No.79 やっちまえ
今から、お前を消す。
俺が言った台詞を聞き、コウは目を少し見開いてから口角を上げた。
馬乗りして首を両手で掴んでいる俺を見上げ、小さく乾いた一笑を漏らす。
「消す……? お前が、俺を、消すだァあ?」
そして、その一笑が付火となり、コウは血で赤と白が混ざる歯を見せて大きく笑い出した。
「は、はッハ、ははッ! テメェの先輩をテメェの手で殺すか! アハッハッハ、いいなァ、おもしれェ!」
「お前がどう思おうと関係無い。俺は俺のやり方でいくだけだ」
笑い、笑って、大笑う。嘲笑し、煽りを含め、囃し立てる。
自分という存在を消すと言われても尚、それすら楽しみの一つとして感情を昂ぶらせて。
「いいのかァ? 俺の中で仲のいーい先輩が言ってるぜぇ。死にたくない、殺さないでぇ! ってなぁ?」
「……黙れ」
「まだ生きたいンだってよ、お前の先輩は。それなのに殺すのかァ? 酷ぇ後輩を持っちまったなぁァァぁ?」
「黙れってんだよッ!」
コウの首を掴む力が強くなり、掌全体に肉にめり込む感触が伝わる。
しかし、コウに苦しむ様子は一切ない。むしろ不敵に笑みを浮かばせて見てくる。
コウを打ち倒し、勝利した筈の俺が苦悶の表情をし、敗者であるコウは愉しそうに笑いを止めない。
二人の状況とは真逆の態度。陥った立場からの反応は、交互反対。それを面白がって白髪の凶刃は嗤う。
「お前がどう思って、どう感じて、どう受け取っても構わねぇよ。ただ、俺は心に決めて……覚悟をしてきたっ! 」
見慣れた顔。聞き慣れた声。慣れ慕んだ仲。
分かってる。理解している。別人格であり、完全な別人だというのは。
しかし、人格は別でも、体は本人と同じもの。コウが言っている事は本当かもしれない。
まだコウの人格の中で、まだ消えずに残っている先輩の人格が訴えてきてる可能性もある。
……だが、だからと言って。本当だったとしても。
「先輩を助けるには……もうこれしか無い」
俺は覚悟をしてきた。殺す覚悟。殺される覚悟。そして、生きる覚悟。生かす覚悟を。
感覚を研ぎ澄ませ、意識を集中させる。傷だらけの身体に鞭を打ち、先に待つ未来を明るいものにすべく。
温度変化から起きる、微風の流れ。熱帯夜の気温とは別の熱気が周囲を囲む。
吐き出す息が熱い。体の奥底が熱い。奴の首を握る掌が、熱い。
「ハッ、ここでようやくのスキルをご披露ってか! その炎で俺ごとお前の先輩を燃やし殺すか!」
辺りを包む熱気と、熱を発する俺の雰囲気。
この二つから、コウは俺がスキルを使用すると気付く。
「そうだよ。今からお前を燃やして、消し去る……ッ!」
頭の奥にある、感覚のスイッチ。
いやスイッチなんて可愛らしいものじゃない。例えるなら、線路の切替レバー。
ごつく重々しい鉄の棒を、徐々に力を加え、ぎしぎしと金属音を鳴らす。
そして、変わり、替わって、換わる。脳の奥から全身の血管を通って熱湯が流れるように、熱が巡る。感覚が切り替わる。
ガキン――――と。
「これがテメェのスキルか、咲月ィ……!」
発現する力。具現する精神。俺の手から発せられる、赤々しい炎。
暗闇を侵食し照らすかのように、煌々と赤光を揺らす。
「な、ンだ……熱、く、ねェ……?」
コウの首を握る俺の両手から轟々と放ち生まれ出る炎。
しかし、コウの表情に浮かぶ躊躇と怪訝。その理由は炎から来る熱が殆んど無い事にだった。
「言っただろ。お前を消す、ってよ。このスキルで先輩の中から、別人格だけを燃やし消す」
「なん、だ……この炎はッ!? 俺の体、が、意識が遠く……違、ェ、これァ俺が……存在が、燃やされる……!?」
熱による人体への被害は無い。しかし、炎は確実にコウの存在を侵食していく。
コウは感じたことのない感覚に困惑しながらも、自身に迫る危険に恐怖の感情を隠せずに顔に出す。
ちりちりと炙られ、じりじりと燻り始め、ぴりぴりと頭の中が熱く痺れる。
「そう簡単に、よォ……やられて、堪るか、ってンだ……!」
「あぁ、だろうな! 易々と消せるとは最初っから思ってねぇよ!」
首を掴んでいる俺の腕を掴み返し、残っている僅かな力で抵抗するコウ。
腕にコウの爪がめり込み、鋭い痛み走って骨が軋む。
「だからここまで来るのに、色々と策を巡らせてきたんだッ!」
すでに肋骨が折れているかも知れていない状況で、今さらこの程度の痛みがなんだ。
