いにテイルは黙し、静かに新しい煙草に火を点ける。
「組織とは別に、お前自身が何かを企てているとしか思えなくてね」
「いやいやいや、勘ぐりすぎやて。ただの気まぐれや」
「気まぐれ、にしては明らかに軽率な行動だ。組織が行っている実験の一部が露見されたというに、お前はそれを楽しんでいるようにも見える」
「……勘が良過ぎるのは時に、勘違いになってまうで」
テイルが先ほど見せた一瞬の硬直と、殺気とは別の黒々しい異なる雰囲気。
今はいつもの飄々とした態度に戻っているが、明らかに何かがある事を白羽は確信していた。
「はぁ……やめや、やめ」
暗闇広がる神社の境内に、ほんの僅かな一点の明かり。煙草の先端が赤く光る。
そして、月が浮かぶ空に向かって吐き出すは紫煙の塊。テイルは辟易とした様子で、口調も心無しか投げやりにも聞こえる。
「そろそろ三文芝居は終わりにせぇへんか?」
「……」
「隠さんでええ。いつもと変わらずけったいな殺気を放っとるが、その裏には何か違和感がある」
「それに気付いてなお、私の誘いに乗ったと」
「お前とは長い付き合いや。お前が今、俺を本気で取りに来る気が無いのは知っとる」
「なるほど……では、お互いに止めるとしようか」
「ま、こっちが気付いてて、そっちが気付かん筈が無いわな。なぁ、白羽?」
「何を言いたい?」
されど敵意と殺気が衰え、収まる事は一切無い。
黒と金。互いへ対する警戒と嫌悪を隠さず、周囲は異様に緊迫した空気から虫をも含む生物が一匹も見当たらない。
ヤニの臭いを辺りに漂わせ、テイルはおもむろに白羽へと向き直す。
「さっきのお前の言葉、まーんま返したる。“お前の”目的はなんや?」
「……何?」
「お前かて、ただの正義感だけで動いとる訳や無いんやろ?」
「質問の意味が解らないね。私は……」
「お前の兄貴、行方不明なんやってなぁ?」
「――――ッ!」
突風、強風、向かい風。テイルへと向かって煽り吹くは殺気の波。
黒を纏った男から放たれる眼光からは、凄まじい威圧と真っ黒い感情を孕んだ憤怒。
「貴様、どうして知っている……どこで知ったッ!!」
「おーおー、そういう顔も出来るんやないか。お前がそこまで感情を出したのは初めてや」
「私の質問に答えろッ!」
常に冷静を保ち、落ち着きを崩さない白羽が。初めてその仮面が割られ、剥き出しにされた形相を表す。
声も荒げて高く、私情と感情のままに吠えた。
「これは俺個人が気になっただけで、組織は関係あらへん。安心しぃや」
「全てを話せっ! 知っている事、情報を得たルート、全部だっ!」
感情の昂ぶりは収まらない。今にも飛び掛りそうな勢いで、白羽は足を一歩踏み出す。
「あっはっはっは! いやいや、今日はええもんが見れたわ。お前のその顔を見れただけで、この三文芝居に付き合った甲斐があるわ!」
「もう一度言う。全てを話せ。これ以上、私を苛立たせるな……!」
「しゃあないなぁ、俺が動きにくくなるから情報の仕入れ方は教えられへんが、代わりにええこと教えたる」
「代わりだと……?」
求めている返答が無い事に苛立ちを隠せない白羽に対し、テイルは含み笑いを浮かべて。
まるで焦らすように数秒の間を空け、大きく吸った煙の塊を吐き出す。
そして、何を思って何を考えているのか。次に口にした言葉は――――。
「“HPAST”。それが組織の名前や。覚えとき」
自身が所属する組織の名。SDCを開き、人体実験を行っていた黒幕。
思わず耳を疑い目を見開く白羽を、テイルは面白そうに笑い眺める。
「それもお前の言う“気まぐれ”か?」
「どう受け取ってもええ。ま、組織名が解っただけでどうにか出来る程、こっちも甘いつもりないしな」
