No.77 決着する生死
「テメェだ……テメェのせいでこの頭痛も! イライラも! テメェだテメェのせいだ! 咲月よァ!」
コウは禁器を杖代わりにし、頼りなく立ち上がる体を支える。
しかし、容態とは対照的に、殺意は鋭利さが増して辺りに撒き散らされる。
だが、強力な殺意ではあるがとても不安定で、脆弱さも感じ、何かを切っ掛けに崩れてしまいそうな危うさも孕んで。
この戦いはもう長くない事を互いに察し、決着をつけるべく残った力と手を尽くすと。
夏の暑さとは別の汗が額を伝い、張り詰めた空気から肌がひりつく。
「俺が死ぬか、お前が消えるか。結果はどっちしかない。来いよ……終わりにいようぜ」
「最後に生きてりゃソイツの勝ち……馬鹿でも分からァなァ!」
地面を突いていた禁器をひと振り。コウは体を揺らしながら戦闘態勢を取る。
「咲月先輩っ! 絶対に勝って……」
「大丈夫だ。お前達はそこで見てろ」
教室の窓から声を掛けてくる沙姫に、台詞を言い切る前に言葉を返す。
コウに睨み返し、沙姫には背中を向けたまま。一瞥すらせずとも状況が解る。
戦意は昂ぶっても、感情は落ち着いて。自身の感覚が研ぎ澄まされていく。
「はぁぁぁ、ふぅぅぅぅ……」
大きく吸って、大きく吐き。下腹部を意識した腹式呼吸。
気合を内に溜め、利き手を軽く握り、体を半身にして構える。
そう、勿体振る場面ではない。出し惜しみは、しない。
「あ、れ? 咲月先輩の構え、いつもと……」
最初に気付いたのは、今まで何度も俺と組手をしていた沙姫だった。
いつもとは違う、真逆の型。左足前の左構え。利き手は握り拳を作り、あらゆる攻撃に対応できるよう左手は開く。
本気で戦う型から、本気で倒す型へと。その戦闘方法を変える。
「構えを変えたからなンだッつンだァ!? あァ!?」
叫びに近い大声を上げながらの、コウの突進。
今さら戦法を変えてどうなるんだ。なんにも違いなんてありゃしねぇ、と。
禁器を両手で強く握り、接近するに合わせて力を込める。
「そんなンで強くなれンなら苦労しねェわなァ!」
左から右への振り払い。横一線に払われる禁器。
それを、身を低く屈ませて回避する。
「ふ、ぐ、ぅぅ!」
屈伸によって傷を負っている脇腹は悲鳴を上げるが、耐えて痛みを飲み込む。
全てが終わればいくらでも痛みに泣き叫ぶ事が出来る。だから、今は勝つ事だけに集中しろ。
こっちが姿勢を低くして禁器を躱した。そうすれば、奴が次に繰り出してくる攻撃は……。
「おォ、らァァァあァァ!」
脳天を狙った、振り下ろし。
振り払った際に片手持ちになったのを両手持ちに直し、全力で殺しに掛かってくる。
だが、これは予想通り。いや、正しくは誘導通り。奴と最後の戦いをする以上、再度確かめなくてはならない事がある。
予定していた通りの行動なら、回避は難しくなく。曲げていた膝を一気に伸ばして後方へと飛び下がる。
「どっちだ……!?」
さっきまで俺の頭があった所を通り、空を切った禁器。そして、禁器が突き刺さった地面へと視線を向ける。
外に出たコウを追うのに少しの時間が空いた。その間に精神力が回復し、禁器の能力が多少でも戻った可能性がある。
だから、確認すべきは禁器の破壊能力の復活。その有無。
「チッ!」
コウは二撃とも避けられたのに舌打ちし、離れた俺へと視線を追う。
だが、互いと視線が合わさる事は無い。俺が向けている視線の先。禁器を破壊能力を取り戻したか。
その答えは――――。
「……よしっ!」
無。無し。禁器は破壊能力を失ったまま。
