No.46 欠けた月 肆
◇ ◇ ◇
「白羽さん! なんであんな事を!」
「うん?」
「このまま放っておいたら、あいつは……!」
匕の部屋から離れ、広間前の廊下。
給湯室に行こうとする白羽を引き止め、エドは大声で問うていた。
「随分と咲月君に入れ込むね、エド」
「俺はあいつが被害者面してイジけてるのが腹立つだけです。自分は悪くないと言うように、周りに当たり散らして……!」
握り拳を作り、眉を逆八の字にするエド。
「彼は誰よりも罪悪感と責任感を感じている。でなければ、今のような状態になっていないよ。前にも同じ事があった分、傷は大きいだろうけどね」
「それは、解ります。けど……!」
「エドの言いたい事も解る。自分が認めた男の惨めな姿を見たくないものだからね」
「……そういう訳ではないですよ」
答えながら目を逸らすエド。それを見て、白羽はくすりと小さく笑う。
「大丈夫だ」
「え……?」
「咲月君は言ったろう? 休みたいと」
「……はい」
「なら大丈夫さ。諦めや絶望の言葉ではなく、ただ彼は“休みたい”と言った」
白羽は含み笑いを浮かべ、足を動かす。向かう先は給湯室だろう。
「“休む”というのは、次に備え英気を養う事を言うのだからね」
◇ ◇ ◇
静か。さっきまでの騒がしさは消え、誰も居なくなった。
久々に大声を上げ、身体を動かした。それも、本気の殴り合い。
まだ殴られた所が痛む。特に左頬。何度も殴られ、見事に腫れている。
ドッと疲れた。本当に、疲れた。これで休める。白羽さんはもう邪魔しないと言って出ていった。
もう誰も来ない。もう邪魔されない。ようやっと休める。
今までずっと頑張って来た。S.D.C.に参加して、願いを望み、人と出会い。色々あって、様々やって、散々走って。
もういい加減、疲れた。いい加減休んでいいだろう。
結局、俺が何をしても変わらない。昔から何一つ変わらない……変えられない俺が、何かを変える事なんて出来やしない。
変わったつもりでいた俺がいい気になって出た結果が、モユの死。凛と同じように、俺が間に合わず死なせてしまった。
凛を生き返らせたいと、今まで生きてきた。同じ思いを二度としたくないと、繰り返したくないと思っていたのに。
俺は繰り返し、救えず助けれず。そして、死なせてしまった。
全て無駄だった二年間。凛を殺してしまったあの日から、二年間。俺は無駄にただ生きていただけだった。
凛の死から反省した事も、後悔した事も、願望んだ事も。何も活かせず、モユも生かせず。なのに自分だけ生きている。
何も出来ない。何も変えられない。誰も、救えない。助けられない。それが疲れた。だから疲れた。もう、疲れた。
変わらない自分に。救えない現実に。助けられなかった事実に。全部が、何もかもが、成す事全てが。だから、休もう。
目を閉じて、横になって。何も考えず何もせず。このまま眠って目を覚まさなければ楽なんだろうと。
周りを否定して、一人だけになって。目も耳も口も心も塞いでしまえば。
諦められる。捨てられる。自分が今まで夢見た願望みを、生き続けた理由を。見て聞いて知って感じて出会って行ってきた事、全て。
願いを諦め、望みを捨て、思いから別れ、楽になれる。
だから、このまま目を。心を閉ざして、ずっと眠ってしまおう。
二度と目が覚めないよう、休もう――――。
そう、思っているのに。ずっとそうしようとしているのに。モユを助けれなくて、同じ事を繰り返して、嫌な筈なのに、疲れ果てて眠ってしまいたいのに。
ずっとずっと、いい加減休もうとしているのに……!
