No.72 しん・ぎ・たい
「ここは私達が戦います。咲月先輩はそこで休んでいてください」
「何言ってんだ、俺だって戦う」
片膝を立て、そこに手を乗せて立ち上がる。
「後輩に任せてちゃ先輩としての顔が立たないだ……ろ?」
……つもりだったのだが。
尻を浮かせた所で手足から力が抜けてしまい、尻は再び床に着地した。
「あ、れ?」
廊下の壁に背中を寄り掛け、自分の手を見ると小さく震えていた。
右手を握ってみるも、固く拳を作る事すら出来ない。
「咲月先輩は自分で思っている以上にボロボロなんです。そこで休んでいてください」
「でも沙姫、お前は足を怪我して……」
「大丈夫です。ここへ来る前に、部活棟に忍び込んで拝借したテーピングでガチガチに固めましたから」
沙姫は言いながら、その場で左足を数回踏んで見せる。
痛みを感じている様子も無く、やせ我慢をしている訳でもなさそうだった。
何より、先程の強力な背撃。あれ程の一撃を足を痛めてた状態で放つのはそうそう出来るものではない。
「咲月君は危険を冒してまで私を助けてくれた。なら、次は私が咲月君を助ける番」
「沙夜先輩……」
沙夜先輩は廊下を歩み、俺の数メートル先で立ち止まる。
そして、もうすぐ起き上がり、こちらへと牙を剥いてくる敵の方へとモップを構えた。
「エド君から聞いたわ。明星君を元に戻す方法を、咲月君が握ってるって」
「それは……」
「詳しい所までは聞いてない。けれど、可能性があるのなら私は手を貸すわ」
「でも、正直言うと自信は無い。上手くいく可能性だって……」
「それでも、咲月君はこうして明星君を救おうを頑張ってるんでしょう? なら、私にも協力させて。協力したいの」
沙夜先輩は背中越しにこっちを向き、小さく微笑んで見せて。
「それに……」
そして、続けて言った。
「後輩に任せてたら先輩の顔が立たない。でしょ?」
先程、自分が沙姫に言った事をまんま返された。
微かに目を見開きながら数秒だけ止まってから、こみ上げてくる小さな笑い。
「……はは。参ったな、これは」
これじゃあ言い返せないと肩を竦ませて、背中だけじゃなく後頭部も壁にくっ付ける。
「沙姫はそこで咲月君の事をお願い」
「うん、任せて。でも危ないと思った時は手を出すからね」
「その時は思いっ切りね。手だけじゃなく足も使っていいから」
沙夜先輩は背中を向けたまま会話し、視線は正面から外さない。
「ちょっと待て……沙夜先輩一人でコウの相手をすんのか!? いくらなんでも無茶だ!」
「彼の力は驚異ではあるけれど、禁器が無ければ大丈夫」
「俺の事はいいから、沙姫も一緒に……!」
沙夜先輩が見つめる先。廊下の奥。
沙姫の一撃によって吹っ飛ばされたコウが、ゆっくりと起き上がるのが見えた。
「心配しなくていいですよ、咲月先輩。姉さんも言ってた通り、大丈夫です」
「大丈夫ったって……」
「咲月先輩は姉さんと手合わせした事が無いから分からないですけど、長物を持った姉さんは強いですから。少なくとも、私が素手の私じゃあ何も出来ない位に」
確かに沙夜先輩の強さは知らないが、何度も組手をした沙姫の強さは知っている。
沙姫の実力は決して低くない。今までSDCで他の参加者と戦った事があるが、その中でも頭が一つ二つ抜けている。
その沙姫が、沙夜先輩に手も足も出ないと言う。
「こん、の……クソアマがァ……!」
背中を丸めながら起き上がったコウは両腕を垂れ下げ、額には血管が浮かぶ。
苛立ちと腹立たしさが混合し、頭に上った血は沸騰して吹き出しそう。
奴が手離した禁器は廊下に転がり、奴と禁器の間には俺達が居る。そう簡単には回収出来ないと、奴も解っているだろう。
「今度は土じゃなく血に塗れてみっか? あぁ!?」
しかし、コウの行動は変わらない。
三対一という、人数では明らかに不利の状況。それでも自分が取る行動は一つだけだと。
禁器があろうが無かろうがお構い無しに、その凶猛な性格のままに噛み付こうと突貫する。
「そのご自慢の髪を真っ赤にしてやっからよぉ!」
「髪は女の命、なんて言うつもりは無いけど……」
激昂し、溜まりに溜まった怒りを吐き出そうとするコウに対して。
沙夜先輩は落ち着きを崩さず、身体を半身して槍を水平に構える。
「あなたにどうこうされる程、安くも無いわ!」
そして、叫んだ。普段温厚な沙夜先輩が、敵が放つ殺気を掻き消さんとばかりに。
静かな雰囲気の内側に秘められた激しい闘志。臆しも怯えもせず、迫り来る相手へと打って出た。
