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No Title  作者: ころく
57/85

No.55 違い

8/26



 白羽さんと組手をするようになってから、早三日。

 相変わらず仕事が忙しいようで。一日一時間という制限はあれど、毎日組手の相手をしてくれている。

 毎日組手が終われば、その日の内容を反省と反芻し、返し手や新しい攻め手等を考える。

 こういう地道な一歩一歩が、近道の一歩に繋がる。少しずつでも、強くなる為に重要な事だ。

 強くなるのには技術はもちろん、何よりも“経験”が一番必要だ。

 状況判断、機転、反応、対処。これら全ては自身の経験から培われる。今まで経験した事がなければ、当然人は状況判断が鈍り、思考が止まる。

 自衛隊や軍隊は普段起きない事を想定して訓練をする。それは、その“普段起きない事”に対して慣れ、的確に対応出来るように“経験”を積ませる。

 それと同じだ。想定や予想してるのと、実際に経験するのは違う。だから経験する前に、経験させる。

 自分より強い相手への対処、咄嗟の判断、反応速度。様々な経験を積み、自分の強さに土台を作る。

 そして、今日も例外ではなく、午前十時から付き合ってもらっていた。


「ふっ! はっ!」

「……」


 左手による突きから右肘による二段攻撃。

 それを白羽さんは表情一つ変えずに捌き、躱していく。

 一日一時間だけだが、組手を初めて三日で早くも成果が出てきた。


「っ!」


 右肘の攻撃から更に続けて、曲げた肘を伸ばして裏拳を繰り出す。

 が、狙った白羽さんの顔面を捉える事は無く、空気を殴るだけだった。


「ふむ、なかなか良い連撃だ」

「しまっ――――」


 裏拳を避けた白羽さんは俺の側面に周り、後ろを取られた。

 姿は見えず、声だけを耳が認識する。

 すかさず声がした背面に振り向く。

 ――――が、そこに黒スーツの姿は居なかった。


「こっちだ」


 さっき聞こえた方向とはまた別の方から、姿を見失った男の声。

 もはやどこから声が聞こえているのか解らない。解る事と言えばとりあえず、俺の正面には居ないという事。

 そして、一瞬。視界の右隅に、何か黒い物体が高速で動いたのが見えた。

 それが白羽さんによる攻撃という事に、身体が気付く。


「ぐっ……!」


 次の瞬間、腹部に激しい衝撃。

 痛みを感じるよりも速く、身体が宙に浮かび吹っ飛ばされていた。

 何をされて、何が起きたのか。そんな過程を考えるよりも先にしなければならない事がある。

 吹っ飛ばされ、ほんの高さ数十cmとは言え空に浮いている事には変わりない。

 つまり、地面に落ちるというのが必ず来る結果。それに、対処しなきゃならない。


「ふがっ!」


 変な声が出ながらも、地面との衝突に合わせて受け身を取る。

 白羽さんとの組手の成果が見事に出た。ここ三日間、何度も数えられない位に地面に体当たりした事か。

 組手の成果……それは“受け身が上手くなった”。


「あだだ」


 頭を摩りながら、身体を起こす。

 今のが組手初日だったら、受け身を取れず確実に気を失っていたな。

 本当、受け身の重要さが身に染みて解った。


「ほう」


 白羽さんは腕を組み、感心するように声を漏らした。


「ここ数日で格段に受け身が上手くなったね、咲月君」

「あんだけ毎日やられ続けてりゃあな」


 肩を回して痛む所がないか確認しつつ、白羽さんに返す。

 両腕が痺れているが、それ以外にこれと言って痛む所は無い。

 よしよし、まだ続けられるな。


「それだけじゃない。今の蹴り……しっかりとガードしていたね」


 顎に手を当て、白羽さんは微笑む。


「ん? あぁ、今のは蹴りだったのか」

「気付いてなかったのかい?」

「全く。視界に何かが動いてるのが一瞬見えて、咄嗟にガード出来ただけだったからな」