禁器が刺さっている地面には穴しか空かず、不自然に周囲を抉って大穴を作る事も無く。
隙だらけだった頭部を破壊すべく、奴は完全に殺しに来ていた。つまり、禁器の破壊効果を意識的に抑えたとは考えられない。
禁器は今、その能力を失っている。
「好き勝手に破壊出来ないなら――――」
「俺を倒せるッてかァ!」
言葉と一緒に身も引き裂かんとばかりの、振り上げ。
「っく……!」
上半身を後ろに反らせて躱し、目の前を赤黒い鉄の棒が通り過ぎる。
コウは自分から視線を外し、俺が下に向けていたのを見逃さなかった。
躱される事を読んでいた奴は、振り上げたのとは逆の先端を。
「甘く見られたモンだァァなァあァァァァァ!」
今度こそ俺を串刺しにしてやろうと、全力で突き出してきた。
いくら禁器の破壊能力が無くても、奴の豪力は今だ健在。攻撃を喰らってしまったら小さな負傷で終わらない。
上半身を後ろに反らせていて、これ以上は後ろに避けれない。かといってこの体勢じゃ横に躱すのも不可能。背中から地面に倒れるにしても、倒れるよりも奴の突きの速度の方が速い。
なら、どうするか。決まっている。回避出来ないののなら……。
――――――コッ。
「な、ン……!」
逸らせばいい。
「今ので俺を殺せると思ったか?」
仕留めたと思っていたコウは、驚愕に目を見開く。
俺の胸部を狙っていた禁器の先端は空を突き、直線に刺した筈の禁器が僅かに角度を持っていた。
躱せないなら逸らす。方法は簡単。横から衝撃を与えて、当たる前に矛先を変えただけ。
「甘く見られたもんだ……」
「テメェ、石でッ!」
コウは俺の左手を見て、禁器に伝った唯一の感触の正体を口にする。
屈んだ際に拾っていた石。それを突き出してきた禁器に、側面から叩き弾いた。
「なっ!」
禁器を弾いた衝撃で粉々になった石を、コウの顔へと投げつける。
今まで禁器を回避するしか対処法がなかったが、破壊能力が失ったお陰で触れる事が可能となり、回避以外の対処法が可能となった。
頭になかった方法での対処に、コウは戸惑いを生んでいた所への目潰し。
「チィ、こざってェ真似……!」
「すぅぅぅぅ」
コウは数秒の怯みを見せ、右足を半歩だけ後ずさる。
その僅かな隙、合間に。間合いを詰めると同時に息を吸い込み――――。
「せあっ!」
相手の腹部へと、右手による強打。手の平を激しく打ち出した掌底を見舞わせる。
肉にめり込む柔らかい感触と、骨が軋む硬い感触。そして、攻撃が確実に“入った”という感覚。
「か、っが……はっ!」
衝撃と、痛みと、息苦しさ。合わさり混ざる苦痛に、コウの表情は歪む。
が、それで終わりではない。これで終わらせない。
奴が禁器を握る右手。その手首を掴み、掌底によって後ろへ仰け反った奴の体を強制的に引き戻す。
「て、めェ、この……調子乗らせ、っかよォ!」
コウは腕を引っ張られて引き寄せられる勢いを利用し、左腕を振りかぶる。
こっちが引き寄せからの追撃するのを読み、カウンターを狙っての一撃。
「ふっ!」
……が。そんな見え見えの攻撃に当たるつもりなど更々無い。
奴の右手首を右手で握ったまま側面へと回り込み、左手を肩に当てて押し込む。
「な、っ……!」
引き寄せた勢いと、相手の殴ろうとしてきた力を利用しての受け流し。
今までに体験した事が無いであろう、勝手に身体が歩かされる感覚にコウは戸惑い。
右手を掴んでいた手を放せば、コウの無防備な背中を晒された。
合気柔術の体捌きに似た技。子供の頃に仕込まれた技の一つ。技名は覚えていない。
