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No Title  作者: ころく
64/85

No.62 告げる黒



8/29



「っはぁー」


 湯呑に入った緑茶を一口飲んで、意識せずとも出てしまう一息。大変美味しかった夕飯でお腹も満たされ、まったりとした時間を過ごす。

 本日も例に漏れず、沙姫との組手後に晩御飯をご馳走になった。今晩のメニューはブリの照り焼き。筑前煮も味が染みてて美味かった。特にレンコン。

 若干食べ過ぎた感はいなめなく、茶の間でテレビを見ながら腹休みしている。


「はい、お煎餅どうぞ。咲月先輩」

「いや、俺はいい。とてもじゃないけど入んねぇ」


 沙姫が差し出してくるお茶請けの煎餅をチラ見だけして、まだ熱い湯呑を摘むように持って緑茶をもう一口飲む。

 こうして夕飯を食べて帰るのが習慣になって、遠慮という言葉が薄まってしまったか。今日もご飯をおかわりしてしまった。

 そんな訳で、今の俺の腹は八分目を超えて九分目以上。さすがに少し苦しい。というか、大盛り御飯を三杯も食べた直後に煎餅を食ってる沙姫が特殊なだけだろ。


「今日も負け越しだったなぁ……咲月先輩と組手を始めた頃は私の方が勝ってたのに、なんか悔しい」

「白羽さんとの組手の効果が出てきてるんだろうな。あとお前と違って食ってばっかりじゃないし」

「いっつもネタにしますけど、私はそんな食いしん坊キャラじゃないですからね!?」

「じゃあ御飯を二杯おかわりした後に食ってる、その煎餅はなんだよ」

「これは食後のデザートです。別腹です、別腹」

「煎餅がデザートとか聞いた事ねぇよ」


 沙姫は苦しい言い訳をしながら、残り一口となった煎餅を口に放り込む。この食べるスピードよ。

 ここまで来ると、もはやネタじゃなくて特技だよ。


「白羽さんとの組手かぁ……私も鍛えてもらえば咲月先輩に勝ち越せるかな?」

「あんまオススメは出来ねぇなぁ」

「なんでです? あ、もしかして私が強くなって負けるのが嫌とかですか?」

「そんなんじゃなくて、白羽さんは半端ない強さだからやるなら相応の覚悟が必要だぞ。俺でも片手で捻られてるくらいだからな」

「そんなに強いんじゃ組手にもならなさそうですねぇ……やめておいた方がよさそう」


 テーブルに頬杖しながら、煎餅を噛じる沙姫。

 そもそも忙しい白羽さんが時間の合間に付き合ってくれていて、俺との組手は一時間だけ。さらに沙姫との組手をする時間を作るのは厳しいと思う。


「そうよ、やめておきなさい」

「あ、姉さん」

「白羽さんは働いているんだから、あんたと組手する暇なんてある訳ないでしょう」


 沙夜先輩が台所で洗い物を終えて茶の間にやってきて、沙姫の隣に座る。

 夕飯をご馳走になったから俺も手伝おうとしたが、『咲月君はお客さんだから寛いでて』と食器すら触らせてもらえなかった。

 ここ最近ご馳走になってばっかりだから、お返しに何かお礼しないといけないな。


「でもさぁ、気にならない? 白羽さんがどれだけ強いか」

「そうねぇ、気にならない訳ではないけど」

「だって咲月先輩が手も足も出ないんだよ? 私が相手だったら指先一つでダウンされそう」


 ずず、とお茶を飲んで、沙姫は白羽さんとの組手を想像しているのか視線を上にやる。


「あ、姉さん、お茶飲む?」

「うん、お願い」

「ちょっと待ってて」


 沙姫はテーブルの隅に置かれていた急須を取り、近くに用意していたポットのお湯でお茶の準備をする。

 沙夜先輩のマイ湯呑なのか、猫柄の可愛らしい湯呑にお茶が注がれていく。


「そんな事より沙姫、夏休みの課題は終わったの?」

