No.4 アサガオ
7/1
「うぁ……今日もあちぃ」
コンビニから出ると、ムワッと熱い空気が体にまとわり付く感じがした。ジュースとオニギリの入った袋を手に持って学校に向かう。
SDCを終えて部屋に帰ってから寝て、一時限目に間に合うように起きれるわけもなく、堂々と遅刻をしながらダラダラと歩く。
正門から入って先公に見つかりたくないから日陰の多い裏坂から学校に入る。
今から授業を受けても遅刻扱いだし、あと三十分もすれば昼休みになるからな。屋上に直行するか。
廊下を歩いていると、どこかの教室から先生の語り声が聞こえてくる。
「屋上、先輩いるかな?」
下手すりゃ今日学校に来てねぇかも。SDCの後だもんなー、まだ家で寝てる可能性が高いな。
階段を上がって屋上に出る扉を開けると、強い陽射しが眩しかった。
「あー……さっきも言ったけど、あちぃ」
この言葉は夏の代名詞だからな、何回も言っちまうよ。
今日は一段と暑い。最高気温は何度だろ? 天気予報見てねぇからな……。
うっすらと額にかいた汗を手で拭いながら日陰の場所を探す。
「おぉ、いた」
俺の目の先には寝転がって爆睡を決め込んでいる先輩の姿が。
「おーおー、気持ち良さそうに寝てらぁ」
ガサゴソと買ってきたジュースを袋から取り出して一口飲む。
「ふぅ」
ジュースを横に置き、目を閉じる。
裏の神社から聞こえてくる蝉時雨を聴きながら一息つく。
「明日、か……」
ぽつりと誰に言うわけでも無く、小さく呟く。目を開けると見える景色が眩しかった。
目が慣れるのを少し待って、空を眺める。雲がまったく無く、青い、青い空が制限無く広がっていた。
「ん……」
声をあげて先輩が目を覚ます。
「おっ、起きた」
「んぉ……来てたのか」
先輩は寝呆け眼っぼい感じの目で俺を見る。
んんー、と寝たままの状態で先輩は背伸びをしてから起き上り、首に手を当ててコキコキと骨を鳴らす。
「あー、寝違えたかな? 首が痛ぇ」
「先輩、いつからいたんだよ?」
「朝イチ、からだな」
首を左右に動かして先輩は答える。
「朝イチぃ? 先輩にしちゃ珍しい」
「んー? あぁ、アレが終わってから家帰って今寝たら起きれねぇと思ったからよ、やりかけのゲームやってたんだよ」
「徹夜して来なくても寝て遅刻して来ればいいのに。先輩十八番だろ」
「いや、下手したら夕方まで寝過ごして学校来ねぇだろうし」
「先輩がそんなに学校に来ようとするなんて珍しいな」
いつもサボりや遅刻は当たり前の先輩なのに。
「お前が来るだろうと思ってさ」
「あ? なんでだよ?」
俺、先輩になんかしたっけ?
「SDCの事で話したいことがあるんじゃねぇのか?」
「あぁ、さすが。分かってらっしゃる」
今までSDCが行われたら必ずと言ってもいい程、先輩に話を聞いてたからな。
「ま、大半は答えられないだろうけどな」
それは分かってる。先輩だってここまで残ったのは初めてだ。今まではどうだったかなんて事は聞いても無意味。
「今回のSDC……どう思った?」
「どうって、別にいつもと大して変わらなかったけどなぁ」
「……じゃあ先輩さ、今回ので他の参加者と戦ったりした?」
「今回は戦ってねぇよ。あ、いや……一人と戦ったな。逃げたんだけど追ってきよ、しつけぇから気絶させてアウトにしたよ」
と言いながら先輩はハッ、と鼻で笑う。
「なら何か疑問に思わなかった?」
「疑問?」
なんでよ? という風な顔をして俺を見る。
「今回からの新ルール、覚えてるだろ?」
「あぁ? あー、覚えてるよ。それがどうしたんだよ」
「訳あって今回ので俺も他の奴と戦ってアウトにさせたんだよ。でもさ、SDCが終了して帰ってた時にふと思ったんだよ」
そう、今回ので俺は7人の男を気絶させてアウトにさせた。と思っていた。
「今回からは気絶させてアウトになるのか、ってさ」
