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No Title  作者: ころく
73/85

No.71 銀藍


「このまま落ちろよ……!」


 しかし、まだ力は緩めず。油断せず。

 奴の手は、まだ拳を握っている。意識を留めている。俺は知っている。

 こいつの厄介さを、しぶとさを。往生際の悪さを、知っている。 


「か、は……っは、ぁ……」

「な、に?」

「はっは、は……は、はは……!」


 ぐ、ぐぐぐ、ぐぐ。

 短く小さく、弱く脆く。えだった呼吸は声を変え。

 酸素を欲する抗いの渇声は一変し、途切れ途切れの渇笑へと。


「くっは、ははっは、は、はは……」


 奴の背筋……大円筋や広背筋が張り、固くなっていくのを肌で感じる。

 背中から被さり、首を絞めていた俺の体が、段々と。徐々に。横たわっていた状態から直立へと体勢が変わって。

 気付けばコウは両足で立ち上がり、おんぶされているような格好になっていた。


「こ、いつ……!」

「っぱよぉ、こうじゃ……ねぇ、と、なぁ……?」


 再度、俺の腕を掴む、奴の手には。

 さっきとは全く違う、掴まれた腕の骨が軋み、肉が潰れそうな馬鹿力が復活していて。

 組み絞めている腕の力を強めるも、そんなのは虚しく。奴の首との間に作られていく隙間。


「まだこんだけの力が……!」

「オチて終わるなんてよぉ……そんな決着はつまんねぇからなぁ!」


 ついに裸絞をしていた腕が振りほどかれてしまう。

 そして、その掴まれた腕をそのまま。一本背負いの如く、前に引っ張り出される両腕。

 視界が急回転したと思った瞬間、背中に硬い何かをぶつけられた。


「ぐっふ、ぁ!」


 背中を襲う激痛と、回転した視界が天井で止まったのを見て気付く。

 硬い何かと思っていたのは床で、ぶつけられたんじゃなく、自分からぶつかったんだと。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 頭を項垂らせて前屈みになり、息を切らすコウ。

 額には玉のような汗を浮かび、相当の無理をしての行動だったのは見て明らかだった。

 しかし、奴にもダメージが現れ、限界も見えてきたと喜んでいる場合でも無い。

 背中を強打して広がる痛みに加え、横隔膜が一時的に麻痺して呼吸がままならない現状。

 身体を起こそうと四つん這いになるも、呼吸が出来なくてなかなか動けない。


「はぁ、はぁ。危なかったぜ、今のぁよ……なぁ?」

「くっ……!」

「っとぉ、させるかよ」


 フラフラと覚束無い足取りでコウが近付き、見下ろしながら睨めつけ。

 俺が手を伸ばした先にあった椅子を蹴り飛ばした。


「ッラァ!」 

「がッ!」


 そして、ぶっきらぼうに蹴られる横っ腹。四つん這いが仰向けにされ、痛みから蹴られた箇所を手で抑える。

 背中に続いて脇腹にも痛みが追加され、暴れまわる痛み。

 痛みが暴れる背中と脇腹。呼吸がまだ回復せず、息苦しくて出る声は掠れてしまう。

 ……さらに。


「首絞めってぇのはよぉ」

「ッ!?」


 悶絶している最中、腹に感じた重みに目を開くと。馬乗りになったコウが眼前に映された。

 抵抗しようと右手を動かそうとするも、奴の左足で踏みつけられて自由を奪われてしまう。


「こうやンだよッ!」

「っか、は……!」


 言って、俺の首へと伸ばされた両腕。

 息が出来ていない所へ追い打ちを掛けるかのように、奴の指が首の肉にめり込んでいく。


「あ、がっ……っ、はっ!」


 容赦無く、手加減無く、情けも無く。

 ぎちぎちと軋む、首の骨。きりきりと絞られる、喉の気道。


「また物投げて逃げるつもりだったか? 何度も同じ事ばっかじゃあなぁ、馬鹿でも学習するぜ」

「が、っふ、ぐ……ぅ!」


 コウは余裕を見せつけ、握り絞める肉の感触を楽しみ、優位なこの状況を味わう。

 興奮する感情が堪えきれずに歪ませる口から覗かせる、白い犬歯。

 奴は俺の腹に乗り、利き腕である右腕は左足で踏まれてまともに動かせない。

 両足は自由だが、この体勢じゃ力を込めて蹴る事も出来ない。


「すぐには殺さねぇ。ただ、てめぇが目ぇ覚めた時には両足ぐれぇは無くなってっけどなぁ!」


 だから、笑う。奴は笑う。この絶対的有利な状態を楽しみ、浸り、噛み締め。

 結果――――。


「そう、やって……舌舐したなめずり、して……る、時点で……」

「あァン?」


 ――――溺れた。


「学習してねぇんだよッ!」




   ◇   ◇   ◇  




 沙姫と沙夜先輩を連れて、離れる直前。

 俺の隣に来て、あいつは言った。


「匕、用心に越した事は無いからな」

「……あぁ」


 そう。そう言って、あいつは、エドは。

 自分の懐から取り出した物を、俺に渡していた。




   ◇   ◇   ◇  




 パァン――――ッ!