「意外と覚えてるもんだ、なッ!」
「こ、っかは……!」
そこへ打ち込むは肘鉄。右腕を曲げ、握った拳を左手で覆って支え、一点への攻撃。
背中を打ち貫かれ、襲ってくる鋭い痛みにコウは、鼻血混じりの唾の飛沫と一緒に短い悲鳴を口から零す。
「せぇぇぇぇぇぇぇあっ!」
そこからさらに、肘鉄を放った余勢を全身に乗せて。肩と二の腕へと全体重を掛けた、右腕全体を使った体当たり。
肘鉄を喰らって前のめりになり掛けていた所へ、体当たりによる大きな衝撃。
コウは抵抗する間も無く数メートル吹っ飛び、胸から地面に倒れ込んだ。
「ふ、うぅぅぅ」
俺はその場で構えを正し、気を落ち着かせて呼吸を整える。
脇腹の痛みを抑えつつ身体の籠もる熱を吐き、滾る闘志を秘めつつ平静を保つ。
「立てよ。俺が追撃してくるのを狙っても無駄だ」
俯せに倒れるコウは動かず、その身を地面に預けたまま。
しかし、奴の禁器を握る手の力は強く、二の腕や前腕の筋肉が張っていた。
俺がチャンスだと近付いた所に、思い切り禁器を振るうつもりなのが読み取れる。
「……ッハ、ハッはァ……ッ! はァ、ッふ、はァ!」
不敵な短い笑いと、苦しそうに息継ぎ声。
コウはゆっくりと体を起こし、両腕は脱力して方から垂れ落とされている。
「薄らと元人格の記憶に残ってんぜ。これが前に言ってたテメェの武術か……」
コウが振り返るのを静観し、しかし、警戒と構えは解かず。
何が起きても、何をされても対処できるよう、奴の動き一つも見逃さない。
「じゃあさっきまでは本気じゃなかったってかァ! あァ!? 今の今まで使わねェとか嘗めたマネしてくれんなァ!?」
コウは抑えきれない憤怒の感情が溢れ、激昂する。
手加減された。馬鹿にされた。軽視された。見下げられた。
今まで人を物でも壊すように殺し、見下し、弱者だと決めつけ嬲り遊んでいた自分が。常に強者として人を嘗めて馬鹿にしていた自身が。
そんな事は許せないと。あってはならないと。狩るのは俺なんだと。頭に昇った血は沸騰し、腸は煮えくり返って。
「いや、本気だった。死にもの狂いに生にしがみ付いて、見苦しく不恰好でも負けじと戦っていた。別に手加減をしていた訳でもない」
「使えるモンを使わねェで本気だった、だァあ? は、ッハ、ハハッはァ! あァそうか、あァそうかいそうかい! あァ認めてやるよ! テメェは天才だ! 人を馬鹿にしてムカッ腹ァ立たせるなァ!」
「『必ず仕留められる時に使え。何度も使えば見切られる』。小さい頃からそう仕込まれていたんで、それが癖になってしまってただけだ」
「ッハッは……ぐ、ゥ……ッはは、ァ……! テ、メェは、ゼッテェに俺、が……ブッ殺してブッ壊す!」
「馬鹿みたいに殺すだの壊すだの……俺が言った事を聞いてなかったか? 必ず仕留められる時に使うってよ」
「あァ!? だからなンだってンだ! ンなモン知らねェし関係無ェ! 何が何でもテメェは俺が! 俺の手で……」
「お前はもう俺に勝てねぇって言ってんだよッ!」
発声と同時に地を強く蹴っての一足飛び。
コウとの間にあった距離を一気に詰め、奴が禁器を構える間も与えない。
さっき奴が倒れている所を追撃しなかったのは、迎撃を警戒するよりも他に狙いがあった。
「ああああァあァァあァッ! ッざってェざってェ! ンっとにうざってェ糞ウザあってェあ! テメェのせいで頭痛ェなら、テメェを殺しゃあ治るるってこったよなァあッ!?」
口周りは止まらない鼻血で真っ赤に濡れ、頭痛から額に玉のような脂汗を浮かび、呂律すらまともに回らなく。