話題を逸らされ上手く肩透かしされるも、白羽は知り得た新たな情報に反応を示す。
しかし、自ら情報を漏らすテイルの行動に不審を覚えずにはいられない。
組織の名を得たのは大きな一歩ではあるが、故にテイルに抱く懸念は大きくなっていく。
「さて、そろそろお片付けが終わる頃やな。互いに互いの時間は稼げたやろ?」
「……お前に聞きたい事がまだあるが、答えるつもりはないのだろう」
「そういうこっちゃ。決着はまたの機会に、や」
半分まで短くなった煙草を一息吸い、テイルは指で摘んで口から離して。
それを白羽の方へと向け、人差し指で弾き捨てた。
「ほな、ばいなら」
そして、最後に一言。軽い口調でそう言って、金色の三つ編みを靡かせて飛び去って行った。
「ふぅ、時間は十分に稼げたか。予定通り病院へ行けているといいが……」
胸ポケットから携帯電話を取り出し、電話を掛けるは一人の部下。
受話口から鳴るコール音を聞きながら、白羽は鼻腔を刺激する煙草の残り香に眉を顰める。
相も変わらず思考が読めず、目的が解らない宿敵。まるで徐々に消えゆく紫煙のように、掴み所がない男であった。
◇ ◇ ◇
そして、遡っていた時を戻って九月の六日――――夜。
空は数時間前に陽が落ちて暗くなっているが、まだ寝るには早い時間。
白羽の仕事場兼、部下の寮代わりに使っている事務所。各自の部屋は電気が消えていて暗いが、寛ぎの場として使われている広間の窓からは明かりが漏れている。
元々は白羽を含めて三人しか住んでいなかった事務所だが、今では一気に住人が増えて賑やかな声が廊下に響く。恐らく広間に集まって、皆でテレビを見ながら談笑でもしているんだろう。
「ここも随分と賑やかになったものだ」
微かに部屋に聞こえてくる笑い声を耳にし、白羽はキーボードを打つ手を止めて釣られるように小さく笑う。
生き返った嗄上凛に加え、明星洋も傷の治療として事務所に泊まっており、咲月匕も含めると今では三人も住人が増えた。
「彼女には辛い思いをさせる選択をさせてしまった……芯が強く、心も強い。助ける筈が助けられてばかりいるな」
自分の至らなさを恨みながら高級チェアに寄り掛かり、染みのない綺麗な天井を仰ぐ。
気が付くと三年もの時が経ち、自分が知っている環境とは違う所で目覚め、知人が恋人しかいないという状況。
嗄上凛は身体的な見た目では咲月匕と同じ高校生として見えるが、主観年齢は十四歳。心細く、不安な気持ちが強いだろう。
だと言うのに、『家族との連絡と接触を一切しない』という要望を彼女はすんなりと了承した。自分の気持ちを後回しにして、大人の都合を汲み取って、だ。
「一日でも早く彼女を家族の元へ帰れるよう、私達がしっかりしなければ」
解決しなければならない問題はいくつもあるが、決して無理な事じゃあない。
だが、SDCが終了したとは言え、黒幕の組織の動きが解らない。それだけじゃなく、テイル個人の動きも気になる。
当分は安全が確認出来るまで気を緩めない状況であるのは間違いない。
しかし、頭を悩ませる事だけではなく、胸を撫で下ろす報告が一つあった。それは嗄上凛の寿命が短いのではないかという危疑が晴れた事。
「なんにせよ、モユ君のように短命ではないかと心配していたが、杞憂で良かった。クローンと聞いて、テロメアの……」
他に誰もいない自室。白羽の独り言が、途中で止まった。
さっきまでの緩んでいた表情は険しいものとなり、顎に手を当てて考え込む。
矛盾という不審点。引っ掛かりから生じる違和感。
「嗄上凛のDNAから造ったクローンだと、奴は言った」
つい先日の、テイルとの会話を思い出す。確かにテイルは言っていた。