 両腕を軽く振って、痺れが取れるのを待つ。

 視界の隅で黒い何かが動いているのが見えた瞬間、頭よりも先に体が動いてガードしていた。

 腹部に来た蹴りを両腕で防いだが、他の箇所だったら諸に食らっていた。

 正直運が良かったというのもあるが、今のように見えていない解っていない状態で働く“勘”も戦闘では重要な一つだ。


「ふ、む……しかし、君の成長振りには目を張るものがある」

「こんなにやられっぱなしでか?」

「うん、そんなにやられっぱなしで、だ」


 白羽さんは一笑いし、顎から手を放して再び腕を組み直す。

 俺は話しながら服の土埃を払い落とし、ゆっくりと立ち上がる。


「組手を始めてから三日しか経っていないというのに、早くも成果が出てきているね」

「まぁ……相変わらず白羽さんに掠りもしないけど、受け身だけは上手くなったって実感はあるよ」

「勿論それもだが……君の対応、対処の速さには驚きだ」

「対応と対処?」

「うん。私は今までと変わらない力加減で組手をしている。にも拘らず、君はこうしてほぼ無傷で立ち上がっている」

「立ち上がってる、ってだけだけどな。ハットを触れもしねぇ」


 はっ、と乾いた笑いを見せて、まだ痺れが抜け切れない手を軽く振る。


「ははっ。だが、咲月君。君は今日、まだ一度も私の攻撃をまともに喰らっていないだろう?」

「え? あ、そういやそうだな」

「初日だったなら今頃、すでに気を失っていた頃だ。しかし、今日の君はクリーンヒットを貰わず、むしろ殆どの攻撃に反応いて防いでいる。この短期間でこの伸び代は舌を巻く」

「言われてみれば確かにそうだな。必死こいて組手してたから気付かなかったけど、これといった一撃を貰ってねぇや」


 さっきの蹴りは危なかったけど、咄嗟に身体が動いてくれたからな。

 あれをまともに喰らっていたら、今頃は正午を迎える前に昼寝をしている所だっただろう。


「つまり咲月君、君はそれだけ成長したという事だ。三日間という短い期間で」

「んー……そんな成長したって感覚はないけどなぁ」

「しかし、こうして一度も気を失うことなく私と組手を続けている。初日と比べて格段に動きが良い」

「毎日組手の内容を思い返して、イメージトレーニングしてた成果が出たのかもな。相変わらずこっちの攻撃は当たねぇけど」


 両手を腰にやり、小さく息を吐きながら肩を竦める。


「何も攻撃だけが強さの定義ではないからね。それは君だって理解しているだろう?」

「まぁ、な。力や攻撃面だけに突飛抜けていても、それだけで勝てる訳じゃねぇし」


 でもまぁ、攻撃面だけを特化させるってのは一つの手としては有りだ。敵を一撃で倒せるなら、それほど心強いものは無い。

 けど、いくら攻撃力が高くても防御面を疎かにして、逆に相手に一撃でやられたら意味がない。今の俺みたいに、攻撃を当てる事が出来なかったりな。

 攻撃、防御、早やさとバランスが良いのが一番良い。俺はそう思っている。

 打たれ強く、速さも保ち、一発当たっただけで即死の可能性を持つという、最悪の敵を俺は知っているけどな。


「でも、白羽さんは成長したって言うけど……俺はそうは感じないんだよな」

「うん?」


 確かに気絶もしないし、白羽さんとの組手を長く出来てはいる。でも正直、自分が強くなったって気は全くしない。


「多分、見方……視点の違い。あと前提の違いだと思う」

「視点と、前提の違い?」

「白羽さんは組手を始めてから今日までの間で比べているだろ? だから、いくらか持ち堪えるようになった俺が成長したように見えるんだよ」


 そこが違う、俺と白羽さんは。

 けど、俺はそうじゃない。そこじゃないんだ、比較すべき過去の自分は。


「今以上の力を付けたくて白羽さんに組手に付き合ってもらっている。確かに強くなりたいって意志はあるよ。だけど、俺はそれよりも先に感覚を取り戻したいと思っているんだ」