「せぇあぁぁぁぁぁ!」
握るモップを槍に模して、振るわれる敏腕。
無手であれば身長が高いコウの方に分があったろう。しかし、モップを持つ沙夜先輩のリーチは制空権が増している。
コウが攻撃に転ずるよりも前に、リーチの外から刺突を放った。
「ッハ! あめぇなァ!」
「そっちがね!」
コウが攻撃を横に逸れて躱す。
……が、それを予め読んでいた沙夜先輩は、突き出したモップを側面へと払う。
「チッ!」
それを鋭い反射神経で後ろに下がって回避するも、コウは厄介さに舌打ちする。
先程までの立場が逆転し、リーチ差による攻めづらさを痛感して奥歯を噛む。
「それで避けたつもり?」
「なン……」
コウが間一髪で躱し、払われたモップに気を取られていた一瞬。
耳に入ってくるは冷静な声。油断していた訳でも、失念していたでもない。
すぐ様に視線をモップから外すも、すでに沙夜先輩は目前にまで迫っていた。
「せっ!」
「かっ……!」
踏み込みながら身体を捻り、背中を強く押し出した攻撃。
さっき沙姫が放ったのと同様のもの。だが、威力は数段劣っでいた。
証拠に、コウは吹っ飛ぶどころか倒れる事も無く、その場で後ろへ数歩よろめいただけ。
「リーチが長ければ近付かないと思ったかしら? でも残念」
しかし、それで十分。ダメージなど二の次。
奴に反撃の余地を与えない事。沙夜先輩にとってはそれが目的であった。
隙を見せず、余裕を与えず、反撃を許さず。コウは対処する間も無く、沙夜先輩の連撃をただ喰らうしか無い。
「妹程ではないけれど、私も体術が使えるの……よっ!」
背中を向けたまま、脇の下から突き出されるモップ。
コウの腹にめり込み、短い悲痛の声が吐き出される。
「ふっ!」
「ご、っ……」
さらに沙夜先輩は柄の中央を握り、モップの尻を上から叩くように押し込んだ。
当然、梃子の原理でモップの尻が下がれば先端は上がる。
その先端はコウの顎を直撃し、鈍い音を立てて廊下の天井を仰ぐ。
「でも、やっぱり使うなら得意な槍術の方がいいわね。モップじゃ勝手が少し違うも――」
コウが天井を見上げ、顎への攻撃によって脳が軽く揺さぶられて。視界と思考が揺らいでいる、この隙に。
構えを正し、得意な間合いを保って、重心を落とし、丹田に力を入れる。
槍は水平、体は半身。無駄に流れる力は込めず、身体と得物が繋がった一連の動作。
「――――のっ!」
強い踏み込みに、速い突き出し。されど得物は、構えた高さと水平を保ったままに。
全体重とスピードを乗せ、放たれたモップの先はさながら大槌の如く。鈍器で殴られたような衝撃に、市販のモップとは思えない重さ。
素手で殴ったのとは威力も衝撃も、その比では無い。
「かっはぁッ!」
防御も回避も間に合わない。
がら空きになった腹部へ容赦無く、鳩尾へと突き刺さる渾身の一撃。
コウの体は『く』の字よりもさらに曲がり、『つ』の字になって。
喰らった攻撃の衝撃に耐える事すら叶わず。その場から後方へと弾き飛ばされた。
「はぁぁぁ、ふぅぅぅぅぅぅぅ……」
コウが吹っ飛んで背中から着地したのは、沙姫の背撃を喰らった時と同じ場所。
沙夜先輩は廊下の床に寝転がるコウを見据え、モップを突き出した状態のまま深呼吸をして残心を取る。
残心とは、武術の界隈に於いて用いられる言葉。意味は心を途切れさせず、対象への意識を置く事。
特に技を決めた後など、気を緩めたりしてしまう時に意を払っている状態を言う。
「突けば槍、払えば薙刀、持たば太刀。杖はかくにも外れざりけり」
沙夜先輩は言葉を発しながら、攻撃を放った状態から体勢を戻す。
「杖術とは不殺を信条とした活人術。心技体を鍛えて初めて、その真価を発揮する。けど、あなたの棍捌きは欲望のままに振るわれる、ただの暴力でしかない」
沙夜先輩は油断も隙も、慢心も見せず。
モップの先は今もコウの方へ向き、継続される残心。
「心技体が未熟で、信も無く、義に外れ、態すら幼稚なあなたに……私は背を向ける訳にはいかない」
沙夜先輩の気迫が伝わり、辺りの空気は帯電したかのように張り付く。
「“真の道とは強き意をその身に持ちて。偽り逃げるは枯凋を招く。それは己の対なるものぞ”。これが水無月家に伝わる“真偽対”よ」
対する敵を鋭い目付きで見据え、纏う闘気は静かに、熱く。
普段と同じく冷静でありながらも、その内にある激しい戦意。
初めて目の当たりにする沙夜先輩の実力に、俺は驚きを隠せなかった。
「あなたには理解出来ないでしょうけれど」