「なんで、捨てられない……!」
首に付けている形見の水晶を、テーブルの黒いリボンを、二人の思い出を。
「なんで、なんで……」
強く握っていた拳を開き、手の平に落ちたのは。
――大嫌いな、涙。一粒、二粒、三粒。ポロポロと零れ落ちてくる。
「俺はまた、泣いてるんだ……」
涙なんて既に枯れ果てたと思っていたのに。哀しむ心も、閉ざした筈なのに。
「俺はまだ、泣けるのか……?」
どれも諦め、全て捨てて、何もかも嫌になったのに。先輩も後輩も知人も形見も願望も後悔も思い出も心も。
全部、全部全部全部、全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部。
諦め捨てて、目を背け逃げて、生きるのが嫌になった。
――――そう、思っていたのに。
「なんでこんなに哀しい……! なんでこんなに悔しい……! なんでこんなに、また二人に会いたいんだよ……!」
涙が止まらない。感情が溢れるのが、止まらない。
『じゃあ今から友達、だね!』
『私は雨、好きだな』
形見。彼女だった人と過ごした大切な記憶。
『……アイス』
『……私は、雨が好き』
証。人を願った小さな少女が確かに存在した、大事な思い出。
二人に会いたい。二人に、謝りたい。
凛の笑った顔を見たい。一緒に居たい。また話をしたい。モユの頭を撫でてやりたい。手を繋いであげて、またアイスを食べさせてやりたい。
本当は思った。SDCで願おうと、モユを生き返らせようと。でも、怖かった。また願いを望んで、また誰かを失うのが。居なくなるのが。
自分の無力さを認めるのが嫌だった。あんな辛い思いを繰り返すのが、恐ろしかった。
なのに、なのになのになのになのになのになのに。
怖くて、恐ろしくて、嫌で、諦めて、逃げて、捨てて、生きたくなくなって、望みを絶って絶望したってのに。
まだ願う自分がいる。まだ望む自分がいる。まだ生きたいと思う自分がいる。生き返らせたい人が、いる。
『咲月君、もし目的地を目指す坂道の途中で、前から巨大な岩が転がってきたら、君はどうする?』
白羽さんが言った言葉。
『後ろに走って逃げるかい? それとも、前に向かって立ち向かうかい?』
さっき言われた、言葉。
『前か後ろか。進むか退くか。立ち向かうか逃げるか。解るかい? 人が歩む答えはね、二者択一なんかじゃない』
諦め恐れ、怖がり捨てて、生きるのから逃げて。
望みを絶った絶望の中で、今も希望を持って願望みを願う自分が居る事に、気付く。
哀しい。淋しい。悔しい。
「っは、ははっ……! 情けねぇなぁ、本当に情けねぇよ、俺」
笑った。笑いが出た。数日振りなのに、何年何十年もの間笑っていなかったような。
それ程久々に笑った気がした。
目頭が熱い。涙が熱い。手の平に落ちた涙が、熱かった。
「何も救えない。誰も守れない。あぁ、そうだよ! 俺は弱い! 俺は情けない!」
夢で言われた。
テイルにお前はそのまま、何もしないで不貞腐れたまま死んでしまえと。
コウに他人も自分も、誰一人何一つ、助けれやしない。守れる訳ないと。
「一人でイジて、人に八つ当たりして……嫌な事から逃げて、辛い事から目を背けていたのは俺の方だった……!」
吐き出す。沙姫に言ってしまった八つ当たりの言葉でも、自分を正当化する為の言葉でもなく。
本当に心からの、心の奥底に塞ぎ、逃げていた本音。
「認めたくなかったんだ、モユが死んだのを。受け入れたくなかったんだ、同じ過ちを犯し、変わっていなかった俺を!」
止まらない涙が、何粒も落ちる。
開いた手の平。この手では守れず、救えず。
「変えられなかった、自分自身を……」
握る手には何も無く。かつて握った彼女の手も、よく繋いだ少女の小さな手も。
色も形も感触も姿も、無い。
『共に歩いた道の中で託された物、交わした事を……どうするかは、選ぶのも決めるのも自分でしか出来ない。託され、交わした本人でしかね』
白羽さんに言われた言葉が、頭に浮かぶ。
「託された物、交わした事……」
ゆっくり目を開いて、見る。
『匕、今度の休みの日――――』
首に掛けている水晶のペンダントを。
『……匕は――――』
テーブルに置かれた黒いリボンを。
懐かしい声。つい数日前まで一緒に居た声。二人の声。
「交わした、約束……」
約束した事を、思い出す。
遊園地の帰り。暗い夜道の中、少女をおぶったあの日。
