No.64 夢のまた、夢
◇ ◇ ◇
夢を見る。昔の夢。幼い頃の夢。凛が生きていた頃の夢。
これで何度目か。同じ夢を見るのは。
昔、一緒に遊んでた夢。初めて会った時の夢。そして、雨の中、地面に横たわる少女を、眺め佇む少年の夢。
幼い少年は固まったまま動かない。動かない。動かない。思考が、動かない。
ざあざあ、ざらざら。降っている雨の音だけが五月蝿く耳に入ってくる。
これが全ての終わりであって、始まりでもあった。凛が死んだ日。凛が、殺された日。
足元を見ると、水溜りに広がっていく赤い色。横たわる少女の冷たくなった細い腕を、雨がさらに冷たくしていく。
何度見ても、見慣れない景色。何度思い出しても、悔やみきれない記憶。忘れられない夢。
数秒。目を閉じて、内に混ざり合う感情を鎮める。哀しみ、悔しみ、怒り、怨み、苦しみ。混ざって混ざって何色かも解らなくなった感情を、言葉にも行動にも表さずに飲み込む。
そして、目を開けると。視界が映す夢の風景が変わっていた。
木造で広い建物の中。壁や畳には少々傷が目立ち、年季が入っている。
これもすぐ分かった。子供の頃、よく出稽古で行った事がある。懐かしい道場の風景。
凛と初めて会った時の夢。
『やった! じゃあ今から友達、だね!』
聞こえてきた、明るく無邪気な女の子の声。振り返るとそこに、嬉しそうに話している少女と、一人の少年が居た。
まだ小さい時の、小学校になったばかりの頃の俺と凛。二人が友達になった切っ掛けになった会話。
俺はそれを微笑ましく見て――――。
そこで、ある事に気付く。俺はこの夢を、自分の夢だと思っていた。けど、ふと浮かび上がる一つの違和感。
今この見ている夢が、昔の記憶だというのは内容で分かる。
けど、だけれど……俺が見ている夢なら、なんで俺は俺の姿を見ている……?
普通なら夢の中でも自分が主観で見る筈だ。なのに、俺は今、この夢を、幼い頃の自分を、今の俺が見ている。
夢の中に子供の俺と、今の俺。二人が、居る。夢の中に、俺が二人いるんだ。
『これから警ドロやるんだけど一緒にやらない?』
振り返ると、そこに立っていたのは小さな子供が三人。幼い俺と、名も知らない二人。
夢の景色がまた変わっていた。見覚えのある景色。見覚えある庭。見覚えのある道場。俺の、家。
どこを見ても色が無い。まるで紙芝居のような、白黒の世界。
『だから言ったじゃん。無駄だって』
『だって人数が足んないんだから仕方ないだろー』
遊びに誘った二人の子供が、子供の俺だけを残して走り去っていく、
ここでもそうだ。幼い頃の俺が何かしているのを、俺が見ている。俺が見ている夢なのに、俺が、俺を、見ている。
違う。違うのか。この夢は、俺の夢だけじゃないのか。
つまり、これは俺の夢じゃなくて、他の夢……誰かの、夢。別の誰かの記憶。
俺が俺の夢と思ってしまう程、俺の夢に近い夢。俺の記憶と近い記憶。俺と同じ時を過ごした、思い出。
なら、俺が見ている夢は誰の夢なのか。いや、記憶なのか。
でも、この夢は俺しかいない。俺しか知らない筈だ。誰かの記憶だとは思えない。
遊ぶ事は叶わず、道場へと戻って行く子供の俺を目で追った時。視野にちらりと、何かが映った。
一瞬だけでも気が付く異変。そこに特別な何かがあるんだと直感がした。なぜなら。
そこにだけ、色があった。白く味気の無い空間の中で、ただ一つ。ただ一人。
道場の影から、体を半分隠して覗くように見ていていた。でも、それは。この夢の時では。まだ、二人は話した事も無かったのに。
幼い俺を見ていたのは、橙色の髪をした一人の少女。
じゃあ、これは。じゃあ、この夢、この記憶は。俺が今まで見ていたのは――――。
◇ ◇ ◇
荒い息。熱い体。額にはいくつもの大粒の汗。
溶けた鉛でも吐き出すように息が熱く、吐く度に喉が焼けそうな。
目を覚まして最初に感じたのは、異常にこもった体の熱だった。
「……っ」
揺れる枝葉の間から差し込む木漏れ日が眩しく、僅かに目を細める。
あんなに酷かった頭痛と耳鳴りは嘘のように消えて、今は組手をした疲労感しかない。
ゆっくり息を整え、体にこもる熱を下がっていくのを待ちながら。さっきまで見ていた夢を思い返す。
夢を見ていた、夢。そう、俺は夢を見ていた。誰かが見ていた夢を、夢で見ていた。その誰かが誰だったのかは、考えるまでもなく。
そして、消えたのは頭痛と耳鳴りだけじゃなかった。ここ数日、ずっと頭から離れなかった違和感。
それが綺麗に消えていた。否。感じていた違和感の正体がなんだったのか、全部解った。朧げだった何か。姿が見えず、存在感だけが彷徨いていた、何か。
その全てが氷解した。
「そうか、そうなのか」
芝生に寝ていた身体を起こして、額の汗を拭うと同時に前髪を掻き上げる。
夢の理由、夢の内容、夢の意味。俺のスキルも、この炎の能力も。どういう力なのかも……。
そして、願いを叶える方法が、繋がった。
「違ったんだ、このスキルは……この能力は――――」
手の平から出す炎。でも、さっきまでとは違う。
白羽さんとの組手で使っていた時よりも、明らかに負担が小さくなっていた。
強く拳を握り、出していた炎を霧散させる。
「これなら、いけるかもしれない……!」
まだ組手の疲れが残っている身体を動かし、立ち上がって空を仰ぐ。
そして、目の前に落ちてきた葉っぱを素早く掴み取り、握られた右手から一瞬だけ吹き出す炎。
「全ては俺次第、だな」
握り拳から力を抜いて開かれた右手から、一枚。
焦げ目すら付いていない葉っぱが、ひらりと地面に落ちた。
◇ ◇ ◇
事務所に戻り、白羽さんの部屋の前。
手の甲でドアをノックすると、小気味良い音が二回鳴った。
『開いているよ』
ドアノブを捻り、部屋に入る。
中には白羽さんだけじゃなく、深雪さんが居た。
「白羽さん、話がある。聞いてくれ」
「うん? ……何やら、重要な話のようだね」
組手をした格好のままで所々が汚れている。着替えもシャワーも浴びず、組手をしていた場所から一直線でここに来た。
シャワーを浴びる少しの時間すら後回しにするという点と、俺の目を見て。白羽さんは直様、何かがあると気付いた。
「深雪君、悪いが席を外してくれ」
「はい、わかりました。カップは後で取りに来ますので」
「すまないね」
俺が一度だけ深雪さんへと視線をやると、白羽さんは俺の意図を読み取って二人だけにしてくれた。
深雪さんは部屋から出て行ったのを確認して、話を切り出す。
「今からする話は、白羽さんを信じているからこそ……全てを話す」
「……その話というのは?」
ひと呼吸置き、白羽さんの目を真っ直ぐ見返す。
「先輩を助け出す方法を見付けた」
「ほう……?」
白羽さんが纏う空気と、眼付きが変わった。
落ち着いた声とは裏腹に、その内には予想外の光明に期待を隠して。
突如浮かび上がった可能性に、閉ざされたと思っていた暗闇の道へ光が差し込む。
「そして、凛を生き返らせる方法も」