「うぇ!?」

「言っとおくけど、ギリギリになって泣きついても手伝わないからね? 小学生じゃないんだから」

「ぐむむむ……」


 課題の話を出された途端に、あからさまに顔色を悪くする沙姫。

 反応を見る限り、ろくに手を付けていないんだろう。


「その様子じゃほとんど終わってねぇな」

「そ、そんな事ないですよ! だいたい七割は終わってますから!」

「本当かぁ?」

「ぐっ……六割、とか?」

「正直に言えよ。見栄張っても意味ねぇんだから」

「……半分も終わってません」


 沙姫は額に薄ら汗を浮けべ、目を逸らして口端をヒクヒクさせ、最後は観念して頭を下げた。

 やはり予想を裏切らず、課題はまともにやっていなかったようだ。


「ね、姉さんこそ課題は……」

「私はとっくに終わってるわよ。あんたと違って」


 沙姫が最後まで言う前に、沙夜先輩はカウンターを喰らわす。

 読みやすい攻撃ほどカウンターを合わせやすいものはない。


「さ、咲月先輩はどうなんですか!?」


 で、当然、次は俺に来た。

 少しでも自分への風当たりを弱くしたいのか、仲間を見つけたいのか。はたまた自分より下を見付けてスケープゴートにするつもりなのか。


「俺? そりゃあ俺は当然……」

「終わってるんですか!?」

「全くやってない」

「……へ?」

「ひとっつも手ぇ付けてない。真っ白のまま」


 予想外の返答に、ポカンと口を開ける沙姫。

 その隣で沙夜先輩も目を大きくして驚いている。


「そっかぁ。じゃあ来年から咲月先輩は先輩じゃなくなりますねぇ」

「どういう意味だ、それ。俺はやれば出来る子なの。留年するようなヘマはしないっての」

「やっても出来ない子ほど、自分はやれば出来る子って言うんですよ」

「ぐっ……お前に言われると説得力が凄いな」

「それどう言う意味ですか!? 私はちゃんと出来る子ですから!」

「課題を出し忘れて赤点になりそうだった奴に言われてもなぁ」


 どんぐりの背比べみたいな言い合い。

 これ程どうでもいい言い合いはそう無いんじゃなかろうか。


「まぁ、私からしたらどっちも出来ない子なんだけどね」

「ぐむ……」

「あう」


 沙夜先輩がお茶を飲みながら言った一言に、俺と沙姫は一緒に口を閉じてしまう。

 これが既に課題を終わらせてる人の余裕か……何も言い返せない。


「まぁ、俺は最初からやるつもりはなかったからなぁ。夏休みの宿題をやらなくても進級は出来るし」

「でも、やらなかったら平常点が貰えないですよ?」

「平常点が無くても、その分テストで点を取ればいいだけだろ。あとは出席日数が不足しないように気を付ければ問題なし」

「そうですけど、平常点無しは厳しくないですか?」

「何とかなるもんだよ。こうして二年になれてる訳だからな」


 今まで赤点を取った事は無いけど、ギリギリだったのは何回かある。

 そういえば夏休み前のテストで英語が赤点スレスレだったな。下手したら沙姫をからかえる立場じゃ無かったかもしれなかった。


「沙姫、それなら私もやらなくてもいいかなぁ、なんて思ってないでしょうね? あんたはちゃんとやりなさいよ」

「えっ!? や、やだなぁ姉さん、思ってる訳ないじゃん!」

「そう? なんか目が泳いでる気がするけど」

「気のせいだってば、気のせい! 私は最後に追い上げるタイプだし!」


 とか言ってるくせに、沙夜先輩と目を合わせない沙姫。

 顔に出やすい上に解りやすい反応。ババ抜きしたら絶対ビリだな、こいつ。


「ま、社会に出たら上に言われた事は多少理不尽な事でも期限を守ってやらなきゃいけない。学校で出された課題ぐらいはちゃんとやる癖をつけといた方がいいと、私は思うけれどね」