『……匕は願い、叶えてね』
人に憧れ、人を求め、人になりたかった少女と、交わした約束。
その時には身体はボロボロで、目も殆んど見えていなくて。自分がもう長くない事を知っていて、短い命でずっと身体と戦っていた。
その少女と交わした最初で最後の――――約束。
「……そうだ、そうだったな。モユ」
テーブルの黒いリボンへと視線をやり、居なくなってしまった少女の名前を呼ぶ。
三年前と同じ過ちを繰り返してしまった。三年前と同じように、大切な人を失ってしまった。三年前から俺は何も変わっていなかった。
――――けど。
「本当に三年前と、変わらないままになるところだった」
三年前と同じく部屋に引きこもり、周りを拒絶して、生きたまま死んでいる。
それをそのまま、三年前のまま全く同じになるところだった。
「沙姫に八つ当たり、沙夜先輩にはビンタされて。情けない姿を皆に見せちまったけど……」
手を握る。手の平に落ちていた涙ごと強く強く、握り締める。
捨ててしまいそうになったモノを無くすまいと。諦めそうになったモノを離すまいと。
「約束を守ろうともしない方が情けないもんな……!」
止めどなく流れる涙を、両の手の平で擦るように拭う。もう涙は流さない。次に流すのは、喜び嬉しい時だと誓う。
もう挫けない。本当に同じ事を繰り返さないように。
もう逃げない。嫌な現実から直視して、辛い事実を受け止める。
もう、捨てない。思想いも願望いも――――思い出も、形見も。
ベッドから立ち上がる。不思議と、さっきまでより身体が軽くなった気がした。
手に握る、黒いリボン。人を夢見て、人を願った少女が生きた証。確かに存在し共に生きた思い出。唯一の、形として残った物。
「……モユ」
持ち主だった少女の名前を呼んで。二度と諦めないと。もう捨てはしないと。
「お前との約束。そして、願い……必ず守るよ」
その形見に――――誓う。
沙姫に八つ当たりをして、沙夜先輩には叱咤された。
エドに拳で目を覚まさせられ、白羽さんには繰り返し犯してしまいそうだった道を正すよう諭された。
十分。あぁ、十分だ。十分過ぎる程休んだ。弱音を吐いた。情けない姿も見せた。心に溜まっていた物も吐き出した。
人の厚意を無駄にして、八つ当たりして、ビンタされブン殴られ。酷い事を言って、イジけて、不貞腐れて、諦め捨てて、逃げそうになって。
弱い所を見せた。情けない姿を晒した。最低な事をしてしまった。けど、いいじゃないか、最低で。最低くらいが、俺には調度良い。
最低って事は、もう下がる事が無い。最も低い所にいるから最低なんだから。
なら、あとはもう上がるしかない。ただひたすら、目標まで、目的まで、願望いまで。真っ直ぐ上がるしか、ないじゃないか。
右手は首に掛けてある水晶を。左手は黒いリボンを。
力強く、願望いを二度と諦めないと、捨てないと。そして、忘れないと。二人の形見。二人の思い出。二人の証。
水晶から手を離し、リボンはズボンのポケットに入れ。
「うっし!」
力の限り両手で顔を叩き、気合いを入れる。バチン、という景気の良い音と一緒に来る痛み。
「っ痛ぇ……」
が、左頬に予想以上の痛みが走り、左手で押さえる。
エドに左頬を何度も殴られ腫れていたのを忘れていた。
「やるべき事、やらなきゃいけない事……沢山あるからな」
左頬を擦りながら呟く。
随分休んでしまった。気も遣わせてしまったし、迷惑も掛けた。
やる事、話す事、色々ある。
「でも何より、先にしなきゃいけない事は……決まってるか」
部屋の隅。床に落ち、茶色い紙袋から転がり、形が崩れた肉まん。拾うと、既に冷たくなっていた。思えば、酷い事をして酷い事を言ってしまった。
辛かったとは言え、八つ当たりまでした自分に自己嫌悪してしまう。自身を嫌って悪と認めても。やってしまった事は消えないし、許されない。
許されるには許される為の行動が必要だ。
「許してくれるかどうかは別だけど……」
それだけ、酷い事を言った。あの沙夜先輩に怒られてビンタされる位だ。
ビンタされた左頬を擦ると、ビリッと小さな痛みが走る。
まぁ、これだけ頬が腫れたのは沙夜先輩じゃなく、エドのせいだが。
床に零れ落ちた肉まんを拾い、紙袋の中へ戻していく。
「……よし!」
床を見て、肉まんを全部拾ったのを確認する。
そして、形が崩れ冷めてしまった数ある肉まんの一つを手にして。
口を大きく開け、かぶり付く。