 ベルトに挟んでいたソレを引き抜き、そして、同時に。

 その引き金に掛けた指へ力を入れるのは簡単だった。


「づ、っあ……!?」


 型式も何も知らない、銀色に光る銃器。

 ただでさえ反撃されるとは思っていなかった上に、予想していなかった攻撃手段。

 油断していた奴にとってこの攻撃は、僅かながらにも思考を固まらせる。

 その隙を突き、再度奴の右手を狙い撃つ。痛みと衝撃から、加えて余裕を見せ付けていた油断から。

 首を握り絞めていた手の力が、緩んだ。


「て、ん……」

退けってんだ!」

「がぐぁっ!」


 コウは予想外だった銃へと一瞬だけ目をやり、数コンマ遅れてやってきた怒りを顕にした。

 そして、その目を再び俺へと向けた瞬間に、殴りつけるはグリップの底。

 弾はゴム弾でも銃は本物。鉄製で重さもあれば強度も石よりも硬い。

 マウントポジションを取られて力を入らない状態でも、それで殴れば十分な攻撃になる。

 まともに喰らったコウは身体をよろめかせ、俺の右腕を踏んでいた足も軽くなり、ようやく解放された利き腕。


「重いん……だよッ!」


 重心が崩れているを利用して、奴の服を掴んで横に引っ張る。

 元々よろけていたのもあり、奴は簡単に床に倒れた。


「っは、はぁ! ぐ……ぅ!」 


 立ち上がって呼吸を大きくすると、腹回りに走る痛みに目を細める。

 数メートル離れた壁のの隅に転がっている。これだけ離れているなら、コウにすぐ拾われて禁器を使われる事は無い。

 なら、奴が禁器を拾ってしまう前に……!