「……チャーシューメンにライスと餃子つけて、デザートに杏仁豆腐を食べた後の腹です」


 沙夜先輩に真っ当至極な事を言われ、俺は小さく頭を下げる。

 言い返す言葉が見つかりません。


「……? 姉さん、今のどういう意味?」

「ぐぅの音も出ない、って事でしょ」

「あ、なるほど。上手いですね、咲月先輩」


 沙夜先輩に教えてもらい、沙姫はポンっと手の平を軽く叩いて納得する。


「じゃあ、ちゃんと課題を全部やるんですか?」

「やんねぇ。さすがにもう間に合わないだろ。人は時に諦めも必要なんだよ」

「咲月先輩の未来は留年確定に加えて、社会不適合者かぁ……」

「誰が社会不適合者だ。そもそも留年もしねぇっつの」


 沙姫も言うようになったじゃねぇか。さっき課題の事でイジった仕返しのつもりか。

 まぁ、こういう風に会話出来るのも仲良くなった証拠でもあるんだろうけど。

 残り半分ぐらいの少しぬるくなった緑茶を、一口で飲み切る。元々大きくない湯呑だから、そう量も無い。


「咲月先輩、お茶のおかわりします?」

「いや、十分だ。それにそろそろ帰るわ、腹も大分落ち着いたし」

「もう帰るんですか? いつもは九頃なのに。まだ八時過ぎたばかりですよ?」

「今日はちょっと長めの組手だったからな。疲れを残さないよう早めに寝ようと思ってよ。明日も組手するんだろ?」

「勿論です! 社会不適合者に負けっぱなしは悔しいですもん」

「課題を終えてないお前も社会不適合者予備軍だろが」


 まだ引っ張ってくる沙姫に、俺は立ちながらジト目で返す。

 もし夏休みの課題が終わらなかったら、このネタでイジリ返してやる。


「外まで見送るわ、咲月君。門の扉も閉めなくちゃいけないし」

「姉さん、私も行く。昼からずっと扉を全開だったから、一人じゃちょっと大変だろうし」


 言って、二人も立ち上がって廊下に出る。

 部屋の隅に置いていたスポーツバックを肩に掛け、忘れ物が無いか確認する。

 財布もある。携帯もある。スポーツバックもこの通り今持った。


「忘れ物はない?」

「大丈夫です。まぁ、あったとしても明日また来るから」

「ふふっ、そうね。もしあった時は連絡するから」


 沙夜先輩は先に廊下に出て、玄関の明かりを付けて待っていた。

 話しながら自分の靴を履き、沙夜先輩と沙姫はサンダルを履いて外に出る。


「今日も星空が綺麗だなぁ。雲も無いし、明日も晴れだね」

「そうね。それにもう何日かで満月になりそう」


 少し先を歩く沙姫と一緒に、沙夜先輩も空を眺める。

 釣られて俺も空を仰ぐと、沢山の星が散らばり、月がぽっかりと浮いていた。

 玄関から門まで続く石畳を歩く。このまま雲が無ければ、明日も暑くなりそうだ。


「ね、姉さんっ! これ……これっ!」


 沙姫がいきなり声を大きくして沙夜先輩の名前を呼ぶ。

 何事かと俺も空を見るのを止めて、門の方へと視線を向けると。


「何よ、いきなり声を大きくして。どうし……」

「黒い手紙が、来てた……!」


 どくん、と強く鳴る心臓の音。

 沙姫の手に握られた、宛名の無い黒い封筒。

 終わりを告げる報せが……不吉な色と共に届いた。


「門の扉に挟まれてたの。ほら、二通」

「じゃあ、最後の……」


 二人は驚いた顔で黒い封筒を見てから、ゆっくりと。

 俺に、視線を向けた。


「沙姫……悪いけど、開始日がいつなのか見てくれないか?」

「あ、はい。ちょ、ちょっと待って下さい」


 予想していなかったタイミングで現れた、SDCを予告する黒い手紙。

 沙姫は驚きからか、手紙を開ける手つきが少し固くなっていた。


「え、っと、行われるのは……二日後、三十一日の深夜零時、です」

「二日後、か……」


 とうとう来た……最後のSDCが。

 狙ってか、たまたまか。行われるのは八月の最終日。


「一つ、聞いておきたい事がある。特に沙夜先輩」

「私?」

「先輩の事を、白羽さんから聞いてますか?」

「先輩……?」

「明星先輩の事です」

「……ッ!」


 先輩の名前を出すと、沙夜先輩は明らかに動揺の色を見せた。

 視線を落として、噛まれる下唇。沙姫も同様に、表情を曇らせたのが答えだった。


「その様子だと、聞いてるみたいですね」


 こくん、と。沙夜先輩は無言で頷いた。


「なら、俺が詳しく話す必要は無いか。姿形は先輩だけど、あれは完全に別人。別のモノ。もし出会ってしまったら、その時は全力で逃げてください」

「でも、最後のSDCは自分以外を倒さないといけない。なら、その別人格の明星君とは戦わなくちゃ……」

「アイツは俺が倒します。だから、俺に任せてください」


 アイツは俺を殺す事を執拗に狙っている。なら、それを利用すれば二人を接触させずに出来るかもしれない。

 禁器を持ったアイツとの戦闘は危険過ぎる。出来るなら、その危険からは二人を離しておきたい。

 それに、この二人は変貌した先輩の姿を見た事が無い。全くの別人になり、人を壊すのを愉しむ狂人へと変わり果てた知人の姿を見て……耐えられるものではないだろうから。

