No.42 オモイデ カケラ
嫌な、音が聞こえる。ざらざら、ざらざらと。
嫌な事を、悲しくて泣きたくなる事を……思い出してしまう。
だから、嫌いだ。耳を塞ぎたくなる程に、大嫌いだ。
また失ってしまったと、また助けてやれなかったと。
また悔やんで、また自分を呪って。
……また?
俺はまた過ちを犯して、また誰かを失ったのか?
ふと頭に過る、赤茶い髪。そして、赤茶い瞳。
いつも無口で、無表情で、無愛想。
背が低くて、手が小さくて、アイスが大好きで――――。
そうだ、俺は――――。
* * *
「はっ……ぁ」
気が付くと、目に映ったのは白いタイルが並ぶ天井。
この天井は見覚えがある。
それで理解する。今まで自分は、ベッドに寝ていたという事に。
身体をベッドから起こして、部屋を見回す。電気は点いておらず、夜ではないのに薄暗い。
そして、部屋に響くは雨の音。
「事務所の医務室……だよ、な」
寝起きのせいか、あまり頭が働かない。
部屋はがらんとして、誰も居なく静か。
そして、自分が着ている服が変わっている事に気付く。
確かジャージを着ていた筈なのに、今は病院で患者が着るような服になっていた。
「え……ジャー、ジ?」
なんで、ジャージを着ていたんだっけ?
そんな疑問が、頭に浮かび上がる。
「っつ……ッ!」
――――ズキン。
額に手をやろうと動かした瞬間、身体に走る苦痛。
肩、胸、腹、腰。あらゆる所が痛み、骨が軋む。
胸元をはだけさせ、身体を見てみると身体を隠すように包帯が巻かれていた。
他にもガーゼや湿布も、至る所に貼られている。
「怪我……? なんで、こんな……」
徐々に覚醒していく意識が、その理由を……原因を思い出していく。
白髪の別人格を。
黒闇の中で愉しそうに嘲笑う、三つ編みの金髪を。
沢山傷付き、服も泥に汚れ、血だらけになって。
冷たい雨が降る中で別れを告げた、あの――――。
赤茶い眼髪の少女を――――。
「モ、ユ……」
名前を、呼んだ。その少女の名前を。
同時に、ベッドから降りていた。
身体中が痛む。ぎしぎしと、ずきずきと。
だが、そんなのに構っていられない。
行かなきゃ、いけない。
医務室から出て、スリッパも履かず、素足のまま廊下を歩く。
ぺたり、ぺたり。足裏に伝わる、冷たい床の感触。
「ぐ、っ!」
ズギン、と身体を走る激痛。
堪らず、壁に寄り掛かって痛みに顔を歪める。
あまりの痛みに、胸を押さえてただ治まるのを待つしかない。
「咲月君っ!?」
突然、聞こえてきた声。聞き慣れた、声。
「駄目じゃない、勝手に起き上がったりしちゃ!」
怒鳴りにも似た声で、声の主は言い寄ってくる。
「沙夜先、輩……?」
痛みに耐え、細めていた目に映ったのは、心配そうに顔を覗いてくる先輩だった。
「今、深雪さんを呼んでくるから!」
そう言って、沙夜先輩は廊下を走って行った。
なんで、沙夜先輩が事務所に居るかは解らない。
いや、今はそんな事はどうでもいい。
「く、ッ……」
痛みが引くのを待たずに、壁に寄り掛かっていた身体を縦にする。
行き先は、すぐそこだ。
たかがこんな痛み程度で、足を止める訳にはいかない。
左手は壁にやって身体を支え、右手は胸を押さえて足を動かす。
気力で、歩く。
「っぐ、は、ぁ……」
辿り着いたその場所は、あいつの部屋――モユの、部屋。
きっと、俺が傷だらけになって心配しているだろうから。
もしかしたら、アイスが貰えなくて不機嫌になってるかも知れない。
――コン、コン。
小さく渇いた、ドアをノックする音。
「モユ、いるか……?」
ドア越しに、部屋の中へ声を掛ける。
だが、返事は、無い。
返ってくるは、外で降り注ぐ雨の音。