咲月匕の願いを形にし、渡したのは本人のDNAを元にしたクローンだと。
そこに芽吹く違和感。情報と現実の不一致。いや、正しくは自身の情報への不整合。認識のズレ。
「それが本当ならば、いつどこで入手した? 彼女が亡くなったのは三年も前だ。DNAを入手するなら、その頃すでに嗄上凛に目を付けていたか……または、死亡後でも入手する手段があった……?」
机の一番下の引き出しを開け、中には付箋が貼られた多くの資料。
白羽はその大量の資料を漁り、一つのファイルを取り出した。
「彼女の遺体は確か、司法解剖で長く調べられていた筈。そのまま火葬されて、遺族の元に帰ってきた時には遺骨になってから……エドに調べてもらった時から思っていたが、不自然な点が多いね」
白羽が見ているのは、三年前に嗄上凛が通り魔に殺された事件の資料。
記載されているのは事件の全容だけでなく、警察の調査情報や捜査の流れ、被害者の処置等。その全てが纏められてある。
「司法解剖に費やした時間は七日間。損傷が激しいという理由で遺体の返還は火葬場に直接送られ、遺族を含め誰も死亡後の彼女を見ていない」
遺体の損傷が激しいとは言え、他殺だと判明している遺体の司法解剖に七日は掛かり過ぎている。これならもっと短い期間で済む筈である。
加えて遺体をそのまま火葬されたのも訝しい。遺体の損傷は主に上半身、腹部に多かったと書かれている。
顔が目も当てられない程の損傷が酷い場合ならば、遺体確認の有無を遺族に選ばせる事がある。
「しかし、資料によれば遺体の首から上はほぼ無傷。なのに遺族の意向は受け付けず、死に顔にすら会わせず強制的に火葬している」
遺体を火葬した場合、骨の内部組織が燃焼されて消失してしまう。そうすれば残るのは石灰成分だけになってしまい、DNAの採取や型判定は不可能である。
となると、DNAを採取出来る機会はかなり限られる。嗄上凛が殺される前、または……亡くなって火葬されるまでの七日間。
考えられるのは、この二つ。そして、白羽の胸に膨れ上がる疑惑。
「……確実にいるな。内通者が」
確信は無い。確証も無い。だが、そうであるという直感と不信がある。
あってはならないその可能性に、白羽が持つ資料の紙に作られるは数本の皺。
『組織名が解っただけでどうにか出来る程、こっちも甘いつもりないしな』
脳裏に蘇る、奴の台詞。
今になってその言葉の裏にあった意味を理解する。
「警察内の資料や情報を軽く調べてみたが、『HPAST』に関して手掛かりすら一切無かったのは当然という訳か」
ある程度の隠蔽をされているにしても、多くの人が人体実験で殺されている。証拠を隠滅するにも限界がある。
現に今回のSDCで零名学園の校舎が破壊され、毎日ニュースで取り上げられている状態だ。
こうも大きく世間に取り沙汰されているのに、警察内では事件ではなく事故として片付けられるよう動いている。
今回の件を早く鎮静化しようとしているのは世間が不用意に騒ぎ立てない為だと思っていたが、見え方が変われば考え方も変わる。
確実に、着実に。黒々しい毒が警察の内部に回り始めていた。
「既に根が回っていると考えるべきだ……捜査の方法だけでなく、指向と思考を変えていかなくてはいけないな。そうなると、警察上部へ提示する情報も抑制すべきだ」
味方であるはずの警察側に、裏切り者が居るという疑惑。最悪、権威を持つ者がそうである可能性もある。
下手をすれば味方に足元を掬われ、背中を撃たれる危険があるという事。
立ち回り方を変え、改めなければ。そして、仲間が必須だ。揺るぎない信頼を持てる仲間が。