 互いに最後に残った場合、その時は敵同士だと言っておきながら、これは俺の甘さなのだろうか……でもこれが、俺の戦いだ。

 親しい人が死んで欲しくないと思って何が悪いか。そんな俺を甘い奴だと、綺麗事ばかりだと罵っても構わない。

 これが俺の、覚悟なんだ。


「あの明星君が、人を襲うなんて……」

「アイツは別人です。先輩だと思って情けをかければ殺されます。冗談でも比喩でも無い。本当に、殺される」

「そん、な……でも、別人でも明星君なんでしょう? 話せばもしかしたら、元に戻って……」

「そういう考えがある時点で危険なんです」


 話し合いだなんてそんな事すれば、近付いた瞬間に殺される。

 奴は言葉が通じても話が通じない。如何に愉しく、面白く、人を壊すか。それしか考えていない。

 こちらが知人としての情を見せれば、奴は自身の容姿を利用して殺しにかかる。確実に。

 人が悲しんで嘆く姿と反応を楽しみ、なじり、堪能し、嬲り殺す。そんな人格ヤツなんだ。


「でも、沙夜先輩。勘違いしないでください。俺はアイツを倒す為に戦うんじゃなく、先輩を助ける為に戦うんです」


 俺の目的は先輩を助け出す事。コウなんか知った事じゃない。

 ただ先輩を助ける過程で、アイツの存在が邪魔しているだけ。


「だから、俺に任せてください。同じサボり仲間として、散々心配させて迷惑かけられた分、ラーメンの一杯でも奢ってもらわなきゃ気が済まないでしょ?」


 俺は強ばらせていた表情を緩ませ、沙夜先輩に軽く笑ってみせる。


「ふ、ふふっ……そうね。もし彼が戻ってきたら、私も奢ってもらうわ。クラス委員長としてどれだけ心配したか思い知らせてあげなきゃ」

「そん時はチャーシューメンにライスと餃子、デザートに杏仁豆腐も付けますか」

「えぇ。ぐぅの音も出ないくらい食べてやるわ」


 張り詰めていた空気は元に戻り、沙夜先輩も小さく微笑んだ。

 二人で戻ってきた先輩に奢らせて、俺達がどれだけ大変だったかを思い知らせてやると。

 そんな中、一人。沙姫は今も表情を暗くさせていた。


「沙姫」

「は、はい。なんですか?」


 声を掛けると、沙姫は小さく肩を揺らして返事をした。

 そうそう頭を切り替える事は出来ない。沙姫の中で、今でもなお悩んでいるんだろう。

 沙夜先輩も今はこう話してはいるが、まだ心では戸惑っていると思う。この二人はとても優しい人だから。


「明日の組手は無しにしよう」

「えっ……?」

「お互いに覚悟もしてるし、戦う時までは敵じゃないって言ってくれたけど……今日の今日まで組手をしていた仲だったんだ。切り替える時間は欲しいだろ?」


 言うと、沙姫は視線を下げて無言になる。

 やはり、色々と悩んでいるんだろう。こうして最後のSDCを告げる手紙が届いて、一気に緊張と重圧を感じ始めたのか。

 最後に互いが生き残ったら、その時は本気で戦うと決意し、約束した。覚悟していても、沙姫はまだ気持ちを切り替えきれていない部分が残っているのかもしれない。


「……わかりました」

「次に会うのは三日後。最後のSDCでだな」


 沙姫は一度だけ小さく頷いて、最後には俺の目をまっすぐ見てきた。

 まだ割り切れていない部分、切り替えれていない気持ちがあっても……沙姫のその瞳には、強い意志が宿っていた。

 沙姫はしっかりと気持ちを整理して、迷いなく最後のSDCに望むだろう。


「沙夜先輩。それじゃあ、今日もご馳走様でした」

「うん。またね……って言葉を、こんなに言いにくいのは初めてね」

「そう、ですね。けど……」

「えぇ。次に会った時はお互い、敵同士ね」

「はい。その時は、約束通り全力で」


 最後にそう言って、俺は二人に背を向けて帰路に立つ。

 別れ際の表情は悲しそうで、気まずそうで。背中を向けた今は、どんな顔をしているのかは分からない。

 まだ門の前に立っているかもしれないし、家に入ったかもしれない。振り返ったなら、二人の顔を見れるかもしれない。

 けど、もう振り返れない。今度会った時は敵同士。互いに傷つけ合い、願いを潰し合うのだから。

 俺自身も切り替えなきゃならない。頭と気持ち、心を。最善のコンディションで臨めるように。


「ただ、今も気になるこの引っ掛かり……一体なんなんだよ」


 まだ存在する、頭の隅の引っ掛かり。

 もう少しで解りそうなのに解らない。喉まで出てるのに、思い出せない感覚。

 中途半端に解りかけてるから、一層気になるジレンマ。

 エドはこの引っ掛かりが何か糸口になるかもしれないと言っていたが……もし前日までに判明しないのなら、切り捨てるしかない。

 こんな状態で、コウと生死を賭けて戦うのは危険過ぎる。


「二日後、か……」


 そんなモヤモヤとした心中とは裏腹に。

 夜空は皮肉な程に晴れて、星と月がとても綺麗だった。



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