「はぁ? 今まではそうやってアウトにしてたんだからなってんじゃねぇのか?」
「解んない。でもあの新ルールを思うと引っ掛かるんだよ」
「『生キ残レ』、か?」
「そう。俺達が最初、その新ルールの『生キ残レ』を知った時、その文面から死ぬ事があると思ったよな?」
「あぁ、思ったな」
あの黒い封筒が届いた日、電話で先輩と話した。
昨日だって屋上でその事で話をした。本当に死ぬ事があるのか、って。
「そして気付けば俺達は知らぬ間に『死=アウト』と思ってたんだ。でも実際、俺達が他の奴をアウトにさせる時は気絶させるだけ」
少し考えれば気が付く自分がしている矛盾な行動。
「もう分かっただろ?」
「なーる。つまりはだ、俺達のアウトが死だったら他の奴も同じ。なら気絶させた奴等はアウトの条件になっていない事になる、と」
「そういうこと。『生キ残レ』が唯一の残る条件ならな」
「でも、気絶でアウトになってないって証拠がある訳じゃねぇだろ?」
「それを言ったら、気絶でアウトになったって証拠もない」
俺達は今まで気絶させた奴等がアウトになってるかどうかなんて知らない。
そもそも誰が、どこで、何を基準にアウトにさせているのか分からない。気絶させるのだって俺達が勝手にそうすりゃアウトになると思ってやってたんだ。
「考えたってキリがねーな……やめやめ! 死んだら終わりなら少なくとも今まで通りにやってりゃ残っていけんだ。前向きに行こうぜ、前向きによ」
「……そうだな、前向きに行くか」
空を見上げるとサアァ、と風が流れた。
気付くと生徒の喋り声が窓から漏れて聞こえてくる。携帯で時間を見てみると、すでに昼休みに入っていた。
「お、もう昼休みになってるわ」
授業終了の鐘が聞こえない程、話し耽ってたようだ。
「先輩は昼、どうすんの? 俺は持ってきたけど」
「俺も学校来る途中に買ってきた」
そう言って先輩は、鞄からコンビニの袋を取り出した。俺も袋からオニギリを取り出す。
「ん? お前、今日は妙に豪華じゃねぇか?」
袋から取り出した俺の昼飯を見て先輩が聞いてきた。
「やっとバイトの給料日でね。学校に来る途中に金をおろしてきた」
ニヤリ、と笑ってオニギリに手を付ける。
今の笑いは笑うつもりはなかったのだが、昨日までの食生活を思い出すと自然に出てしまう。
「だったらどれか一つよこせ! または奢れ!」
「やだね。金欠ン時に金を貸してくれる所か飯もろくに食えねぇ時に、目の前でバクバクと自分だけ飯食ってたヤツに誰がやるか!」
しかも、その時はジャンケンで負けたとはいえパシリにされたんだ。そんなヤツに誰がおごってやるか。
オニギリの海苔が破れないように丁寧に袋を開ける。
「そんじゃま、いただきまぁ……」
オニギリを口に運ぼうとした時、ガチャリ、と重い鉄製の屋上の扉が開いた。
「あ、いたいた」
開くと同時に聞こえてきた声。扉の方を見るとさっきまでの気分が一転して不愉快になった。
「やっぱりここだ」
せっかく気分良く昼飯を食べれると思ったのに……。
屋上の扉から出てきたのは燕牙だった。
「……なんか用?」
口の目の前まで来ていたオニギリを持っていた手を膝の上まで下ろして燕牙を軽く睨む。
「ほら、前に色々話がしたいって言ったじゃない」
しかし、まったく気にせずに燕牙はこっちへ近づいて来る。
しかも、ニコニコと笑顔を作ってだ。
「俺は話す事なんかねぇよ」
燕牙のそんな態度にさらに苛立ちが積もる。
「そんな事言わないでさぁ。この学校って結構広いよねぇ、たまに迷っちゃったりしてさぁ」
「そりゃ災難で」
「だから、話がしたいんだよ。色々と教えて欲しいからさ」
「だったら、いつも周りにいる女子に聞けばいいだろ」
「いやぁ、でもやっぱり男の方が聞きやすい事とか話しやすい事があるでしょ?」
まったく、よく喋る奴だ。どうにかしてさっさと追い帰らせて昼飯を食べたい。