「……オイ」

「ッ!? 足を……!」


 がくり、と。動かそうとした足が動かず、よろめく上半身。いつの間にかコウに左足のズボンを掴まれていた。

 まるで大岩に足を挟まれたように、左足が動かない。


「面白ぇ事してくれんなぁ!」

「うわっ!」


 掴まれた足を思い切り引っ張られ、お返しと言わんばかりに再び床に倒される。

 そして、目に入ったのは迫ってくる奴の足。


「ドラァ!」

「ぐうぅぅ!」


 サッカーボールを蹴り飛ばすが如く、俺の顔面を狙っての蹴り。

 咄嗟に両腕を交差させて防いだが衝撃は消せず。倒れていた俺はカーリングのストーンばりに滑らされ、教室のドアを巻き込んだ。

 廊下に放り出され、軽くひしゃげたドアと一緒に冷たいタイルの上に転がる。


「ってぇ……ガードしてもこの威力かよ」


 両腕から多少の痺れを感じつつも、片膝を付いて身体を起こす。

 追撃が来る事を警戒していたが、コウは追っては来ていなかった。


「まさか、てめぇまで銃を持ってるたぁ思わなかったぜ」


 ドアを失った教室の出入口越しに見えるコウの動きは遅く、鈍く。

 床に落ちている禁器を靴底で転がし、その勢いで足の甲に乗せ、軽く蹴り上げる。

 宙に浮いた禁器を掴み取り、コウはゆっくりとこっちへと向いた。


「上手く俺から禁器を手放させたァつもりだったみてェだが、残念だったなァ」


 コウは顎を上げ、頭を微かに斜めにして。

 不敵な笑みを浮かべて、禁器の先で床のタイルを小突く。


「もっとも、スキルがあるテメェにゃ禁器を持つ事すら出来ねェがな」


 そう、それだ。禁器が厄介な理由のもう一つある。

 禁器は破壊に特化していて、例外無く万物を破壊する。確かにそれは厄介で、一番警戒すべき点だろう。

 だが、それとは別で厄介なのが“所持者以外はまともに扱えない”という事だ。

 禁器が使える条件が“スキルを持たない”というもの。それ以外の者が使おうとすれば、禁器は異常なまでの重さになって、使うどころか持ち上げる事すら叶わない。


「そろそろ限界かァ!? 咲月よォォォ!」

「こ、の……!」


 禁器を構え、駛走するコウ。

 腹部と背中に今だ残る痛みを無視して、右手に持った銃を正面へと向ける。


「だろうと思ったぜェ!」

「なっ!?」

「ハッ!」


 構えていた禁器を貫通させるは、残っていたもう一枚の教室のドア。

 力任せに溝から引き剥がしたドアは、まるで西洋の巨大な盾のようにコウの姿を隠す。


「珍しく頭を使いやがって!」


 これじゃ銃で迎撃しようにも、奴の体が隠れていては狙いようが無い。

 だが、こっちから奴が見えないのなら奴もこっちを見えていない。だったら、左右に避けて銃で牽制しつつ距離を取る。

 とにかく禁器が届く範囲には入らないようにしなければ。


「ほぉら……」


 両足を踏ん張らせ、まだ息苦しさが残る中。

 ダメージが大きい右腕側に避けるべきだと思考が答えを出した時だった。

 迫ってくるドアの向こうから、奴の声が聞こえてきたと思った刹那。


「よっとァ!」

「な、にっ!?」

 