「一歩進んだかと思えば、浮き彫りになるのは身内に潜む影……そう簡単に尻尾は掴ませないか」
白羽はデスクに両肘を突き、指を絡めた両の手へと口元を寄せる。
自身が所属する警察が懐柔されている可能性と、裏切り者の存在。
想像以上に深刻な背景に、表情は険しいものへと変わっていく。
「これ以上ない位に、皮肉が効いてるな。テイル」
◇ ◇ ◇
「ぶえっくしょい!」
薄暗い廊下で、盛大なくしゃみが一つ。
くしゃみをした男――――テイルの三つ編みにされた金髪が、ひらりと揺れる。
「ちょっと、汚いわね。口くらい押さえなさいよ」
「あー、悪い悪い、モリちゃん」
「風邪を移したりしないでよ。あなたの体に居たウイルスだとしつこくて治りが遅そうだもの」
「そんな人をインフルエンザみとうに言うなや」
テイルは鼻をすすり、鼻の下を人差し指で軽く擦る。
そして、テイルが謝るのは隣を歩くモリちゃんと呼ばれた年増の女性。白衣を羽織り、目下の大きなクマが目立つ。
「ま、どこぞのカラスが俺の噂でもしとったんやろ」
「カラス?」
「カーカー五月蝿く騒いでちょっかい出してくる奴がおんねん。真っ黒いカラスがな」
「……? カラスは元々真っ黒でしょ。白いカラスなんて見た事ないわ」
「黒いくせして白いカラスがおるんや。カラスだけに妙に頭が良くて手ぇ焼いとる。邪魔臭くてしゃあない」
怠そうに、辟易して、鬱陶しいと。
テイルは因縁浅からぬ黒尽くめの男を比喩し、厄介だと呟いてごちる。
「それより、回収班からの報告を受けたわ。あなた、何をする為に現場に居たの? 監視役が聞いて呆れるわ」
モリは咥えていた白い棒を摘まみ、舐めていた棒付き飴を口から取り出す。
声には苛立ちと怒りが孕んでいて、隣の男を横目で睨めつけた。
「まぁええやろ? どっちにしろ、回収したって使いもんならんかったと思うで? 二从人格の実験は殆んど終わって、新しいのに手ぇ付けるんやし」
「私が言ってるのは人格じゃなくて、禁器とそれを使える人間の事を言ってるのだけれど?」
「あー……そっちやったか」
「まさか貴重な“所持者”だけでなく、禁器も失っておめおめと帰って来るとは思ってなかったわ」
「それはホンマにすまんかったって。禁器まで取られるとは思ってなかったんや。堪忍してや」
「せっかく大剣の方を取り戻してきたかと思えば、今度は棍……はぁ、仕事はちゃんとやって欲しいわ」
プシュ―――――。
圧縮された空気が抜ける音と同時に、ふたりが立ち止まった正面の扉が自動で開く。
薄暗い廊下から中に入った部屋もまた、薄暗い。所々に頼りないオレンジ色の明かりがあるだけで、広さがある部屋に対して明らかに光源が足りていない。
広い部屋の壁際、それも真ん中に。不自然に置かれた机が一つ。机の上にはデスクトップパソコンのディスプレイが三つ。ケーブルは床下に伸びて、数台ある本体は床に置かれている。
「そんで、新しい実験の調子はどうや?」
「色々と準備しているところよ。本格的に開始するのはもう少ししてからね。今までみたいにSDCなんて行わなくて済むのは大きいわ。後処理も面倒だし、何より人目に付く心配も無いもの」
「ある程度の根回しはしている言うても限度があるしな。以前に軽く騒ぎになりかけた時もあったし、引き篭もって出来るならそれに越した事ないわな。なにより、俺があちこっち行かずに済むから楽でええ」
モリはキャスター付きの安っぽい椅子に座り、テイルは机の縁に腰を掛ける。
「とりあえず今は“繭”からデータを採集しているわ。前回あった問題を色々とクリアしなきゃならないし」
「そっち方面は俺の範囲外やからな、大変や思うけど頑張っとくれや」
