No.45 欠けた月 参
* * *
「――――ッ!」
目を、開ける。息が荒く、身体中に酷く汗をかいている。暗い部屋。空調が動く小さな音だけが聞こえる。
目が覚めて、自分以外に誰も居ない事を、赤茶い眼髪をした少女が起こしに来ない事を知って、何度目か解らない虚無感に襲われる。。
ベッドから上半身を起こすと、身体の節々が痛んだ。長時間、何度も眠っていたからか。身体が固くなっていた。
壁に寄り掛かり、頭はだらりと落とす。
嫌な夢を視た。嫌な嫌な夢。大切だった人が、大事だった人が。斬られ、倒れ、血に濡れ、赤にまみれる。
俺が犯した罪から逃げられないと。過ちは無くならないと。
『そして、今後は――――』
首を擦る。傷も手形も無い。当たり前か、あれは夢だったんだ。
『俺を見殺すのか、咲月』
あの先輩が、俺を憎そうに、恨めしそうに睨んでいた。何もかも疲れて、全部諦めた俺を。見捨て、見殺すのかと。
俺をじっと、悲恨の目で見ていた。
「俺に、どうしろって……まだ戦えってのか」
眉を中央に寄せ、歯を噛み締める。目を細めると、視界も狭まる。
俺は先輩も助けようと思った。救おうとした。けど俺は、凛を死なせてしまったあの日から何も変わっていなかった。
変わっていなかったから、変えられなかったから……同じ事を繰り返し、モユまで死なせてしまった。
そんな俺が、先輩を助けられる訳がない。どうせまた救えず、助けれず、死なせてしまう。結局俺はいつも救えない。誰も助けれない。何も守れない。
「全部……無意味なんだよ」
俺がする事全て、やる事全部。無駄で無意味。
何も出来ず誰も守れなかった頃から、何も変わってないんだから。何をやっても意味を成さないなら、行く先が挫折と絶望ならば。
「もう、このまま……休もう」
ゆっくり、目を閉じる。暗い視界が更に暗く。黒かった色が更に黒く。暗闇だけがそこにある。
あいつが……モユが嫌いだった暗闇。一人で眠る事すら出来なかった、暗闇い場所。
こんな所に居るから、夢にすらモユは出てきてくれないんだろうか……。
もう一度会いたいと思う。話がしたいと願う。思えば思う程、願えば願う程。哀しみが込み上げてくる。
哀しさと、やるせなさと、怒りが。
けど、だからどうなる訳でもない。何も出来ない俺が何を思い何を願おうとも、何も変わらないんだから。
全てが疲れた。だから、本当にもう、休もう――――。
「咲月せーんぱい!」
バンッ、と。勢い良く開かれる部屋のドア。外界から入り込む光に、眩しく一度目を瞑る。
少しずつ目を開くと、ドアを開けたのは沙姫だった。
「今日も来ちゃいましたー!」
こちらの反応など気にせず、沙姫はズカズカと部屋に入ってきた。
「あーぁ、またご飯残してますねぇ……」
はぁー、と深い溜め息を吐きながら、沙姫は肩を落とす。
来るなと行っても相変わらず毎日ここに来る。うざったくてしょうがない。
「……作られても邪魔なだけだって言っただろ」
頭を項垂らせたまま、沙姫の顔すら見ずに返す。
今日は沙夜先輩は居なく、沙姫一人だけ。いつもの元気なその声が、今は癪に障り腹が立つ。
「そう言われたので、今日は作ったんじゃなくて買ってきました。じゃーん! 見てください、秘密の穴場で売ってる私が超オススメする肉まんです!」
右手に持っていた茶色い紙袋を、こっちに差し出してきた。
笑顔で、いつも通りの様子で。あんな事があったのに、モユが死んだっていうのに。沙姫は何事も無かったように笑っている。
「凄い美味しいんですよ、前にあげたのと違って中の具が……」
「……いらない」
「もう、ダメですよ、咲月先輩。いい加減に何か食べないと体を壊しますよ」
「いらない」
「食べるなら美味しい物が良いと思ってせっかく買って来たんですから、食べてくださいよ」
「……」
「それに普通のよりも少し値段が高いんですよ。一度食べたら病み付きになるくらい美味しいんですから!」
「……」
毎日毎日、こうしてやってきては休むのを邪魔して、話すのも面倒になり、無視する。
もう一々、相手にするも腹を立てるのも、面倒だ。どうでもいい。
「……咲月先輩、お願いです。食べてください」
「……」
全て、全部、何もかも。無視して無関係。俺は何も感じない。関しない。
「辛いのは分かります。哀しいのも分かります。けど、今の咲月先輩を見たら、きっとモユちゃんも哀しみます。何か食べて、暗い部屋から出て、元気になってください」