顔、肩、腕、腹、背中、腰に脚。もう全身の殆んどが怪我をしている。
それどころかアドレナリンが流れ出したか、さっきまで体中で暴れまわっていた激痛を今は全く感じない。
「何の為に、お前に物を壊させまくったと思っている」
「……ッ!? テメェ、まさかっ!?」
「何でも壊せる禁器と言っても、使うには相応の対価がある……!」
「ク、ッソがっ! 変に逃げ回ってると思ったら、俺の精神を磨り減らせるのが目的だったってのか!」
「人格を燃やし消し去るには、膨大な集中力と精神力が要る……特に、暴れ馬みたいな奴のはな!」
真っ赤に燃える炎を生み出しながらも、心は止水の如く。
熱い吐息を一つ吐き、己の精神を炎へと形を変える。
「だが、その人格を保つ精神力を消費させて、疲弊させていれば可能性は上がる……!」
頭の中で想像し、想造し、創造する。
闇中で燃える炎は勢いを増し、その形を持たない体を拡大させていく。
「テ、めェ……させる、かよ……!」
掴んでいた腕から手を離し、コウの右腕が伸びる先は俺の首。
いかに弱っていると言っても、一般人のそれを凌駕した二从人格の力は凄まじい。首の骨を折るまではいかないにしても、喉を握り締め、呼吸を出来なくする位なら容易い。
だが、俺は自分の首と鷲掴む凶手を防ぎはしない。いや、出来ない。コウの首元を掴むこの手を離す事は許されない。
自分がすべき事は決まっていて。揺るがない。変わらない。それは、コウという存在だけを燃やし消し去る事。
今この手をコウから離せば、スキルの効果が途切れてしまう。ならこの通り、この手で、このまま。勝負に出る。一点に集中し、精神を凝縮させ、一気に力を解き放つ。
失敗するかもしれない。先輩を自分が殺してしまうかもしれない。もしもの不安と恐怖が無いと言えば嘘になる。心に掛かるプレッシャーで手が震える。
「ハッ! 手が震えてるぜぇ、咲月ィィィ!? だよなァそうだよなァ! 物を壊すってンじゃねェ、形が無ェ人格を消そうってンだ!」
「くっ……」
「目覚めてから間もねェスキルに縋ってッ! あるかどうかも解んねェ可能性にしがみ付いてッ! 結果テメェで仲が良い先輩を殺しちまうかもしんねぇんだからなァあ!」
「黙れっ! それでも、俺は……俺、は……!」
掴まれる喉元。コウの手に力が篭もり、肉に爪が刺さり、気道が塞がれる。痛みと恐怖。そして、ままならない呼吸。
迷っている時間も余裕も無い。やるべき事は決まっている。決めている。決めてきた。
なのに、だと言うのに。決心が、付かない。あと一歩が踏み出せない。ここに来て、先輩をも巻き込んでしまった“死”という結果の可能性に畏怖してしまう。
とうに決心したつもりだった筈なのに、それはやはり、つもりで終わっていた。した気でいただけだった。
自分の弱さ、脆さに……悔しさと情けなさで目を瞑る。
『咲月』
聞き間違いか、幻聴か。
いや、聞こえた。確かに聞こえた。毎日のように聞かされていた、あの懐かしい声。
――――先輩の声が、ハッキリと。
「な、に……?」
思わず目を開けると、最初に映ったのはコウの顔。
驚き、戸惑い、困惑して。本人も理由が解らず混乱している様子だった。
次に視界に入ってきたのは、俺の首を掴んでいた筈の、コウの右手。
知らない間に離していた手は俺の眼前で動きを止め、小刻みに震えながら拳を作る。
そして、親指だけを立て――――。
『やっちまえ』
再び聞こえた声と共に、逆さにしたその手を地面に向けた。
「……あぁ!」
戦っていた。先輩も戦って、侵食されていく自身の中で抵抗していた。コウの人格に蝕まれる中で、必死にもがき耐えて。
そして最後に、腕一本分だけは取り返し、自身を取り戻した。
自分が助かる為。それ以上に、俺の背中を押す為に。
「コウ、覚悟はいいな。ここからは精神の、魂の削り合いだ」
「ギ、い、い……! 俺は、死なねぇ……! てめェをブッ壊すまでは、ゼッテェに、俺はッ!」
「お前が消えるか、俺が消されるか」
揺れる炎は轟々と。紅い炎色は熱気を帯びて。意志の強さは精神の強さ。炎の現れは決意の表れ。
一気に勢いは増し、コウだけでなく俺自身をも包んで燃え盛る大炎。二人を中心に燃え上がり、巻き上がり、やがてそれは大きな火柱となる。
闇の帳が下りていた中庭一帯を炎の明かりが照らし、赤く染まる校舎の壁。黒夜に似つかわしくない紅蓮の火柱……いや、火柱なんて規模ではなく。それはもう、大樹を連想させる巨大な炎柱。