苦痛と苦悶に染まりながらも獲物だけを殺すと、奴は疎らで歪な殺気を絞り出す。
「死ねよ、なァ! なあァ死ねよ! いいい加減んによォお! 殺さされろってンだらァァぁァ!」
直進する俺に対し、技術も戦術もへったくれもない対応。
右手に握る得物を獲物に向けて、垂れ落としていた右腕を振り上げた。
「っとぉ!」
当然、今更そんな攻撃に当たる訳がない。一歩だけ横に逸れ、攻撃を躱す動きは最小限に。
半身の構える事で体の面積が減り、武器を使う相手に対して有効な方法の一つ。
加えて相手の挙動が大きく、限界近くに……いや、とうに限界に達した身体では鈍さが見え始めている。
証拠に奴は空振った余勢に体を振られ、小さくよろめいていた。
そして、次。次撃。コウの攻撃パターンは少ない。
「ちょ、こ! マカとッ! ッッッッぜェェェェえェェなァァあァ!」
「ここ……だっ!」
そう、俺が狙っていたのは。先の目的は。これまでの戦闘で見付けた、奴の癖。
奴は振り上げをした後、高い確率で薙ぎ払いへと繋げる。そこを突く……!
「ふぅ、く……っ!」
読み通りに放たれた横薙ぎ。それを読んでの、全力の後退。
全力で一歩だけ下がり、前髪を禁器が掠め、その刹那。双眸に映し出されるは、一撃目よりも大きく体を揺らす相手の姿。
重心がずれた軸足。伸びきった右腕。斜めに傾いた上半身。これを待っていた。ここを狙っていた。
全力の後退から、全力の前進。足裏から脹脛、脹脛から膝を通して腿へと。
下半身の筋肉が張る。長時間の戦闘で悲鳴を上げても、飴なら後でいくらでもやると鞭を打ち。
「おおぉぉぉぉっ!」
一呼吸する間よりも速く。奴が構え直すよりも先に。
握り込んだ右手を横に払う一手。小指側の面、鉄槌と呼ばれる箇所による殴打が奴の顎を捉える。
「こっ、ふ……」
コウは口から小さく空気を漏らし、大きく揺らされる頭。
これで奴の視界から俺の姿は隠れ消え、同時に脳震盪の引き金となる。
そして、震える視界と脳は状況の理解と判断を遅らせる。その数秒の間。されど大きな隙。
「せぇあっ!」
肺に溜めた空気を一気に吐き、作った隙を突き、狂敵の右肩を突く。
右手の甲に左手を重ね、両手で押し出した一撃が容赦無く肉を打ち貫く。
元々体勢が崩れかけていた所へ与えた強打。コウの体は当然、衝撃に抗う事は叶わず。
さながら煽られたヤジロベーのように体を広げ、あと一押しすれば容易にダウンさせれるだろう。
「最後の決着は……」
ここまで来るまでに、しこたま痛め付けた右腕。禁器を使用する主軸である、奴の利き腕。
多くの痣が目立ち、蓄積させたダメージは多大だろう。そこにダメ押しかつ、攻めの狙い所。
「素手でつけようじゃねぇか!」
コウの右手首。そこを狙い澄まし、吐き出した声と共に放つ渾身の蹴撃。
力を逃さないように腰を前に投げ出し、右足の甲を激しく叩きつける上段蹴り。
蹴りは的確に奴の手首を捉えて、その腕は衝撃で弾き上げられる。
そして、凶獣の支配から解放され、宙に投げ出された禁器は。
――――から、からん。
回転しながら弧を描くも重力に逆らえず、数十メートル後方に渇いた音を立ててその身を地に落とした。
形容や質感は鉄にしか見えないというのに、落ちた音は木の棒が落ちたような軽いものだった。
「……ッて、ェ、なァ」
「――ッ!?」
「ク、ッソ、が……!」
油断もしていないし、警戒も解いていない。しかし、許してしまった。
小さな隙を。僅かな間を。狭くなった視界を。