「知らねぇよ。他の奴に聞け」
「おいおい、随分と素っ気ないな」
パンを噛りながら、半ば呆れ気味で先輩が言う。
そこで先輩の存在に気付いたかのように、燕牙が先輩に挨拶をしだした。
「あ、どうも。僕はライン・アム・燕牙って言います」
そう言いながら俺の前に座る。
「あぁ! アンタがあの噂の転校生か! 俺のクラスでも有名だぜ?」
「噂って……なんか恥ずかしいですね」
後頭部を掻きながら少し困った表情をする転校生。
「あ、そういえば噂で思い出したんですけど……どの学校にも変な噂があるんですね」
ハハッと聞いた噂を思い出して軽く笑った。
「ん? どんな噂だよ?」
先輩は食い付き、少し面白げに聞き出した。
「えーっと……夜に死者の断末魔が聞こえる、グラウンドが血の海になってる、とか。あとは――――」
いかにも噂の定番と言えそうなものばかり。噂と言うか、怪談の類だ。
「くだらねぇ」
隣の先輩なんか、呆れるのを通り越して笑ってる。
「あとは、深夜に殺し合いをしている……とか、ね」
「――ッ!」
まさか、それってSDCの事か……?
いや、確かに噂にはなってはいるが……『殺し合いをしている』、なんて噂ではなかった。
それに本当にSDCで殺し合いをしているかなんて、まだ確証はない。
そうだ、確かにルールは変わったけど殺し合いしているとは決まっていないんだ。
「どうしたんですか? そんなに怖かったですかね?」
燕牙は急に黙った俺と先輩を交互に見る。
「……いや、最後のは怪談としてはイマイチだな」
「そうだな」
先輩の言葉に、俺も合わせる。
「そうですか? 僕は結構興味あるけどなぁ……あ、そろそろ戻るね。お昼、まだなんだ」
立ち上がり屋上の扉へ歩いていく。
あぁ、やっと昼飯が食える。
「それじゃあ、咲月君……またね」
最後にそう言って燕牙は屋上から去っていった。
「ったく、なんつー噂だよ。一瞬固まっちまったよ」
「あぁ、正直驚いた」
「つーか、噂になってるなんてな。それって結構ヤバいよなぁ……」
後ろの壁によっかかって先輩は軽いため息をついた。
「んー……まぁ、確かに本当に噂になってたらヤバいだろうね」
燕牙がいなくなり、やっとオニギリを一口食べる。
「は?」
「最初の二つはどうか分かんないけど……多分、最後の噂、あれは嘘だ」
「ふぅん、嘘ねぇ……は? 嘘? なんで嘘って分かんだよ?」
多少驚きはしたが嘘だと言った俺に普通なら思うであろう疑問を聞いてきた。
「学校の噂っつったら怪談だろ? 普通、怪談ってのはその噂を聴き手側が怖がるような話が怪談なんだよ」
まぁ、そうだな。と頷く先輩。
「でもさっきの『殺し合いをしている』ってのを聞いても怖くないだろ?」
「確かに……怖いっつーかなんつーか、抽象的すぎるっつーか」
「『殺し合いをしている』じゃなくて『殺人鬼がいて殺される』とかならまだ聞き側の人に恐怖心を与える事が出来るけど、『殺し合いをしている』だと恐怖心を与えることが出来ないだろ。だから怪談の噂としてはおかしいんだよ」
「確かに……言われてみれば」
俺が嘘だと思った理由を話すと先輩は納得したような顔をして腕を組んだ。
「しかし、なんでまた嘘なんかついたんだ? あの転校生」
「先輩、気付かなかった?」
オニギリの最後の一口を頬張りジュースで流し込む。
「アイツ、噂を聞いた時の俺達の雰囲気……読んでたぜ?」
「なっ!? あの転校生、読感術使えんかよ!?」
「みたいだな。人を見透かすかのようなあの独特な感覚は間違いない」
「ちょっと待て! 嘘の噂にその反応を読んできたって事は……」
「SDCに何か関係するだろうな、確実に」
俺達の頭の上の遥か高い空を、飛行機が音をたてて飛んでいく。
「とにかく、アイツは何かある。気を付けた方がいいだろうな」
「……だな」
まさか前から俺を見ていたのはSDCの事を探るために……?