面倒で、疲れて、無視しようとしたのに。
「見てください、ほら! 私なんてこんなに元気ですよ!」
沙姫の言葉が俺の癇に障り、何かが切れた。
「……だ」
ぶっきらに、乱暴に。まるで無理矢理奪うように。沙姫が差し出していた肉まんが入った袋を取る。
「食べてくれるんですか!? 沢山買ってきましたから好きなだけ――――」
「……にが元気だ。何が……」
「え? なんですか?」
肉まんの袋を俺が受け取り、喜ぶ沙姫は笑顔――――だった。
「何が私は元気だ! 何がモユが哀しむだ!」
俺が思い切り、肉まんの袋を壁に投げつけるまでは。
「え……?」
予想もしなかったであろう俺の行動に、沙姫は笑顔から一転。無表情になって固まる。
「辛いのは分かる? 哀しいのも分かる? お前に俺の何が分かるってんだよ!? 俺がどんな思いをしてきたのか! どれ程悔やみ生き続けていたか!」
叫んだ。久々に大声で叫び、そして怒りをぶつける。
「知りもしないのに好き勝手な事言ってよ!」
「す、すみません、私そんなつもりじゃ……」
「いつもへらへら笑って、人の辛み痛みなんか知らずに楽しい事だけして生きて! 嫌な事はすぐ忘れて都合良く生きてるお前に!」
開いた袋の口から出て、床に転がる数個の肉まん。形は崩れ、中身が溢れているものもある。
「モユが死んだ事も、自分が辛くないように忘れたか!? そうだよな、じゃなきゃ人が死んだってのにそんな無神経に笑ってられないよなぁ!?」
「ッ!?」
「お前は都合の良い時だけ会って、都合の良い時だけ遊んで、都合の良い時だけ相手して! 俺はずっと一緒に居たんだ、ずっと!」
背中を寄り掛けていた壁を、握り拳で叩く。強く、手加減無く、力一杯。
「お前にとってモユは、都合の良い遊び相手でしかなかったんだからな。そりゃあ割り切るのは簡単だよな! 哀しみも少ないもんなぁ!」
「――――、っく!」
沙姫は口元に右手の甲を当て、逃げるように部屋から出ていった。
自分以外、誰も居なくなった部屋。沙姫が出ていったドアを一度見てから、また頭を項垂らせる。
そして、溜め息を一つ。言いたかった事を、溜まっていた事を、全て吐き出したのに。
何故かすっきりしない。むしろ、胸の奥に引っ掛かりを感じ、さらに苛立つ。
まぁ、いい。これで五月蝿い奴は居なくなった。これでまた一人だけに戻った。
……と、そう思った時だった。
「咲月君」
また、望んでもいないのに人が来た。見なくても声で誰か分かる。
いや、さっきまで沙姫が居た。なら次は誰がくるかなんて考えなくても答えが出る。
目を向けると、居たのはやはり沙夜先輩だった。
「私も人として、咲月君が今どんな気持ちが理解しているわ。どんなに辛いのかも」
部屋の入り口から、話ながら早歩きでこっちに近付いて来る。
「でもここから先は、人としてではなくて、姉として言わせてもらうわ」
言って、沙夜先輩は。
――――パンッ!
「あなた、最低よ」
大振りで俺の頬を、叩いた。
思いもよらない沙夜先輩の行動、出来事に。何をされたのか分からず、数秒の間固まってしまう。
ジンジンと遅れてくる頬の痛みが、自分がされた事を気付かせる。
「あなたこそ、沙姫の何が分かるのよ」
眉を釣り上げ怒った表情で。目頭に涙を溜め、震えた声で沙夜先輩は言った。
言って、そう言って。駆け足で部屋から出ていった。
まだ痛む頬を、手で押さえながら倒された体を起こす。
意外だった。いきなりビンタをされたのもそうだが、沙夜先輩が怒ったのが。何度か沙姫とのやり取りで怒ってる所を見た事はある。けど、今のは違った。
姉妹喧嘩のような戯れ合いに近いものではなく、本気の怒り。
それも、俺の頬をビンタをした。普段は温厚で優しい沙夜先輩がだ。
「……くそっ」
舌打ちして、悪態をつく。
一層、胸の奥に引っ掛かっている何かが大きくなり苛立つ。
苛立って、腹立って、嫌な感じが胸の中でぐるぐる混ざって回る。
「少しは目、覚めたか?」
千にも万にも程遠いが、めでたくも有り難くもない千客万来とはこの事か。今日は本当に、望まない奴等が部屋に来る。
苛立ってる時に、さらに煽る口調で話し掛けてきたのは、エドだった。
「悪いが、立ち聞きさせてもらった」
返事はせず、出ていけとと言うようにエドを睨む。