あぁ、アイスが食べれなかったから不貞腐れてんのか。
ったく、しょうがねぇなぁ。
「モユ、入るぞ」
ドアノブに手を掛けると、抵抗無く開く。
かちゃり、と。
何故か、その音が妙に大きく聞こえた。
「モユ?」
けど、ドアが開いたその先は……。
返事が、無い。
反応が、無い。
――誰も、居ない。
がらんとした殺風景の部屋だけが、そこにあった。
薄暗く、雨の音が響き、なのに静かに思えてしまう部屋。モユの、部屋。
女の子の部屋なのに、飾りが何も無い。可愛いぬいぐるみすら、一つも無い。
あるのは、ベッドの上に置かれた、服。
綺麗に折り畳まれた、モユがよく着ていた……服。
そして、二本の黒いリボン。
「あ……」
それを見て、思い出す。
必死に頭の奥へ押し込んで、夢だったんだと自分に言い聞かせて。
また、いつものようにアイスをねだってくるんだと。
また、服を引っ張ってくるんだと。
そんなやり取りが、今日も出来るんだと。
だが、それは無理だと現実は物語る。
“いつも着ていた”服が、ここにある。
“毎日付けていた”リボンが、置かれている。
しかし、“いつも隣にいた”あいつは、いない。
部屋に、いない。
もうどこにも、いない。
「あ、ぁ……」
覚束無い足取りでベッドの前まで歩き、膝を着く。
畳まれた服を手にして、黒いリボンを、目にして。
あの光景が、思い出される。
偽り無い真実だと、変わり得ぬ事実であると。
無情にして、無残に。
現実という不可視の刃物が、胸に奥深く突き刺さる。
「……に、行かなきゃ」
モユの服を握ったまま、ふらりと立ち上がる。
力無く呟いて、頭を落として。
部屋から出て、玄関へ向かう。
「アイスを買いに、行かなきゃ」
確か、昨日で買い置きのアイスが切れてる筈。
だから、買いに行かなきゃ。
モユにあげるアイスを、買いに行かなきゃ。
「匕君、何やってるの! まだ歩いたら駄目よ!」
正面から深雪さんが叫びながら走ってくる。
その後ろには、沙夜先輩と沙姫の姿も。
「――――! ――、―――。――――!」
何かを言ってるらしいが、何を言ってるか解らない。
ごわごわと、ただ五月蝿い。
構わず、玄関を目指す。
早く、アイスを買いに行かなきゃならないから。
「……ぁ」
本当に小さく、空気が漏れたような声。
玄関から外に出ると、雨が強く降っていた。
強いってものじゃない。土砂降り。
あぁ、そうだった。外は雨が降っていたんだった。
けど、構わない。俺は早く、コンビニに行ってアイスを買わないといけない。
あいつが不機嫌にならないように、買いに行かないと。
外に出ると、雨は身体を濡らしていく。
この土砂降りだと、びしょ濡れになるのに時間は掛からない。
そんな中を、傘も差さずに歩む。
びちゃん、と。
水を弾く感触と、冷たい感触が足に伝わる。
歩みを止めて足元を見てみると、泥に汚れた素足。
あぁ、靴を履くのも忘れていた。
だけど、時間が惜しい。このまま行ってしまおう。
早く、アイスを――――。
「おい、匕っ!」
歩みを再開しようとした所を、誰かに肩を掴まれて止められる。
後ろを見ると、見知った顔がいた。
「何やってんだ、お前!」
俺と同じく傘も差さないで、表情を強張らせたエドが。
「咲月君!」
「咲月先輩!」
そして、更にぞろぞろと人がやってきた。
「咲月先輩、傘も差さないで何処に行くつもりなんですか!」
持ってきた傘を俺の上に差して、沙姫は声を荒くする。
あぁ、五月蝿い。俺は急いでいるんだ。用があるなら後にしてくれ。
後ろに向けていた顔を正面にやり、再び歩き出す。
「匕、聞いてるのか!?」
が、またもエドに腕を掴まれて止められた。