だけど、アイツは俺がSDCと関係があるなんて知ってるはずがない。でも、あの視線はおかしい…アイツに何かあるのは確定だ。
下手にこっちから手を出してボロを出したらどうなるか分かんないからな。当分は様子を見るしかないか。
「おい、そのコロッケパン食わねーならもらうぞ?」
「あ? 食うっつの。先輩にやる飯はねぇ」
人が真剣に考えてっときにこの先輩は……。
「ってか自分のがあるだろ!」
「こんだけあんだからいいじゃねぇかよ」
「……先輩、『他人のフリ見て我がフリ直せ』って言葉、知ってる?」
なん先輩とくだらないやり取りをしていると、屋上の扉がガチャリ、とまた開いた。
「んぁ?」
「お?」
扉から出てきたのは、一人の女子生徒。
綺麗で透き通った海を思い出させるような薄碧色のショートヘアで、銀色の羽根付き髪飾りを左右に付けている。
「あれ? あの娘、確か……」
その女生徒をどこかで見た覚えがあり、目が合うとニッコリ笑ってこっちへ歩いてきた。
「こんにちは。昨日は……あ、いや今日かな?」
俺の目の前まで来て笑顔で喋りだした。
「まぁ、とにかく助かりました」
そう言って女生徒はペコリと頭を下げた。綺麗なショートヘアが、動きに応じてサラリと靡く。
「あぁ、やっぱりあの時の」
今の言葉でピン来た。SDCで野郎共から助けてあげた女の子だ。
「はい、本当にありがとうございました」
先輩が肘でわき腹を突いてきた。
「……誰?」
「ん? あぁ、この娘はえっと……」
「あ、私は水無月沙姫って言います」
「だそうだ」
言葉に詰まった所に笑顔で自己紹介をしてきた。
助けた時は暗かったのもあってあまり顔を見てなかったんだけど、こうして見てみると結構可愛い。
「水無月? 水無月、水無月……はて、どっかで聞いたような……」
「先輩、どうかした?」
「いや、なんでもねぇ。それより名前は分かったけど、二人はどういう関係なんだ?」
まぁ、やっぱり気になるよなぁ。いきなり女の子が『助かりました』なんてお礼を言いに来んだもんよ。
「なんつうかなぁ……言っていいの?」
「別にいいですけど、信じますかね?」
「あぁ、それは大丈夫。この人も参加者だから」
「え、そうなんですか!?」
おぉ、意外と驚いてる。
「おい、“も”って事は……」
「そ。えっと、水無月……さんも参加者」
「へぇぇ」
先輩も驚いてんな。まぁ俺も最初は驚いたけどな。きっと……つーか絶対俺と驚いてる理由は同じだろ。
「まさか、女の子も参加してるとは……」
ほらやっぱりな。
「知らなかったんですか? 結構女の子も参加してますよ。あ、あと私は名字で呼ばなくていいです。後輩だし、呼び捨ての方が慣れてますし」
「そうか? なら名前で呼ぶけど。てかやっぱり後輩だったか」
俺の予想通りだった。助けた時にあまり顔を見てなかったけどなんつーか、雰囲気が年下って感じだったからな。
「なんか話がズレてきてっぞ」
「あぁ、悪い悪い。えっとな、話せば長くなんだけど……」
「おう」
「SDCで男数人に襲われてる所を助けた」
「短っ!」
思ってた通りのツッコミが返ってきた。
「あれ? そういえば、なんで俺がここに居るの知ってんだ?」
当たり前のように屋上に来たから今まで気付かなかった。
「あ、それはですね。先輩が屋上に行く所を何度か見かけた事あるんですよ。ほら、一年って教室が三階で、屋上には一年の廊下前の階段使わないと行けないじゃないですか」
一年生は三階で二年生が二階、んで三年生が一階と教室が別れている。
なるほど。しょっちゅう次の授業が面倒臭くて休み時間に屋上に移動してるからな、見られててもおかしくないか。
「でも、俺がいなかったらどうしたんだ?」
ここに来る時もあれば、そりゃ来ない時もある。
「私のクラスって教室から昇降口が見えるんですよ。私の席は窓際で、授業中に外を眺めてたら先輩が遅刻してきたのが見えたんです。それで遅刻してきたから、多分そのまま屋上に行くのかなーって思って」
昇降口が見えるって事はD組かF組あたりか……でも、あれ?