「感覚、と言うと?」

「物心付く前から親父に武術を習わされて、毎日毎日ほぼ休みもなく鍛錬。そんなのがずっと続いてたんだ」

「ふむ。この三日間組手をしたが、咲月君の動きや読みにはキレがある。その理由はそれか」

「殆んど遊びなんて知らずに生きてきた俺の、唯一の取り柄だよ」


 自虐を含んで、鼻で笑う。

 もっとも、好きで身に付けた訳でもないし、自ら望んだ訳でもないけど。


「だけど、実家を出てこっちの高校に通うようになってからは武術を使う事はあまり無かったからさ。ブランクが出来て感覚が鈍くなっちまって」

「それで君はまだ昔の感覚を取り戻していない、と?」

「前に沙姫と組手をしたから幾らかは。けど正直、まだ完全とは言えないな。ようやく六……いや、七分位か」

「七分というのは今現在でかい?」

「あぁ。ランニングや筋トレだけじゃ限界があるし、本当は今までみたいに沙姫に付き合ってもらおうかと思ってたんだけど……まぁ、白羽さんも知っている通り無理になっちまったし」


 次のSDCが最後で、もしかしたら沙姫や沙夜先輩と戦う可能性がある。

 もし戦う事になっても本気で戦うって約束してしまった。敵になって戦うかもしれない相手なのに、組手に付き合ってくれるとは思えないし。

 それに、敵に塩を送るような真似をする訳ないだろう。


「つまり、強さの底上げをするよりもコンディションを最良にする方を重要視すると」

「俺はそのつもりだ。力を付けても、感覚が鈍ったままでそれを活かせなかったら意味がないからな。白羽さんと組手で幾ら強くなれたら、って打算もあるけど」

「ふむ、なるほど。咲月君は今よりも昔の方が強く、そして、今はその七割しか出せていない、か」


 白羽さんは顎を撫でながら、興味あり気にこっちを見る。


「面白いね。実に面白い」


 そして、含み笑いを浮かべた。


「咲月君が言った意味が解ったよ。確かに私と咲月君とでは視点と前提に違いがあったようだ」

「別にそれが悪いとかダメって訳じゃないけどな。どちらにしろ白羽さんに組手に付き合ってもらわないといけねぇし」

「少しばかり興味が湧いた。本調子の咲月君を見てみたいね」

「そん時ゃその頭からハットが離れているかもな」


 白羽さんの真似するように、俺も含み笑いをして返した。


「それは楽しみだ」


 フッと余裕を見せながら微笑み、白羽さんはハットを被り直す。


「白羽さんには感謝してるよ」

「うん?」

「忙しい中、時間を作って組手に付き合ってくれてるんだからさ」

「構わないさ。君が強くなり、SDCで勝ち残ってくれれば新たな情報や動きがあるかもしれないからね」

「必ず生き残るさ。生き残って、勝ち残って……願いを叶える、絶対に」


 痺れが完全に抜け、握り拳を作って力が入るのを確認する。

 右手首に巻かれた黒いリボンが目に入り、自然と拳に力が籠る。


「……」

「……ん? なんだ白羽さん? じっとこっち見て」

「ふ、む……」


 また。白羽さんは長い前髪の間から黒い瞳を覗かせる。

 まるで俺の心を、考えを。見据えるように、見透かすように。


「君は優しいね、本当に」

「は? な、なんだよ急に」

「いや、心からそう思ったものでね」


 ハットを深く被り、鍔で白羽さんの顔の上半分は隠される。

 だが、唇は斜めに吊り上っているのが見えた。


「君が私に組手を頼んできたのはSCDで願いを叶える……その為だと思っていた。だが、ただ強くなる。それだけではないのだろう?」