俺が攻め時の機会を狙っていたように、奴も反撃の瞬間を狙っていた。
「よォォォォァァァあ!」
怒声か。絶叫か。悲鳴か。どれとも受け取れない手負いの獣による咆哮。
既に倒れかけている体勢から、このまま倒れる位なら巻き込んで喰らわせてやる、と。
そう、真っ赤に充血した三白眼で睨みを利かせて。
「っく、ぐぅぅぅぅぅぅ!」
お返しと言わんばかりに、ただただぶっきらに。けれども、威力は慈悲も無く。
大木でも激突したのかと錯覚する程の衝撃と振動。突如として横から襲ってくる右足。
直前に察知し、咄嗟になんとか右腕でガードが間に合ったものの、あくまで直撃を防げただけ。
腕で蹴りを防御出来ても、質量を持たない衝撃は腕を抜けて体の内部へと浸透する。
禁器によって負傷した脇腹から激痛が走り、あまりの痛みに思考は痛覚だけで埋め尽くされる。
「づ、ァ……」
「く、っふ、っは、はぁ! はぁ!」
コウに蹴り飛ばされ、激痛に耐えるのに精一杯で着地の事を考える余裕は無く。
地に足が着いてそのまま、崩れるように両膝を突いて踞る。痛みを堪えながら細めた目をコウへ向けると、コウも蹴った余勢で転び倒れていた。
互いに体はボロボロ。見栄えも格好も悪い、土だらけ泥だらけの泥死合。
「は、ァ……ッハ、ハァ、は、ハァ……わかんねェな、わかんねェ」
「な、に?」
コウはうつ伏せの状態で腕を地面に引き摺り、肩を上下させながら上半身を起こす。
「テッ、メェ……なん、で、そこま、で……元人格を助けようとすンだ……ァ? “たかが”一人の先輩だろォが!」
理解し難い。理解出来ない。理解、不能。
どこにでもいる内の一人でしかない、特別な価値を持った訳でもない人間に。なぜ、そこまで必死になるのか。なれるのかと。
コウは疑問の言葉を投げつけてくる。
「情けねぇ話だよ……楽しいと思っちまったんだ」
「あァ?」
今だ収まらない脇腹の痛みと、右腕の痺れ。
それでも倒れてはならないと、体を起こして顰めた顔を上げる。
そして、奴の問いに答え、自身の意思を応える。
「三年前……俺は大切な人を殺してしまった。そいつは俺の全てだったよ。楽しい事も、嬉しい事も、悲しい事も、何もかも。生きるという事を教えてくれた、とても大切な人だった。俺の人生そのものだった」
はぁ、と。吐き出す息が熱い。
「そして、願いで生き返らせる事だけを目的として生きてきた。それ以外の事はどうでもよくて、周りの事なんて関係無くて、興味も持たなかった……ただただ、願いを叶える事だけが生きがいだった」
SDCの存在を知り、藁にも縋る思いで願いを求め、無理やり生きる理由を見付けて。
家を出てここの高校に入学したのは手段であって、充実した学生生活など必要ないと。学校での人間関係は薄く、友達と呼べる人は一人も居ない。
自分が望むのは凛だけ。それ以外は要らない。欲しくない。どうでもよかった……よかった、筈だった。
「だけど……そんな俺が思っちまったんだよ。凛がいない世界を否定して生きていた俺が、楽しいと感じちまった。否定していかち筈だったこの世界を、楽しいと思わせてくれたんだ」
「ッハ、ンっだそりゃあよォ……」
コウは小さく呟くような声を出し、膝に手を当てながら立ち上がる。
もう鼻血を拭うのすら億劫なのか、収まる気配が無いからと無視しているのか。
顎から滴る赤い水は地面に落ち、赤黒い染みを複数作る。
「つまんねェくだらねェしょうもねェ! どうしようもねェ馬鹿だッ! 他人の為に命を賭けるなんざ馬鹿以外のなんでもねェ!」
目をかっ開き、叫ぶ姿は不機嫌で。