「なんで俺が先輩って分かんの?」
「先輩が昇降口で二年生の所に入っていくの見えましたから」
なるほど。目がいいこって。
キーンコーン……と、昼休み終了の金が鳴った。
「ヤッバぁ、もう予鈴なっちゃった! あ、コレ、お礼です」
そう言って、さっきから気になっていた沙姫が持ってたビニール袋を渡された。
「あぁ、どうも」
ビニール袋を渡すと扉まで軽く走っていき、扉の手前で沙姫はこちらに振り返った。
「先輩の名前ってなんて言うんですかぁー?」
そして、口に手を添えて聞いてきた。
あ、そいやあっちのは聞いたけど俺のは教えてなかったな。
「俺は匕、咲月匕ってんだ。んでこっちが明星先輩」
親指で先輩を指差す。
「咲月先輩と明星先輩、か。わかりましたぁ! それじゃまた!」
最後に沙姫元気に手を振って校舎に戻っていった。
「暑いのに元気だなぁ」
「若いんだよ、俺達より」
地面に置いてたペットボトルの水滴が垂れ、アスファルトが少し濡れていた。
「……なぁ」
「ん?」
「SDCで助けたってのは、本当か?」
地面を濡らしていたペットボトルを手にとって先輩は聞いてきた。
「……あぁ、本当」
「お前なぁ、今回からはあのルールでさらにヤバくなってんだぞ! しかもアレは他の参加者を潰していく……」
「解ってるよ! 解ってる……」
先輩の言葉を、かき消すように叫ぶ。叫んでしまう。
「解ってる、けど……しょうがなかったんだ」
拳を強く握る。幾ら時を重ねてもアレは忘れる事はなく、鮮明に覚えている。
ポンッと、先輩に背中を軽く叩かれ我に返った。
「ま、しょうがなかったんじゃあ、しょうがねェか」
さっきのも俺の事を思って言ったんだって、解る。普通はあのルールであんな事をする奴はいないし、する必要もない。
なのにそんな事をする俺の理由を聞こうとしない。それどころか今のように気を利かせてくれる。
本当、いい人だよ。先輩は。
「ところでさ、その袋の中身なんだ?」
「え? あぁ、今見てみる」
ガサゴソと中を調べてみる。すると中から出てきたのはホカホカと温かく、白くて丸い、良い匂いのするものが入っていた。
「これは……冬になるとよく見かけるヤツだよな?」
「……あぁ、そうだな。冬によく見かけるな」
と言うか、冬以外に見たことがない。
「なぜに中華まん?」
袋の中には中華まんが五、六個入っていた。
「こんなに食えねぇって」
昼飯だってオニギリを一個食べただけで、まだ余っちまってるし。
「なら一つ貰い」
「あっ」
横から手を出されてヒョイっと袋から肉まんを抜き取られた……まぁいいか。
まず一人でコレを全部は絶対に食えないし。家に持って帰ってあとで食えば一人で食えなくはないけど、この暑さだからなぁ。
持って帰るまでに悪くなりそうだ。だったら先輩と分けて食べた方がいいだろ。せっかく貰ったのに残して捨てるのは失礼だし。
「お、結構イケる」
貰った本人より先に食いやがって……結局先輩に昼飯を分けちまったな。今度金欠になったら絶対なにか奢らせよ。
俺も袋から取り出して一口食べてみる。
「あ、ホントだ。結構うめぇ」
今まで冬にしか食べたことがなかったけど……夏に中華まん食うのも結構いいな。中身は肉まんだった。
冬にコタツに入ってアイスを食うと美味しく感じるのと同じ感じなのかね?