「……読感術を使った訳でもないのに、よくまぁ解るもんだ」


 ここまで鋭いと恐怖心や気味悪さ……を通り越して、呆れや関心が出てくる。


「沙姫君と沙夜君に対し、SDCで互いが最後に残った場合、本気で戦うと言った時に薄々感付いてはいたよ」

「本当、よく解るな」


 深い溜め息を一つ吐いて、少し困ったように頭を掻く。


「沙姫君と沙夜君……二人を傷付けない為かい?」

「まぁ、な。全く傷付けないで勝つなんてのはまず無理だろうけど、出来るだけ怪我させるのを抑える事は出来るだろ」

「しかし、そう簡単な事ではない」

「解ってるよ。相手を傷付けずに勝つ事が、ただ倒す事の何十倍も難しいってのは。だから、力がいる」

「SDCで願いを叶えられるのは一人だけ……そんな制限があれば、普通なら周りを考えず自身の事しか考えなくなるものだが……」


 肩を僅かに上下に揺らし、白羽さんは腕を組む。


「沙姫と沙夜先輩にも、俺と同じで譲れない願いがあるのは解る。それを叶えようとする覚悟も。そして、その二人の願いと覚悟を潰す覚悟も、俺は出来ている」

「……」

「けど、願いが叶えられるのが一人でも……別に相手を必ず痛め付けなきゃいけないって訳じゃないだろ?」


 白羽さんは何も言わず、ただ無言で俺の話を聞いている。


「甘い事を言ってるのは解ってる。人によったらくだらねぇって笑うだろうな」


 こんな甘い事を聞けば、テイルは腹を抱えて笑うだろう。俺を馬鹿にして、見世物小屋の動物を見るように。


「でも、それでも……モユが大好きだった二人だからさ、怪我したら悲しむと思うんだ……それに、アイツとの約束を守る為に沙姫と沙夜先輩を傷付けるのは、違うと思う」


 右手首に巻かれた黒いリボンを、左手で撫でる。

 かつてこれを身に着けていた少女はもういない。会う事も、出来ない。

 けど、思い出す事は出来る。過ごした時間は少なくても、作られた思い出は多い。


「モユとの約束を守る為に、モユが大切にしていたものや大好きだった人を失うのは……なんて言うか、本末転倒な気がする」

「モユ君の遺志か。そして、君の意志でもあるんだろう?」

「あぁ。随分都合が良くて、綺麗事ばかり。しかも、都合が良いのは自分だけ。周りには、俺が偽善者にしか見えないだろうな」


 嫌われたくないと、嫌われないようにと。少しでも自分を良い人と見せようとしている。

 そう見えるだろう。そう思うだろう。周りにとっては、俺の勝手な自己満足でしかないんだから。


「いや、違う……違うな。俺が言ってるのはただの我が儘。ガキが欲しいものを手に入れようと駄々をこねているのと何にも変わらない。自分の一方的な欲望を叶えたいだけだ」


 顔を顰めて、奥歯を噛む。

 自分の勝手さ、偽善者面、大層な綺麗事。どれを見ても、どれを並べても、結局は自分に都合の良い、小汚い綺麗事。


「でも望まなきゃ……それが叶う事も、可能性すら起きない。だったら俺は周りから何を言われても……その自分に都合の良い綺麗事を、勝手に願うだけだ」


 もしモユが好きになった日常が、皆が。壊れる事無く生きていけるのなら、構わない。

 嫌われようが、敵になろうが、構わない。

 それで、それだけで現実になったのなら……安い対価だ。おつりが出る。


「なんてたって、元から自分の願いを叶える為にSDCに参加してんだからな。今更何を言われても気にしねぇさ」


 吹っ切れ、開き直る。

 何を言おうと、どう弁解しようと。俺が言ってるのは自分勝手な願望なのは変わらない。