理解が出来ない理念。共感が出来ない故に叫喚。不解から湧き出る不快。
相入れぬ思想と思考。掛け離れた主観と手段。相違する相意。
「お前から見れば、先輩はたかが一人の人間だろうな。けどな……俺にとっては、たかが! たった一人の先輩なんだよっ!」
腕を上げ、姿勢を正し、構えを取って。
いいや、違う。そうだ、違う。打つべきは自身でも、鞭でもない。
打つべきはこの拳で、討つべきは先輩に巣食う人格。
「奪ったその身体、返してもらうっ!」
「これァ俺の身体だッ! 返すもクソもねェンだよッ!」
発声と共に、互いが地面を強く蹴り出す。
手負いの体だろうが気力で動かして、痛みに襲われようが無視をして。
勝つ事だけを考え、倒す事だけを考え、あとの事は考えない。
「オォォォォォォォラララララァァァァァ!」
先に仕掛けてきたのは向こうだった。
傷の痛みで一瞬だけ初動が遅れたのが差となり、相手に先手を取られてしまう。
大振りのパンチから始まり、息継ぐ間も無い怒涛の乱打。
「ふ、くっうぅぅぅぅ……!」
右、左、左、右。次々と繰り出してくる拳骨の連打を、両手で捌き凌ぐ。
隙あらば反撃しようと思うも、一撃一撃が重く捌くだけで精一杯。
左右、または後ろに身を躱して距離を取ろうにも、今までの攻撃とは違う。迫力が、威圧感が違う。
どこかに余力を残した攻撃ではなく、全力を、残った全てを出し切る攻め。
「ぁづ……っ!」
止まない打撃の雨を往なし続けて耐え忍ぶも、先に身を崩したのは俺だった。
奴の攻撃を右手で捌いた刹那、右腕に負担を掛けたのと体を変に捻ってしまったその時。重傷を負っている右脇腹に、脳天まで痺れる稲妻が走る。
一瞬。体が固まったその一瞬を、生まれた絶好の隙を、奴が見逃す筈が無かった。
「その顔ォ潰してやらァなァァァァァ!」
脇腹の傷に耐える一秒足らずの間。動きが遅れてしまう。
「ふぐ、っ!」
首を曲げて紙一重で躱すと、鋭い左腕の突きが耳元で風切り音を刻み、頬を掠め通る。
今のを喰らっていたら骨が折られ、鼻が潰されていただろう。
――――が。
「っとォ、捕まえたぜェ」
「ッ、まさか初めっから……!」
安堵する間も、冷や汗を流す間も、反撃に転ずる間も、無かった。
空振ったコウの左手は、がっしりと。俺が着る服の襟首を固く掴む。
「そゥらァァァァ、よォ!」
「が、かっふ……ぁ!」
体を海老反りさせ、大きく溜めを作ってから。激しく叩き付けてくるは自身の頭。
砲弾の如く強烈な頭突きが、俺の額へと容赦無く衝突した。
襟首を掴まれているせいで頭部だけが後方へと弾かれ、高速で乱れ映る視界と揺さぶられ混乱を誘われる脳。
一瞬。意識を失いそうになるも、痛覚が自我の糸をなんとか繋ぎ止めて。
「いい面ァだなァ! このまま………」
「――――あああぁぁぁぁあぁっ!」
即座に至った行動が、同じくして頭突きだった。
「がっはッ」
鼻血や唾で汚れていても、口から吐き出されたのは渇いた声。
眉間を強打されたコウは仰け反り、俺の服から手を離して半歩だけ後ずさった。
が、しかし、意識を削ぐ決定打には遠く。
「ッン、だァらァァァァあッ!」
奴の凶手が、凶指が。深手を負っている俺の脇腹を鷲掴みする。
内側から猛獣に食い千切られたかのような激痛。痛覚の信号はショート寸前で、変則的に赤く点滅を繰り返す。
気絶と覚醒の間に挟まれて、いっそ痛覚が麻痺してくれればと思わずにはいられない。
「ぐぎ、っぎ、ぃぃぃぃぃいいぃ!」
「ッハ! 禁器を喰らって無傷な訳ゃねェよなァ!」