「いやしかし……」
「なんだ?」
「暑い所で温かい物を食うと汗かくな」
しかもこの肉まん、ちょいピリ辛だし。
「……だな」
先輩はすでに半分になった肉まんを片手に持って、空いてる手で顔を扇いでる。
七月に入ったとはいえ、今日は一段と暑い。午後から水泳の授業がある生徒は確実に喜ぶな。
なんて考えながらもう一口肉まんを食べる。
「なぁー、先輩?」
「なんだぁ?」
「ずっと思ってたんだけどさぁ……」
右手に持っている肉まんを見つめる。
「コレ、どこで買ったんだろうな」
「あ、それ、俺も思ってた」
飛行機が通った跡にできた飛行機雲がゆっくり形が崩れていくのを眺めて肉まんを噛る。
* * *
「……っぷ、あぁもう食えねぇ」
ごろん、とアスファルトの上に寝転がる。
なんとか肉まんは全部たいらげた。あれからもう一つあげて先輩は二つ、俺は三つ食した。
さすがに自分がコンビニで買ってきたパンやオニギリは食える訳もなく。今日の夕飯になりましたとさ。
「あぁー、苦しくて動けねぇ」
しかし、まさか五個全部が肉まんだとは思わなかった……おかげで二個目まではまだ大丈夫だったけど、三個目に突入したときはさすがに飽きてきましたよ。
まぁ、昼飯が夕飯に回ったから夕飯代がういたからいいけど。
首だけを動かして先輩を見てみると先輩もダウンしている。
半分は暑さで残りの半分はやはり肉まんだろうな。二個目は半強制的にあげた訳だし。
ボーッと空を眺めていると、蝉の鳴き声に混じってプールから声が聞こえる。
声の高さからしてプールで水泳をしているのは女子だな。この暑さの時に授業が水泳なんて天国だろうよ。
「あー、あつ……」
風はそれなりに吹いているけど体温が上がっている今じゃ物足りなさを感じる。
「よっ、と」
上半身を起こして先輩は制服の襟を掴んでバサバサと服の中へ風を送る。
「おし、なんぼか引いてきた」
先輩は俺が三個目と対決していた時からダウンしてたからな、回復するのは先輩の方が早いさ。
「なぁ、お前……明日暇か? 休みだから駅前に行って服でも買いに行こうと思ってよ」
「あぁ悪い。明日は用事あるわ」
「んだよ、用事ってなんだよ?」
先輩は首をガクッと落として横目で俺を見ながら聞いてきた。
「ん? デート」
「な、お前彼女いたのかよ!?」
俺からから出てきた予想外の言葉に、先輩は驚いている。
「……あぁ、いたよ」
いた、か……。
仰向きで眺める空。青く澄み渡った綺麗な空は、とても遠い。
「全然そんな素振り見せねぇからいねぇと思ってたのに……」
「残念でした、っと」
俺も起きて鞄に食べなかった昼飯を入れて立ち上がる。
「なんだ? 授業に出んのか?」
「いや、帰える。今日バイトだし、汗かいたら一回家帰ってシャワー浴びるわ」
「あぁそうか、わかった。んじゃな」
「おう」
そう言って屋上の扉から校舎に入って、俺は先輩と別れた。
* * *
7/2
今日は朝早くから電車に乗って移動している。目的地は『待ち合わせ場所』。
程良い揺れを感じながら窓から景色を眺める。土曜で休みの日なのに俺が乗ってる車両には他に座っている人はいない。
初めは新幹線で一時間。そして途中で電車に乗り換えて、さらに大体一時間程乗っている。
流れ行く外の景色が、段々と見覚えのあるものに変わっていく。
「また一年、経っちまったなぁ」
目を瞑って呟く。
『次は御花緒市ー、御花緒市ー。お降りの際は忘れ物の……』
閉じてた目を開け、流れる速度が遅くなっていく景色を見て立ち上がる。
電車が駅に止まり、プシューッと空気が抜けるような音をさせてドアが開いた。
立派でもなければ古くさくもない。必要最低限の設備が整っている駅の中を通って外に出る。
懐かしい町並みと懐かしい空気を感じたら、どこか心が緩む。
「やっぱり……ずっと住んでた所に帰ってくると、どこか安心するな」
一年ぶりに故郷に帰ってきた。
この町はこれといって目立つ物はないけど、コンビニだってあるし、多少離れているけどデパートだってある。