「沙姫ちゃんも堪んないよな。こんな不貞腐れた奴を気遣ってやってるのに、毎回八つ当たりされちゃ」
「――ッ!」
エドの言葉で、あの夢を思い出す。
『出来る事すらやろうとしねェで不貞腐れて、イジケてりゃぁなァ!』
『はん、しまいにゃ自分を正当化して言い訳かいな。さらにイジケて周りに八つ当たり。気ぃ遣うてくれとる周りもいい迷惑やで、ほんま』
夢で言われた言葉。俺を笑い、そして呆れ、馬鹿にするように。
テイルとコウが言った。
「……俺が不貞腐れて八つ当たりして、迷惑だと?」
「誰がどう見てもそうだろ。自覚がなかったってなら、いい笑い話だ」
「迷惑なのはこっちだ! いつもいつも! 毎日毎日! 人の気持ちも知らないで、俺の思いも考えないで!」
苛立ちが、腹立たしさが抑えられない。頭で考えるよりも早く、口から言葉が出てくる。
苛立ちと腹立たしさを発散しようと、吐き出そうと。
「俺の何も知らないで! どんなに辛いのか知りもしないで! 沙夜先輩も沙姫も自分勝手に好き勝手言ってよ!」
「……匕」
「モユが死んだのに! いつも通りと変わらずに過ごして、平気で笑ってやがる! そんな奴等に何が解るってんだ、俺の――」
――――ゴッ。
鈍く、重い音が耳に。そして、頭に響く。同時に、ベッドに叩きつけられるように倒れた。
先程、沙夜先輩にビンタされたのと同じ箇所。左頬が酷く痛む。
ビンタとは比にならない程、ズキズキと。
「姉の方から一発もらっても、まだ足んなかったようだな!」
エドに殴られたと知ったのは、この言葉を聞いた時だった。息を荒げ、肩を上下させる。
身体を起こして口元に手を当てると、唇から血が出ていた。殴られて口を切ったらしい。
「イジけて八つ当たり。その程度の奴だったか、お前は」
「イジけて八つ当たり……? その程度……あぁ、そうだよ。大事な人が死んで、大切な人が居なくなって! 哀しむ事すらしない奴になるくらいなら! 俺はそれでいい!」
「何がそれでいいだ。お前はモユちゃんの死を理由に逃げているだけだろ、現実から! 助けられなかった事実から!」
「ッ!?」
「今のお前は被害者面して、嫌な事があって構ってオーラを出している子供と変わらないんだよ!」
「エェェドォォォォッ!!」
ベッドから飛び降り、掴むはエドの胸ぐら。そして、お返しと言わんばかりに殴る。エドの顔を、左頬を。
手加減など無く、本気の一撃。
…………だが。
「力が入ってないんじゃないか?」
エドは軽くよろけるだけで、平然と立っていた。
そして、胸ぐらを掴んでいた俺の左手首を握り。
「そうだよな。せっかく作ってくれた料理を無駄にして、食べ物を買ってきてくれた厚意を無下にして……何も食ってなきゃあ、な!」
「ぐっ!」
また、鈍い音。衝撃に耐えられずに床に倒れた。
それ程強いパンチではなかった。さっきは右手だったが、今のは利き腕ではない左手。
むしろ、威力が劣るのは当然だというのに。俺は簡単に倒れてしまった。
さっきは怒りが強く、何も考えず感情のままにエドに殴り掛かったが、今になって自分の状態を知る。
身体は動かせる。だが、動かせるだけ。必要最低限の動作が出来る。それだけ。
ベッドに掴まり、立ち上がろうとするが、上手く力が入らない。
エドに言われた通り、ここ数日ろくに食事を摂っていない。加えて、身体を動かさずにずっとベッドの上で過ごしていた。
それじゃ、力も入らず身体を思うように動かせないのも当然か。
でも、それでも。
「あぁぁぁぁぁぁ!!」
拳を固く握り、それをエドに向ける。
人を、頬を殴る感触。物とは違う、肉の柔らかさと骨の硬さがある、生々しい感触。
「くっ……! いつまでイジけてるつもりだ、お前は!」
「がっ! づ、ぁ、五月蝿ぇ!」
「ッ、つ! お前だけが、自分だけが辛いとか思いやがって!」
「づぁ……! また助けられなかった事が、また失う気持ちが解るか!」
殴り合い、飛び交う拳での応戦。殴っては殴られ、殴られては殴って。
頬は腫れて紫色の痣ができ、唇は切れて血が出る。
「てめぇにぃぃぃぃ!!」
「匕ぃぃぃぃぃ!!」
互いに大きく腕を振り被り、思い切り振るう。ぶっ倒れても、手の骨が折れても構わない。
今は目の前に居る奴をブン殴る。でなければ苛立ちが収まらない。気が済まない。
二人の腕が交差して、互いの顔を目掛け、そして――――。