 どうしようとも、願いを叶えられるのは一人。俺か、沙姫と沙夜先輩か。それとも他の誰かか。

 誰かの願いが叶うという事は、誰かの願いが叶わないという事。

 互いが互いに、命を張ってまで叶えようとする願いを摘み取り潰さなきゃならない。でないと、自分の願いを叶えられないから。

 その点でもう、綺麗事なんて存在しない。あるのは真っ黒く汚い、人の欲望だけ。

 だったら俺は、その欲望に従うまでだ。従って、叶える。


「だからこそモユ君は……君に懐いたんだろうね」


 言って、白羽さんは。

 短くも確かに存在していた日々を。赤茶あかい髪の少女が生きていた、思い出となった記憶を思い返すように。

 瞼を閉じながら、小さく呟いた。


「そして、やはり君は優しいね」

「なんだよ、また」

「いや、優し過ぎると言ってもいい」


 薄ら浮かべていた笑みから一転。

 白羽さんの表情は真剣なものに変わり、声のトーンも少し下がった。


「私が咲月君と同じ立場だったなら、私も同じ事をしていたかも知れない。そして同時に、全く別の方法を取っていたかも……知れないね」

「別の方法……?」

「私の知人にね、昔言われた事がある。『有り得ないは有り得る』、と」


 白羽さんの知人……なんて言うかこう、相手もビシッとスーツを着こなしたジェントルメンチックなイメージが浮かんでくる。

 なんて勝手な想像をしてしまったが、今は真面目な話をしているんだった。

 くだらない事はすぐに頭の中から振り払った。


「有り得ないは有り得る、ねぇ。一休さんで出てきそうな言葉だな」

「ははっ、そうだね。だが、私はこの言葉には強く共感していてね」


 小さく笑い声を零し、白羽さんはハットを押さえて少しだけ深くかぶり直した。


「……有り得ないと思っている事は、実際は有り得る事だと気付いていない。立場が変わった時、人は何にでもなり、なんでもする」

「それも知人の言葉か? 白羽さんの知人だけあって、白羽さんと同じで回りくどい言い方をするな」


 軽く冗談を含めて笑って言ったが、白羽さんからの反応は薄く。

 考え込み、思いふけるように視線を落としてから、白羽さんは視線を戻した。


「人というのは己の欲望に弱く、何よりも誰よりも自分を優先してしまう。心に余裕がある時ならば欲望を隠す事が出来るが、追い詰められた時に仮面は剥がれやすい」


 白羽さんの雰囲気はどこか怖く、何か言い聞かせるような。

 いつもとは違う空気、感覚。俺が知っている白羽さんとは違う、ボタンが一つズレているような、何か引っかかる違和感。


「いいかい、咲月君。君の優しさは強さでもある。だが同時に、優しさ故に迷いを生む事が起きる。時には残酷な選択を迫られ、非情にならなければならない時が来るだろう。何かを諦め、割り切り、見捨てる。いつかそんな場面がね」


 この違和感が、感覚がなんなのかは解らない。

 けど、なぜか。不安とも心配とも違う、奇妙な感情が胸を駆けた。


「優しさと甘さを間違えてしまってはいけない。その境を曖昧なままにすれば、君は――――」

「白羽さん」


 白羽さんが言葉を続けようとするのを、俺が言葉を被せて止める。


「確かに、俺は甘い所がある。沙夜先輩と沙姫を傷付けたくないってのも、他から見れば甘ったるい戯言で馬鹿げた事だと言うだろうさ。白羽さんの言う通り、その甘さがいつか、自分を苦しめる時が来るかも知れないって話も、理解出来る。けど……」