他に本屋やレンタルショップと、それなりに揃っている。
でも、都会の人から見ると何もないと感じるかもしれない。
かく言う俺も、住んでいた当時は自分もこの町に物足りなさを感じていた。
それは当たり前になっているこの町ではなく、『当たり前』に飽きていたんだと思う。でも、その『当たり前』は嫌いじゃなかった。
その『当たり前』を当たり前のように過ごして、『当たり前』の中を当たり前のように隣にいてくれたアイツと同じ時を生きていた。
感傷に浸りながら町を歩き始める。待ち合わせ場所』には歩いて四十分程。
朝早く家を出たとはいえ、あれだけ移動時間がかかればもう朝と言うより昼と言った方が近い。
歩いていると子供が元気に横断歩道を走って渡っていく。そんな風景を横目で見ながら黙々と歩く。
歩いて四十分は少し遠いような気もするが、久しぶりの町を見ながら歩くのなら丁度良い。
立花町に比べるとこっちはいくらか涼しかったりする。暑いのは変わらないが、向こうより耐えられる。
まぁそうだろう。俺の地元は大まかに区切れば北部に入る。冬になれば雪だってちゃんと降って、積もるのも珍しくない。
軽く思いふけって歩いて、目的地に近づいていく。
商店街や住宅街から段々と離れ、人気が少ない道に入る。進んでいくと長く、石畳でできていて古くともしっかりとした階段が見えてきた。
一度階段の前で足を止める。
「……」
階段の頂点を見上げると風がそよぎ、髪を撫でる。
ここまで歩いてきて少し体が熱くなっていて、この風はとても心地よかった。
ジャリ……。
階段の一段目を踏みしめる。長い石畳の階段を一段一段、上っていく。一定のスピードで、静かに。
そして頂上にある門をくぐり、奥に入っていく。『待ち合わせ場所』はもう、すぐ近く。
階段を上って乱れた呼吸を調えながら歩く。
一歩一歩近付き、『待ち合わせ場所』が見えてきた。数えきれない程ある黒く四角い石の中を進んでいく。
一度深く呼吸をして息を整え、『待ち合わせ場所』の前に立つ。目の前には数多くある黒い石の中の一つ。
その黒い石に刻まれている字――。
「よう、久しぶりだな」
嗄上家之墓。
「――――凛」
サアァァァァ……。
肌をなでるように、柔らかな風が吹いた。
「一年ぶり、か」
そう呟き、持っていた朝顔の花を墓前に添える。
「お前、好きだったろ? 今年も来る途中に取ってきたんだ。ほら、あの公園の横の草っ原ン所でさ」
返事などある訳もなく、ただ一人で黒い石に語りかける。
「…………」
声が無くなると、ここには風がそよぐ音と草木が擦れ合う音しか聴こえなくなる。
「なぁ、凛。知ってるか? 朝顔の花言葉……『約束』、なんだってさ」
添えた薄紫色の朝顔を見つめて話す。風に撫でられ、花弁が微かに揺れる。
「ごめん、なぁ……俺があの時、約束を守らなかったから、お前は……」
顔を俯かせて喋る声は、微かに震える。
後悔、憤怒、悲哀、懐古。様々な感情が混ざる。
色々思い出して泣きそうになるのを、堪える。雨は、嫌いだから。
「……!」
コツ、と後ろから足音が聞こえ、顔を上げて音のした方を振り向く。
「……咲月さん?」
そこにいたのはショートカットの橙色の髪をした、まだ幼さが少し残る女の子。背は低く、俺の肩より少し高い位。
目が合い、少し経ってからとある一人と面影が重なった。
「霞、ちゃん?」
「久しぶり……ですね」
霞ちゃんは俺を見て微笑む。
しかし、その笑顔は今にも泣きそうな弱々しいものだった。
「三年振り、ぐらいかな?」
「そう、ですね」
そう言いながら少女は持ってきた花を墓前に添える。
彼女の名前は嗄上霞。名前の通り今はいない、凛の妹。
こうして会うのはさっき言った通り約三年ぶり。
三年前の……凛が亡くなって、『形だけ』の葬式に会って以来、俺は人との接触を極端に避けていた。
「あれ? 確か去年も……この朝顔、咲月さんが添えたんですか?」
「あぁ」
霞ちゃんはしゃがんで墓前に添えてある朝顔を見ている。
「じゃあ、去年も来てくれてたんですね」
「……あぁ」