「咲月君!」
また、人がやってきた。
慌ただしい様子で、今度は白羽さんと深雪さんが。
「まだ君は傷が癒えていない、部屋に戻るんだ」
横目で白羽さんを見るが、すぐに逸らして足を動かす。
「咲月君!」
だが、白羽さんに肩を掴まれて再度抑止される。
「一体、何処へ行こうと言うんだ」
「……買いに、行かなきゃ」
「うん?」
「アイスを買いに、行かなきゃ」
肩を掴んでいた白羽さんの手の力が、僅かに強くなる。
「咲月君……!」
声も、震えて。
「俺、あげてないんだ、アイス。あげてなかったんだよ……」
誰を見るでも、誰かに向けてでもない。
一人言のように、自分に呟くように。
「あいつに、食べさせてやれなかったんだ……だから、買いに行かないと。早く、買いに……」
ぽつり、ぽつりと言葉を紡いでいく。
小さく、弱々しく、雨音に掻き消されてしまいそうな声で。
「咲月君……それはもう叶える事は出来ない。それは君が一番、解っている事だろう?」
ざくんと、何かが刺さる。
痛くて痛くて、どうしようもない痛みが、胸に広がっていく。
押さえていた、隠していた痛みが、波紋のように。
「あ、ぁ……」
膝を、落とす。足に力が入らず、地面に着く。
「いつもと同じだったんだ……いつもと同じで、何も変わらないで、あいつは居たんだぞ!」
もう、会えないのか?
もう話す事も、頭を撫でてやる事も、小さな手を握ってやる事も……。
大好きなアイスをあげる事すら、出来ない、のか?
「いつもと同じ、だったんだ……明日も同じだと、思ってた、のに……」
手に持っていたモユの服を、震えた声で話ながら見つめる。
沙姫と沙夜先輩からお下がりで貰った服。
黒いブラウスに、白のブリーツスカート。
雨に打たれて、今はびしょ濡れになってしまっている。
そして、いつも髪を束ねていた、黒いリボン。
「ずっと一緒だと……もっと色んな事を教えてやれると、思って、たのに……」
握り締めた服に、隠すように顔を埋める。
その時、何かがスカートのポケットから落ちた。
から、と。小さな音を鳴らして。
「これ……」
地面に落ちたそれを、ゆっくりと拾う。
細く木で出来た、棒。
何も書かれていない、外れの、アイスの棒を。
「それ、モユちゃんの……」
深雪さんの声が、後ろから聞こえてきた。
俺も、知ってる。前に一度だけ、見た。
「理由は教えてくれなかったけど……宝物で御守りだって言って大事にしてたわ」
「御守り……」
お前が忘れずにこれを持っていたら、助かったのかな。
お前を守ってくれて、今もここに居れたのかな。
また、お前にアイスをあげる事が……出来たのかな。
アイスの棒を握り締め、服は強く抱き締める。
「……白羽さん、悪い」
「うん?」
「ちゃんと後から事務所に戻るから……少しだけ、一人にさせてくれ」
地面に膝を着き、背中を丸めて。
「……頼む」
皆に背を向けたまま、静かに。
「……解った。私達は先に戻っているよ」
白羽さんは頼みを聞き入れてくれ、踵を返して事務所へ戻っていく。
「ちょ、白羽さん! 咲月先輩をこのままにしていいんですか!?」
「いいんだ。君達も早く、事務所の中へ入るといい」
「でも……」
まだ気に掛けている沙姫は、納得いかないと戸惑いを見せる。
「なら、先に戻ってるぞ」
「……そうね」
「エド先輩? 姉さんまで!?」
エドが一足早く事務所へ戻り、その後を沙夜先輩も追っていく。
「私達も行くわよ、沙姫ちゃん」
「で、でも……」
「人は誰にでも、見せたくないものがあるのよ」
「……解りました。咲月先輩、風邪引きますから早く戻って来て下さいね」
そう言って、沙姫と深雪さんも戻って行った。