抉られる肉。軋む骨。悲鳴を上げる自分。
悶絶して苦しむ姿を見て、奴はご機嫌に笑う。ようやっと手にした極上の蜜を舐めずるように。
そして、俺の中でブツンと、切れた。
「ぃぃぃいいぃ……たくねぇえぇぇぇぇぇ!」
吹っ切れた。吹っ切った。振り切ってやった。
頭の中を支配していた苦痛など気にしてる余裕なんて無い、そんな暇なんてありゃしない。
今、この時、この戦場で。考えるべきは敵を倒す事だけ。必要なのは折れない闘志。決して失くさない意志と遺志。
余計で、邪魔で、鬱陶しいだけの激痛を。痛覚を。気力と気合を振り絞って、捻り出して。
脇腹を掴んでいたコウに手と一緒に、右腕を振るって払い除ける。
「こい、ッつ……!」
大きく振られ、煽られ、揺れる身体。
お互いの体がバランスを崩し、視界が斜めになる中で交差する視線。
俺も、奴も、まだ終わっていない。倒れていない。
「倒れ、って」
「しつッ」
倒れかけた体を倒すまいと、利き足を強く踏み込む事で留まらせて。
咆哮を上げ、拳を握り、互いの気迫が拮抗する。
「たまるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
「けェンだよォォォォォォォォォォォ!」
拳と拳で殴り合い、意地と意地のぶつけ合い。
体勢が悪い状態からの一発。それでも、すでにボロボロの体には酷く響く。
「ぐは、っあ!」
「がゥッ!」
同時に互いの拳が顔面を捉え、
よろめく身体。揺れる視界。痛む拳。
されど倒れず。退かず。諦めず。
「せあぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁ!」
「ゥゥゥおおらァァァあァァァァ!」
目がチカチカする。酸素が足りなくて苦しい。体中が痛くてどこに傷があるのかすら解らなくない。
それでも止まらずに継続する攻撃は、両者の体力を削り取る。殴ってはフラつき、殴られてはよろけ。
喰らっても喰らわせても倒れない。一度でも膝を付けば恐らく、もう一度立ち上がるのは難しい。
だから、踏ん張る。踏ん張って、踏み締めて、踏み出す。消え去らない戦意は、決して止める事を許さない。
誰にじゃない。誰かにじゃない。ただ単に自分が、自分自身を許さない。
「はぁ! はっ! ぐ、く……はぁ!」
「っはァ! ぜェ、ぜ、ぜェ……は、ァ、ぐ……!」
ここで負ける事を。力尽きて倒れる事を。願いを叶えられずに終わる事を。
何よりも彼女との約束を破る事は、許してはならない。
だらりと両手を垂らし、上半身は項垂れて。あぁもう、立っているどころか拳を握るのすら億劫で。あまりの打たれ強さに辟易して。
だから、もう、いい加減に、終わっちまえと。次で終わらせてやると。
互いの目がそう言って、互いがそれを察す。だから、気合を発して、渾身の一撃をブチ込むと。
「これ、で」
「い、い加減、にィ」
意を決した、全力。
全身全霊の一打、決定打。それを。
「終わりだぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁっ!」
「死ねやァァァァァァァァァァァァァ!」
―――――クンッ。
半身に構えた左手で、捌く。
「……ここ、で」
気迫すら虚実として利用し、すでに武術を使う体力も無いと欺き。
止めを刺そうとする気配をも錯覚させる為の手札。武術とは相手を倒す技術に非ず。
一挙手一投足すら攻め布石としての虚偽。相手よりも優位に戦う巧手を持って、武術と呼ぶ。