昔と比べて大きくなった霞ちゃんの後ろ姿を見て小さく答える。
「去年も来てくれたなら、なんで……顔ぐらい見せてくれたって……」
振り向くことなく話す霞ちゃんの背中は少し震えていたようにも見えた。
「……会わす顔が、なかった」
いや、違うな。それは嘘だ。
霞ちゃんを納得させる為の嘘ではなく、自分を誤魔化し、偽る為の……嘘。
今までそれを理由にして、俺は逃げていた。
「正直に言えば……俺は怖かったんだと思う」
そして、現実から目を逸らしていた。
「俺がアイツを、凛をあんなにしてしまった事を……責められる事が」
「――ッ! そんな事ない、咲月さんは悪くない! 悪いのは! 悪いのは、お姉ちゃんを殺した人……でしょ?」
立ち上がると同時に振り向いた顔は、少し涙ぐんでいる。
「それに、あの時のあんな咲月さんを見たら……誰も責める訳、ない……じゃない……!」
あの時……そう、凛が死んで、その現実を受け止める事ができない自分だった……あの頃あの時。
あの頃の俺は死んでいるのと変わらなかった。死人との違いはただ、息をしている。それだけ。
あとは死人と変わらない。動く事もなく、喋る事もない。ただ死にながら生きているだけ。
「でもこうして、墓の前にいれるのは……今更とは思うけど、アイツの死に向き合えるようになったんだと思うよ」
「……お姉ちゃん、喜んでると思います。あの時の咲月さんのままだったら……お姉ちゃんが自分を責めていたと思いますから」
そう言って霞は、もう一度墓を見つめる。
「こうやって年に一度、花を添えてやる事が……今の俺が凛にしてやれる事の数少ない中の一つだから」
俺も墓を見ると、霞ちゃんが焚いた線香の香りがしてきた。
「それでも……何もしないより、してくれた方が嬉しいです」
「……だけど、これは偽善だよ。こんな事をして凛が帰ってくる事もないし、俺がしてしまった事も消える訳じゃない」
「悲しいですね。そうして自分で自分を責めて……」
「そうやって罪を感じて自分を戒めて、罪を償おうとする事で無理矢理生きる意義を得ているつもりでいる……」
いつも首に架けているネックレスの水晶を手の平に乗せて見つめる。
「そんな小さい人間なんだよ、俺は……」
見つめた水晶は太陽の光が反射して、少し眩しかった。
「……」
霞ちゃんは背中を向けたまま何も言わない。
間に、少しの沈黙が流れる。風で周りの木々が擦れる音と、線香の香り。
「そういえば言ってなかったよね。今俺は……」
「知ってます。関東の高校に通ってるんですよね? おばさんから聞きました」
「そう、か、じゃあ俺は戻るよ」
「もう、ですか?」
霞ちゃんは再び振り向く。
「おじさん達も来ているんだろ?」
「はい。今は住職さんに挨拶しに行ってます」
「凛の死に向き合えるようになって、墓参りに来れるようになっても……おじさん達に会う覚悟もしてきたけど、会わないで済むならそれが一番いい」
そう言い訳して、俺はまた逃げている。
「おばさんには会っていかないんですか……?」
「母さんには会わないで戻るよ。それに、親父には勘当されてるから。帰ったら殴られちまう」
ハハッと、作って見せる笑顔。
「……そうですか」
本当は会って元気な顔を見せて行きたい。
だけど、あれだけ親父と言い合いになって反抗して出ていったのに、今帰って親父とやり合いになったら母さんが止めに入ったりするだろうし、例えやり合いにならなかったとしても親父に俺を許すようにと、気を使わせるかもしれない。
「じゃあ……来年もまた、来るよ」
「はい。お元気で、咲月さん」
来年も来る、か。凛の死に向かい合えても、受け入れようとしない自分もいる。
そして今、本当かどうか分からない噂を信じて願いを叶えようとしている。願いを叶える事が出来たら……もうここに来る必要はない。
だけど、叶える事ができずに……まだ生きていたら、俺はまた生きた死人になるんだろうか。でも、今はあの噂にすがるしかない。
「……またな、凛」
そう言って寺を出て、俺は一年ぶりの故郷をあとにした。