「では、咲月君。私も先に戻ってるよ。気が済んだら、戻ってくるといい」
「……すまねぇ」
「謝る必要はない。私も男だ。気持ちは解る」
最後にそう言い残して、白羽さんも事務所の中へ消えていった。
ただ一人残され、辺りには雨の音だけが支配する。
土砂降りの中で膝まづき、足元を泥で汚して。
「モユ……」
名前を呼んでも、あの声は返ってこない。
赤茶い髪を黒いリボンで束ねて、小さなおさげを二つ作っていた少女は、もう居ない。
夢中でアイスを食べる姿を、二度と見る事は出来ない。
初めて会ったのは、学校の中庭だった。
初めは無視するつもりだったのに、気付いたら声を掛けていて。
その時に初めて、アイスをあげたんだったな。
二度目は神社の前で、しかも夜中。沙姫を庇って、お前に禁器で斬られたんだ。
俺は血を流してブッ倒れて、お前は錯乱しちまった。
でも、それは俺を助ける為だったよな。
そんな出来事があったのに、再開したのは意外な程早くて、呆気なくて。
再開しての第一声が、『アイス』だったのは今でも覚えている。
そっからだったな。
俺の生活が変わって、いつも隣にお前が居るようになって、いつも何をするでもなく、並んでボーッとして。
いつもおかずが野菜炒めでも文句を言わないで食べて……。
そういや、結局一度も美味しいって言ってくれなかったな。沙夜先輩の料理は美味いって即答しやがって。
アイスも、飽きずに毎日食べてたな。
無かったら不機嫌になって、服を掴んだまま離さなかったりしてよ。
よく、暑い中を買いに行かされたのも、良い思い出だ。
それが、楽しかったなぁ……。
凄く、楽しかった。
毎日が充実していて、楽しくて、嬉しかった。
「っく……っ」
他にも、色んな所に行ったな。
沙姫の家に行って、俺と沙姫の組手を見たり、沙夜先輩の手作りアイスを食べたり。
ニボ助と仲良くもなったよな。最初は触れるのも怖がっていたのに。
あとは、遊園地に、行って……。
何回もジェットコースターに乗って、コーヒーカップで目を回して、氷の水族館を見て歩いた。
お化け屋敷でも、お前は無表情を貫いてたな。対して沙姫は腰を抜かしてよ。
あれは本当に笑ったなぁ。
あぁでも、うさバラし人形の着ぐるみには怖がってたっけ。
沙姫と沙夜先輩の写真を撮っている間、ずっと俺の後ろに隠れててさ。
「う、ぅ……」
今さら、本当に今さらだなぁ。
お前と写真、一枚ぐらい撮っておけば良かった。
お前の姿を形として残すものは、この世にはない。
唯一あるとすれば、思い出だけ。
あとはこの服と、リボンと……。
お前の御守りだった、アイスの棒。
たった、これしかない。これだけしか、ない。
もっと何かをしてやれたのに、もっと色んな事を教えてやれたのに、もっと沢山の思い出を作ってやれると思っていたのに……。
もっと、大好きなアイスを食べさせてあげれたのに。
だけどそれはもう、叶わぬ夢。
「ぅ、く……」
でも、もう、あいつに会う事は出来ない。
一ヶ月にも満たない、短い間。思えば早く、あっと言う間だった。
だけど俺は、忘れない。
どんなに短ろうが、関係無い。あいつが生きた証を、俺はずっと覚えて生きる。
ヒトでも、否人でも無い。
ただの人間として一生懸命に生きた、小さな人。
笑うのが苦手で、口数も少なくて、アイスが大好きだった。
――立派な、人を。
我が儘を言って良いなら、人として何かを望んで良いと言うのなら……。
心から、願う。どうか――――。
モユの願いが、叶いますように――――。
そして、最後にお前は俺に言ったよな。
だから、俺も言うよ。
――モユ。
「うわぁぁぁぁぁぁあ!」
――――ばいばい。