「――――魂比べと行こうじゃねぇか」
解き放つ己の力。自分を信じ、先輩を信じての全力。かつて無い程の巨大さを見せる炎。
今までこれ程の炎を出した事が無い。いつもは慣らしで掌に灯す程度。一度は力の限り大きな炎を出した事はあったが、ここまでの規模ではなかった。
限界を超えた力を出せばどうなるか、想像出来ない訳では無い。だが、死ぬつもりは毛頭無かった。生きて、勝って、助けて、願いを叶える。
ここで終わらない。終わってたまるか。俺はもう一度会って、謝って、返すんだ。
「うおぉぉぉぉぉぉああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
燃えろ。燃えろ。燃えろ。焼けろ。焼けろ。焼けろ。
燃やして焦がせ。焼いて溶かせ。灼熱で消し去れ。
ひと欠片も許さず燃消しろ。一切の存在を残さず焼滅させろ。
「やめ、ロ……やめ、ヤ……焼、ける、頭の奥が、熱……俺の体が、焼け、る、焼けて、燃え……俺、は、お、レが……」
「その体、は、お前のモノじゃない……! 元の人格に返してもらうッ!」
炎を纏い、炎に包まれ、炎が喰らう。
自分の存在が焼かれるという感覚に、コウの眼は大きく見開かれ。額には青筋が浮かび。発する言葉の呂律は回らず。
反動か、反抗か。苦しむのは奴だけでじゃなかった。現に今、俺の精神も熱に当てられて異常を来たしてる。
体が熱い。息が熱い。胸が熱い。頭の中が熱い。全部が、熱い。コウを燃やす熱に耐えられず、自身をも蝕んでいるのかと。
だが、だったら、ならばいっそ。自分を薪にして熱を上げろ。自身を糧として炎を猛らせろ。
精神を燃やせ。決意を燃やせ。覚悟を燃やせ。心を、燃やせ――――ッ!
「燃えてなくなれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「オレがァァァァぁぁァぁァァァあァァァァっ!」
巨大な炎の渦が燃え上がり、大量の火の粉が舞い上がる。
高く燃え伸びる火力。過去最大の規模。轟々たる炎塊の勢いが増大し、三階建ての校舎を軽く超えた後。
散り落ちる紅葉のように火の粉を舞わせて、迸り燃え上がっていた火柱は形を崩していく。
渦巻いていた炎は高さを失い、勢いを失い、熱を失い。
あんなにも大きかった炎の塊が、霧散するのは一瞬で。赤色に染まっていた空間も、元の常闇の夜に戻る。
「ハァッ! ハッ、ハアッ! ハアッ!」
霞む視界と額を伝う汗。欠乏する酸素を供給し、震える両手を、その首から離す。
手を離した首は、誰の首なのか。先輩か、コウか。どっちなのか。どっちでも、ないのか。
馬乗りになったまま動けず、疲弊した自分よりも、力が入らない体よりも。意識を向けるは人物の反応。
やる事はやった。やれる事はやった。やるべき事はやった。努力に伴う結果が表れるのか。それとも期待にそぐわない未来を迎えたのか。
その答えは、今、目の前に――――。
「重ぇ、よ……男に乗られる趣味は、ねぇんだ、けどな」
「先っ……!」
さっきまで聞いていた声なのに、たった数ヶ月の間だったのに。
酷く懐かしく感じて、それと同時に安堵が胸を救い。そして、自分の感情が静かに高揚するのが分かる。
高鳴る鼓動と感情。思わず大声で名前を呼びそうになるも、緊張の糸が切れた事による脱力から途中で詰まってしまい。
大きく吐いた息と共に、強張っていた表情が緩む。
「世話、掛けちまっ、たな……咲月」
ぐったりと地面に倒れたまま弱々しく笑みを浮かべ、半開きの目で見上げる白髪の知人。
口調も、表情も、眼付きも。さっきまで支配していた凶気は全て消え去って。
数ヶ月前まで一緒にサボっていた、間違いなく仲が良かった先輩が、目の前に居る。
「ったく、本当だよ。どれだけ大変だったか。ラーメン、奢ってもらうからな」
「は、はは……あとで……いくらでも、奢ってや、るよ……」
そう言葉を返して、先輩は瞼を閉じた。一瞬だけ焦ったが、呼吸をして胸が小さく動いているのを確認して胸を撫で下ろす。
今まで完全に取り込まれない様にと抵抗し、凶気の中で耐え続けていた。当然、精神負荷も多かった筈。摩耗した精神の回復すべく、深い眠りに入ったんだろう。
「あぁ、これで――――」
コウとの因縁が、完全に決着した。