「そこまでだ、二人共」
腕を止められた。黒ずくめの服装の男性に。
白羽さんは手首をがっしりと掴んで俺とエドを交互に見、腕から力が抜けたのを確認してから手を離す。
「スキンシップ……にしては、些かやり過ぎだね」
「白羽さん……」
「……ちっ」
エドは大人しくなり、俺は舌打ちして目を逸らす。
「咲月君、会うのは数日ぶりか」
「……俺はもう、誰とも会いたくなかったよ」
ベッドに座り、手で唇の血を拭う。
左頬は腫れて熱を持ち、触れたら更に痛みが走った。
「そうか。だが、大声を出して殴り合う位の元気は出たようだ」
微笑み、白羽さんは言う。
「……何しに来た」
「うん、給湯室にコーヒーを淹れに行こうと思った所、咲月君の部屋から大声がして気になって来たんだが……」
ベッドに座る俺を見て、白羽さんは。
「まだ、疲れは取れていないようだね」
目を瞑り、息を吐いた。ゆっくり、小さく。
「こう頻りに人が来ちゃ、休みようがない。五月蝿くされたら尚更な」
「それはすまなかったね」
「もういいんだよ。いい加減、静かに休ませてくれ」
頭を垂らし、話すと切れた唇が痛む。
切れた唇も、殴られた頬も痛い。心も、もうずっと痛い。
「わかった。では、そのまま休むといい」
「白羽さん……!?」
「ただ、少しだけ私の話に付き合って欲しい。面倒ならば相槌だけでもいい。それも嫌なら、返事をしなくても構わない」
「……」
休んでいいと言ったのに、話をすると言う。
矛盾していて、面倒臭くて、無言で返す。
「否定もしないのなら、話させてもらうよ」
白羽さんは勝手に話し始める。
話が終われば出ていくだろう。そしたら、休めばいい。ようやく休める。
「そうだね、例え話をしよう。咲月君、もし目的地を目指す坂道の途中で、前から巨大な岩が転がってきたら、君はどうする?」
「……」
「後ろに走って逃げるかい? それとも、前に向かって立ち向かうかい?」
「……」
「無理だと思って引き返す。怪我を承知で立ち向かう。どちらも一つの方法だ。しかし、突然岩が転がってくれば誰でも焦る。それ故に思考範囲が狭くなり、浮かぶ答えも少なくなってしまう」
「……」
「だがね、咲月君。考えれば他にも手はあるんだ」
少し、ほんの少し。白羽さんの声が強くなる。
「前か後ろか。進むか退くか。立ち向かうか逃げるか。解るかい? 人が歩む答えはね、二者択一なんかじゃない」
「……」
「たまには横に逸れ、転がる岩を見送り、一息ついて休む。そして、今まで進んできた道を眺めるのも一つの答えだ。歩いてきた道を、更に続く道を。見つめ、考え直す事もね」
音。パタ、と。歩く際に鳴る、スリッパの小さな音。
話しながら、白羽さんはこっちに近付いて来る。
「……いる」
「うん?」
「だからこうして、休もうとしている。なのに、アンタ等が邪魔するんだろ」
「それはすまなかった。約束しよう。もう君が休むのを邪魔しない。沙姫君と沙夜君にも、もうここには来ないよう私から言っておこう」
頭を垂らしたまま、ボソボソと呟く俺の声を聞き漏らさず、白羽さんは淡々とした口調で返してきた。
「人によって歩んで来た道は違う。出会った人も、接した時間も。その人によって生き方も価値観も異なる。途中どこかで道を交わっても、様々な形でいつかは別れる運命だ。哀しい事だがね」
話し、白羽さんはおもむろに胸ポケットに手を入れる。
「だが、僅かな時間でも、出会い、作った思い出は確かに存在する。共に歩いた道の中で託された物、交わした事を……どうするかは、選ぶのも決めるのも自分でしか出来ない。託され、交わした本人でしかね」
そして、胸ポケットから取り出した白羽さんの手には、黒い布。
それは見覚えのある、忘れる筈が無い。モユが毎日髪を束ねていた、リボン。
「モユ君の服と一緒に預かっていた。私よりも君が持っていた方がいいだろう」
綺麗に畳まれた二本のリボンを、テーブルの上に置く。
「話は終わりだ。これでもう、私達は君が休むのを邪魔しない。エド、部屋から出よう」
「……」
「エド」
「ッ……わかり、ました」
納得がいかないという顔をさせながらも、エドは白羽さんに従い部屋から出ていく。
「では咲月君、気が済むまで休むといい」
――――バタン。
ドアが閉められ、部屋は暗い空間に戻る。目を閉じ、息を吐く。
あぁ、これで。やっとこれで、休める――――。