 真っ直ぐ、一点を見つめて。白羽さんの目と合わせて。

 俺は続ける。強く、揺るがぬ意思を心に込め。


「でも、その“いつか”は“今”じゃない」


 想いを、気持ちを……決意を。

 言葉に乗せて、伝える。


「いつか来る“その場面”ってのが今じゃないのなら、それでいい。最後のSDCを万全な状態で臨み、願いを叶えれさえすれば、それで……いい」


 それを白羽さんは黙って、表情一つ変えず。


「俺は自分の決めた道を、自分で決めた方法で、自分が後悔しないよう、自分自身の意思を曲げないと決めている」


 俺の意思と決意を確かめるように……。

 いや、既に知っているのを、敢えて聞いてるかのように。


「俺は今まで、凛を生き返らせる為に生きてきた。そして、モユとも約束したんだ……」


 握り拳を作り、その手首に結ばれている黒いリボンを見て。

 守れなかった少女の代わりに、せめて約束だけは守ると。


「少なくとも今は、どんな事が起きようと迷う事も悩む事も無い。自分が決めた信念を最後まで貫き通すだけだ」


 曇りの無い眼と、迷い無い言葉で。

 俺は白羽さんにぶつけると同時に、自身へ言い聞かせ、己を奮い立たせる。

 散々へこんで、散々後悔し、散々泣いて、散々迷惑掛けても……手を差し伸べ、立ち上がらせてくれた人達が居た。

 勇気をくれて、思い出をくれて、こんな俺を信じてくれた、俺より強い少女が――居た。

 だからもう、迷わない。諦めない。決して、投げ出さない。


「咲月君、君は……強いね。本当に強い。もし私が君だったなら……そんな答えには至らず、他の事は考えず顧みない、自己中心的な方法を取っていただろうね。目的の為ならば手段を選ばず、勝ち残る為になんでもしてね」

「なんでも上手くこなす白羽さんがか?」

「私だって完璧な人間ではない。立場が違えば状況も変わり、状況が変われば見方も変わり、見方も変われば味方も変わる」

「そうかも知れないけど……それでも、白羽さんがそうするなんて想像出来ぇな」

「そう言ってくれると嬉しいね。だが、一つが変われば、そこから分岐点が無限に広がる。自分が相手と同じ立場になれば、相手と同じ答えを出す事とは限らない。そして同時に、有り得ないと思っていた相手の思考や行動と同じ事をするかも知れない」

「……だから、『有り得ないは有り得る』か」


 相手の立場になれば、相手と同じ選択や行動を取る。同時に、全く違う事を選ぶ事も。

 白羽さんが言う事は理解出来る。考え方が一つ違っていれば、どんな方法でも邪魔となる沙夜先輩や沙姫を排除して、SDCに勝ち残ろうした未来せかいもあっただろう。

 そして今、俺が持っている価値観だって……何がきっかけで反転してしまうかも解らない。

 なんせ、有り得ないは有り得るのだから。


「もしかしたら、私もいつか――」

「白羽、さん?」

「……いや、なんでも無い。今日の組手はここまでにしようか」


 何か悩んだ様子……いや、どちらかと言うなら追い詰めた感じで。

 初めて見た白羽さんの一面。いつも余裕のある態度で、力強く心強い風格を纏う白羽さんとは違う。

 そんな雰囲気で、白羽さんは何かを言いかけた言葉を飲み込んだ。


「私は先に事務所に戻ってるよ。咲月君は少し休憩するといい」

「えっ……あ、あぁ」

「では、また明日。同じ時間に」


 白羽さんに問い掛ける事も出来ず。白羽さんも聞くタイミングを与えず。

 黒く長い髪を風になびかせ、全身黒尽くめの男は事務所へと戻っていった。


「有り得ないは有り得る、ねぇ。けど……」


 草むらの上に寝転がり、空を見上げながら一人呟く。

 さっきの白羽さんの表情、様子。確かに気になった。普段とは違う、初めて見た顔だったから。

 だけど、それよりも。もっと気に掛かっていた事が、あった。

 それは――――。


「心に余裕がある時ならば欲望を隠す事が出来る、か……」


 白羽さんが俺に言った言葉。

 だけどもそれは、何故か、俺は。


 白羽さん自身に向けて言っていた――――そんな、気がした。



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