 突如、まだ数メートル先にあった筈のドアが猛スピードで飛んできていた。

 突然の飛来物に、原因を考える時間などある訳もない。思うより先に体が反応し、直撃を避けるべく左方向に飛ぶ。

 飛んだ際に一瞬だけ見えたコウの体勢から理解した。同時に禁器をっ引っこ抜くと同時に、ストンプキックでドアを押し蹴ってたのだと。

 なんとか当たる寸前に躱す事が出来たが、受身を取ろうにも体勢が悪く不格好に床へ着地した。


「っつ、ぁ……」


 着地した際の衝撃で、再び痛みが起きだした腹部と背部。

 吐き出した息は熱いようで、冷たいよう。痛みと疲労からか、まるで体中が錆びた金具のみたくぎしぎしと軋む。


「休む暇ァなんざ無ぇぜェ!」

「や、っべぇ……!」


 絶好のチャンスを見逃さんと、突風の如く疾走するコウの姿。

 牽制しようと銃を向けるも、ガードした時の痺れがまだ残って腕は小さく震えてしまう。

 立ち上がりながら狙いを定めて撃ってみせるも、弾は掠りもせず。虚しく無駄弾を消費してしまうだけ。


「下手な鉄砲は撃っても当たりゃしねェな!」


 そして、次に双眸が映したのは。

 周りの壁や窓を巻き込みながら、大きく振りかぶる禁器と。



「はぁぁぁぁぁぁぁ、だぁぁっ!」



 ――――視界の外から伸び出る、一本の棒だった。


「がっぐぁ! なん、だァ!?」


 完全な意識外からの攻撃に、コウは脇腹に与えられた衝撃に逆らう事は出来る筈も無く。

 横に数歩分だけふらつき、状況の理解が追いつかないコウに生まれた意識の切れ間。

 その僅かな間へ追撃を仕掛け出る女性は、淡く光る銀髪を靡かせ。

 手にしたモップを手足のように自在に操り、眼前の標的へと攻め穿うがつ。


「ふっ! はっ! せやぁぁぁぁ!」


 足を薙ぎ、頬を払い、胸を突く。

 反撃させる間も、息つく間も無い。流れるような動きから繰り出される華麗な連撃。

 足を狙って体勢を崩し、顔へと繋げて視界を外し、最後に全体重を乗せた突きが敵を吹っ飛ばす。

 そして、その敢然と立ち構える後ろ姿は、見間違える筈が無い。


「沙夜……先輩ッ!?」


 腰まで伸びた長い銀髪に、親しみのある声。

 思い掛け無いタイミングで現れたその人の名前を、思わず声を大きくして口にした。


「咲月君、大丈夫っ!?」

「なん、で……」


 身体を半身にして、モップは水平に構えたまま。

 吹っ飛ばして倒れているコウへの警戒を弱めず、沙夜先輩が心配そうに声を掛けてきた。


「なんで戻ってきたんだっ!? あれだけ危険だって言っ……」

「出来る訳ないじゃないっ!」

「ッ!?」

「咲月君とエド君は命を張って、危険を冒して、心を削りながらも戦っている! 明星君と仲が良かった咲月君が、先頭に立って戦っているのよ!?」


 視線の先では、コウが顎を摩りながら立ち上がる。

 雑魚が邪魔ァしやがって。そう言ったのが微かに聞こえた。


「一番辛い筈の人が、一番苦しい戦いをしているのに!」

「っせェンだよ、クソアマ! 今度はあの世でオネンネさせてやっからよォ!」


 邪魔された苛立ちと、攻撃された怒りから。コウは青筋を立て、眉間に集中する皺の束。

 鬼々とした表情を露に、ストレスの原因となった人物へと駆ける姿は獣の如く。

 しかし、怒気と殺気を放つ猛獣に、沙夜先輩は臆する様子を微塵も見せず。

 むしろ自ら双脚を動かして立ち向かって行き――――。


「自分だけ逃げて、隠れて、戦わないで怯えてるなんて……」


 ――――叫んだ。


「そんな情けない人間になるつもりは無いものっ!」


 コウの禁器に対し、沙夜先輩は学校の掃除で使われるただのモップ。驚異の差は言葉にしなくても明らかだろう。

 けどそれは、扱う武器だけを見ればの話であって。扱う“人”を見れば、話は変わる。

 証拠に、考えもなくひたすら暴力を振り撒くだけのコウに対して、沙夜先輩は無駄のない流水に動き。

 コウが禁器を振るうよりも先に、確実に。その右腕へとモップを突き刺し、その行動を起こされる前に挙動を潰した。


「だから戦うわ! “私達”も!」


 そして、反回転させて突き出すはモップの尻。 

 鋭利ではないにしろ、直径数センチの棒でも局部にダメージを与えるのには十分で。

 コウの右手首に棒先がめり込み、電流が走ったような痺れる痛みに奥歯を噛み締める。


「い、っづ……!」

「はいっ!」


 痺れから右手の力が緩んでしまった瞬間。

 沙夜先輩はモップを縦に回転させて振るい、コウの顎を下からち上げた。

 続けて、腹部にモップの頭を押し突いたと同時に。


「沙姫ッ!」

「まっかせて!」


 沙夜先輩の呼び声に応え、現れるはもう一人の乱入者。

 藍色の髪を揺らし、健脚を披露して。気付けばコウの背後に張り付くは、固く握られた両の拳。

 コウが背中から感じ取った違和感に振り返る間も与えず。


「せあぁぁぁぁぁぁぁ!」


 気迫がこもった一声と共に放たれる、双拳の技。

 両足を開いて腰を落とし、踏み出す足と打ち込む腕を連動させて。


「ぐごあっ!」


 首裏、背中、腰。正中線に撃ち込まれる三連打。

 防ぎようもない背後からの攻撃に、コウは背中を仰け反らせて膝を突く。


「姉さん!」

「わかってる!」


 沙姫は後ろから左手でコウの肩を押さえ、右手は右前腕を掴んで後ろへと捻り上げる。

 関節技を入れられたコウの右腕は無防備になり、そこへ沙夜先輩が追撃を放つ。


「ッ、てェ!」


 右手の甲に打ち込まれた一撃に、コウは堪らず顔を顰めて。

 関節技で力を入れられない状態だったのに加え、さらに長物による薙ぎ払いの叩打。

 驚異の打たれ強さを持つコウでも、今までのダメージが蓄積していたのも重なり耐える事は叶わず。

 高い金属音を廊下に響かせ、禁器を床に落とした。


「やった……!」

「沙姫、もういいわよ!」

「りょーかい!」


 禁器が手放されたのを確認して、言葉を発しながら壁際に移動する沙夜先輩。

 沙姫も関節技を決めていた両手を離し、半歩だけ後ろに下がる。

 そして、同じく後退すると思えば。


「こん、ガキィ!」

「はぁぁぁぁ……」


 一歩。沙姫は右足を一歩だけ、前へと踏み出す。

 正面ではなく、左斜めに。時計で言う十一時の方向へ。

 地面を踏ん張る足から始まり、足首から膝、股関節、腰。踏み込んだ力はバネになった全身で増幅されて。

 踏み込み、捻り、加速し、増幅した力を一箇所に集中させて放たれるその技は。


「ふんッ!」


 まるで巨大な岩と化した沙姫の渾身の一撃。

 鉄球が直撃したと錯覚してしまう程の強力な衝撃が、コウの背面にぶち込まれた。


「かっ――」


 苦痛を表す短い悲鳴が吐き出されるも。

 声をかき消す速さで、コウは廊下の端まで一気に弾き飛ばされた。


「沙姫、お前も来たのかよ!」

「当然です! 私達だけ逃げたら、明日のご飯が美味しくないですもん!」


 こっちへと振り返り、沙姫は俺の所へと歩み寄って来た。

 そして、少し悲しげな表情を浮かべ、眉を僅かに中央に寄せながら。


「それにもう、事終えてから悔いるのは絶対にゴメンですから!」


 一緒に過ごした少女を思い出しながら、あの時の気持ちを頭に過ぎって。

 でも、その瞳には強い意思を確かに感じる。俺と同じ意思を、決意を。

 二人はその目の奥に、確固たる想いを宿していた。



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