「っは、アレだろ? 難しい言葉ァ並べりゃ偉く聞こえるって意味だろ?」
闇の中で一つの影が動き、コウは言葉を返しながら立ち上がる。
長い戦闘と蓄積したダメージから、その足取りは頼りなくフラついていていた。
「弱ェ奴ほど難しい言葉使って強く見せらぁ」
しかし、頼りない脚付きとは反して、コウの顔には不敵な笑みが浮かべている。
戦っているのは沙夜先輩だけだが、実質、戦力は三対一。さらには禁器を手放して失い、コウが不利なのは明らか。
だと言うのに、言葉と態度は一通して変わらない。それは奴の性格から来る傲慢さが理由だと考えてもいいだろう。
しかし、何かが引っ掛かり、何かが警告を発する。その訳を言葉として並べるのは難しい。
それでも確かに、俺の感覚が何かを訴える。奴と何度も戦い、死を潜り向けて、死闘を繰り返した感性が、感覚が。
言い様のない、ねっとりとした黒い不快感が……読感術を使用して感じる嫌な雰囲気が、頭にこびり付いて離れなかった。
「沙姫、何か嫌な予感がする。次に奴が攻めた時は……」
「はい。咲月先輩には悪いですけど、その時になったら姉さんの手助けに行きます」
「……頼む。今は俺よりもお前の方が動ける」
沙姫は読感術が使えないと前に言っていた。なのに今、こうして俺と同じく何かを感じている。
これは天性の勘の良さか、武術によって身に付いた感性か。
少なくとも、俺と沙姫の二人が感じる程の予感があった。
「何なのかは分かりませんが、なにか嫌な空気がするんです」
沙姫は俺の前に立って背を向けていて、表情は見えない。
だが、言葉を返しながら、米噛みから一粒の汗が伝い流れたのが目に入った。
「言ってしまえば、テメェが言う俺の暴力だって活人なんだぜェ?」
「あなたが? 冗談」
「もっとも……俺だけが生きりゃあイイってぇヤツだがなァ!」
よろめいていたと言うのに脚力は劣化せず。
さっき手痛い反撃を喰らったにも関わらず、コウはまたも走って迫り、攻める。
「同じ事を繰り返すなんて、考えが甘いわね!」
当然、常に構えを解かず、警戒も怠らなかった沙夜先輩に隙など存在しない。
直線的な攻めと、直情に行動。見切るは容易く、得物は的確に振るわれる。
「っざってェ!」
さっきまで自分がリーチ差で優位に立っていたのが、今では立場が逆になった。
牽制でモップを突き出されるが、それを首を曲げて上手く紙一重で躱される。
が、沙夜先輩はそんな甘くなく。コウの行動を読んでか、はたまた見てからの反応か。突き出したモップを払い、コウの顔面に柄がヒットする。
「ふっ!」
「ぶふっ!」
頭身が揺れ、突進していた足は鈍くなって勢いを失った。
そこへ容赦無く、大きく払われたモップが腹を襲う。
「はあっ!」
「がかっ……!」
コウの腹部に直撃してめり込み、肺から二酸化炭素と共に涎の飛沫を上げた。
確実に決まった鋭い一突き。身体を“く”の字にして、コウの頭は項垂れている。
だと言うのに、何故だ。違和感を覚えると共に、不安が襲う。
「……ハッ」
コウが垂れていた頭を上げ、前屈みになっていた上半身を伸ばすと。
違和感の正体が見え、不安は明確な危険へと形を変えた。
「つかまえたぜ、ようやく」
「――ッ!」
感じた違和感とは、直撃を喰らったのに後ろへ飛ばされず踏み止まった事。これだった。
一度は沙夜先輩が押し倒したのと同等の攻撃だったのに、コウは身体を折り曲げただけでその場に留まっていた。
その理由は沙夜先輩が突き出したモップの柄を掴み、衝撃に耐えたんだ。
いや、それよりも危惧すべきは……ッ!
「この……!」
「甘ぇ甘ぇ。力比べじゃ負けるつもりはねぇし、離すつもりもねェよ」
言って、コウは口角を吊り上げ。
右手を胸の高さまで上げて振るった拳。
「おらぁ!」
柄を易々とへし折り、一本のモップが二本にされてしまう。
「くっ!」
折られて長さを失ったモップ。これでもう、リーチを活かした戦いは出来なくなってしまった。
短くなった得物では却って邪魔なだけだと、沙夜先輩はモップだったものを投げ捨て、身体を半身にして構える。
型は沙姫と同じもの。利き手を前に突き出し、手の平を相手に向ける。
「こっからァ素手喧嘩で勝負と行こうじゃねぇか! あン!?」
コウは厄介だった長物を破壊し、同じ土俵へと引き摺り戻した事に笑いを見せる。
握る拳は骨が軋む程に力を入れ、その綺麗な顔立ちを崩してやろうと。
白髪の悪鬼は銀髪の少女へ、欲望のままに純粋な暴力を吐き出す。