「ここで、技ァだァァァァ!?」
「今度こそ本当にっ!」
止めになるはずだった渾身の一撃は大きな力を込めた分、その反動も大きい。
空振った自身の力に煽られ、コウは忌々しげに声を荒げる。
そして、露呈された無防備な五体。この隙を突いて穿つは、奴の胸部。
「ァがかッ!」
槍の如く放つ一突きは、心の臓を打ち貫いて。
「終わり……」
「ッレは、まだだ……まだ……ッ!」
そこからさらに一歩。前に強く踏み込む。
掌打を当てた右手でそのまま首元を掴み、後ろへと倒れかけていたコウの体を。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」
踏み込んだ足を引っ掛け、全体重を乗せて、手加減なんて糞喰らえ。
一気に、強く、全力で。
「かッ――――」
背中から地面へと、叩き付けた。
コウは短くか細い、たったの一言。たった一言の呻き声を漏らし。
白目を剥いてその意識をとうとう、途切れさせた。
「っはぁ! っは、はぁ! ふぅ、ふ、はぁ!」
肩で激しく息をして、横たわっている一人を見下ろす。力無く転がり、気絶している宿敵を。
唇が切れて血が出ているのも、口の中に鉄の味が広がっているのも、鼻から夥しい血が流れ出ているのも。今になってようやく気付く。
殴られた顔が、全身が。熱がこもって熱い。ボロ雑巾のように土に汚れまみれ、全力を出して疲れ果てて、体中から訴えてくる痛みは尋常じゃない。
けど、けれど、これだけは言える。はっきりと言い切れる。
「俺の、勝ちだ……!」
手の甲を口元にやり、鼻血を拭い。決着を宣言した。
勝利の余韻も、死の開放からの安堵も、全く無い訳ではない。喜びや嬉しさも少なからず感じている。
だがそれ以上に、最後に残っている難問への不安が大きく、胸中には成否への恐怖が肥大し始めていた。
「や、った。倒した……咲月先輩が勝ったぁ!」
嬉々とした声で、それはもう浮き立つ気持ちを抑えられないといった様子で。沙姫が教室の窓から飛び出て駆け寄ってくる。
その後ろに続いて、沙夜先輩とエドもこっちへと近付いてくるのが見えた。
「来るなッ!」
「……っ!」
それを、大声を出して制止させる。
突然の事に沙姫は驚き、その足を止めて戸惑う。
「ここからは仕上げだ……! 巻き込まれないように離れてろ!」
両膝を折り曲げ、足元に倒れているコウの首元へと手を当てる。
成功する確証も、保証も無い。それどころか、上手くいく確率が高いか低いかすら解らない。
けど、これしか手がない。俺しか方法を持っていない。だから、俺がやらないといけない……!
「……手ェ、が、震えてン、ぜ」
僅か一、二分の気絶。
失っていた意識を取り戻し、コウは首元に当てられた俺の右手を見て鼻で笑った。
「決着はついた……返してもらうぞ、先輩を」
「ハッ! 寝ぼけてんのか、テメェは! まだ詰みじゃねェ! 俺を殺すか、テメェが死なねぇ限り終わらねェ!」
言って、言い張って。コウは首元にある俺の腕を掴み返してくる。
しかし、もう奴にはまともに戦う力は残っていない。目の前にいる俺に対して、腕を掴む事しか出来ていないのがのがその証拠。
だから、終わりにする。この長かった戦いも、SDCも。
「言ったろ。決着はついて、お前の負けだ」
チリ、と。肌がひりつき、空気が張り付き。服が揺れ、髪が靡き、頬に暖かい風が触れて。
感情が力となり、覚悟が形となり、精神が糧となり。
周囲が、空気が、雰囲気が――――熱を、持つ。
「今からお前を、消す」