「あなたがせめて、所持者を持ち帰って来てれば幾らか楽だったのだけれどね。無い物をねだっても仕方無いから割り切るしかないわ」
「……耳が痛うございます」
モリの皮肉にテイルは肩を竦ませる。
自分より知恵と知識が多い相手に口で返せば、十中八九言い負かされる。こういう時は黙って非を認めるべきだと、テイルは大人しく観念していた。
少しでも鬱屈した気分を切り替えようと、ポケットから赤と白の二色が特徴の煙草の箱を取り出す。
「ここは禁煙よ」
「……」
しかし、箱から一本。煙草を口に咥えたところで、モリから刺々しい声が投げられた。
テイルは無言で顎をしゃくれさせ、火を点ける事無く終わった煙草を握り折る。
「そんなら早よ用を終わらせてくれ。ヤニ切れ起こしそうや」
「新しい実験でもあなたが引き続き監視役なのだから、現段階での進行具合と、後で資料を渡すから実験内容の把握をして頂戴。次はしっかりと仕事を熟してもらいたいものだわ」
「ったく、何度も言わなくても反省しとるて」
「あら、反省してないから二度目を起こしたんでしょう?」
「ホンッマに口鬱陶しいオバハンやで……」
陰鬱そうに呟くテイルを横目に、モリはさして気にもせすパソコンの画面に表示されている一部をクリックする。
すると、デスクが置かれている正面の壁が、徐々に明るさを帯びていく。否、壁だと思っていたのは普通の壁ではなく、マジックミラーであった。
黒色の壁が透過されてき、向こう側に作られてあった広大な空間が露になる。
「ほーう、よくまぁこないな設備を短い期間で造ったもんや」
一枚壁の向こうに広がるは、所狭しと並ばれた大量のカプセル。一瞥しただけで百以上は優にあり、奥行も深く全部で幾つあるのか解らない程。
薄暗い空間で青白く発光するそれは不気味さが増し、多くの管が伸びて様々な機器へと繋がれている。
「テイル、聞きたい事があるのだけれど」
「あん? なんや?」
「……一体、組織でどれだけの権威を持ってるの……?」
「はぁ? 権威ぃ? んなもん俺にあるかいな。あったら今すぐここの禁煙を解いとるわ。しがない固定給の非合法サラリーマンやっちゅうねん」
「茶化さないで。いくら“上”のお気に入りとは言え、ここまで好き勝手やってもお咎め無しなのが腑に落ちないわ。それも、二度も禁器の紛失をしているというのに」
「いやいや、そんな事ないで? めっちゃ怒られとるって。ここに来る前に上のお偉いさんからカミナリもろうたわ。せやから、早く外で煙草に癒されたいんやけど」
真剣な表情で問い詰めるモリ。立場を過度した勝手な行動に、不可解な部分が少なからずあった。
それに対してテイルはいつもの飄々とした態度で受け答え、マジックミラーの前へと近付いて行く。
カプセル内には緑色の液体が入っており、時折水泡が昇っていくだけで特に何も無い……いや、しかし、顔を近づければ。よく目を凝らして見れば。
その中に、調整槽と呼ばれる硝子の子宮に――――造られたばかりの小さな胎児が、ぽつんと浮かんでいた。
「あなた、一体何が目的なの?」
「せやなぁ……ま、平たく言うならアレやな」
そして、数多くあるカプセルの中に一つ。マジックミラーを前にして、その中央に。無数ある調整槽とは明らかに作りが違うのが、異彩を放って置かれていた。
テイルが口を微かに歪め、眼前にあるその異型の調整槽を見上げ、前髪に隠れた双眸を細くした先。
そこにいたのは。そこに、あったのは。
「――――面白い事に興味があるだけや」
暗闇の中で静寂かに揺蕩う、赤茶髪の少女だった――――。
To be continued. Next story three years after.




